第64話「ブンクァブとシャカウィブ」
「魔獣だよ魔獣。それもけっこう強いやつ」
そう進言した天狗の言葉に
「どこです!? 近いのですか!?」
「いや近くはないよ。ブンクァブの方だから」
――なんだブンクァブか。
一同の頭に同様の思いが湧き起こる。
魔獣の森に程近いブンクァブはここのところ、森からの魔獣の流出が頻繁にあるため魔王国軍から常に一軍は常駐しているのである。
「貴方が天狗殿か」
なんだかんだで初対面のクィントラが言う。
「ついこの間まで僕と僕の九軍がそれに当たっていた。そんな分かりきった事を伝えにこの城へ忍び込んだという訳ですか?」
「えぇっと……。ああ、ダナンさんの従兄弟のクィントラさんか。初めまして」
気さくに挨拶する天狗に対して、フン、とクィントラは鼻を鳴らすのみ。
「クィントラさん、『
「やけに大きな腕と爪を持った熊でしょう? 僕が詰めていた時にも何度も倒しましたよ。そんなモノが脅威だとでも?」
爪熊とは、普通の熊よりもう一回り体が大きく、中でも肘から先だけが倍ほども肥大した凶暴な魔獣である。
魔王国軍の通常の兵士ならば、一匹に対し十数人がかりで倒す程度の強さを持つ。
「『
「…………?」
「あ、知らない? 普段はもっと森の奥に住んでて、爪熊より断然強いんだけどね。それが十頭ちょっとかな、多数の魔獣を従えて森から出て来るみたいなんだ」
刀熊とは、年
当然、知能においても爪熊の比ではない。
「天狗殿はどのようにしてその情報を?」
「僕の中の白虎が落ち着かないからさ。ちょっと『魔術の瞳』飛ばして調べたの」
「……ほぅ、魔術の瞳、高等魔術ですな!」
魔術の瞳? と呟いて首を捻るカシロウと違い、二白天の二人が感心して頷き合っていた。
他の面々も同じように頷いていたが、トミー・トミーオに至っては明らかに知ったかぶり。その目が泳ぎまくっていた。
「僕が
そう言った天狗の言葉に、玉座の後ろに潜むハコロクがドギマギする。
そう、天狗ならばリストル暗殺の一部始終を知れる筈。ハコロクの正体が柿渋男だと知っている天狗であれば当然である。
とやかく言ってこない天狗はリストル暗殺に興味がないのか――実はハコロク、ビビりまくっていた。
「ヴェラでも荷が重いですか?」
「他の普通の兵士さんじゃどうにもなんないと思うけどね、ヴェラさんってあの下天の色っぽいお姉さんだよね? 魔術の瞳で覗いた感じだけだけど大丈夫だと思うよ。ただし一対一ならね」
天狗が言うには、たとえ魔術を使える兵士が百人いても、たった一頭の刀熊にさえ太刀打ちできないらしい。
十二年前の御前試合でカシロウと良い勝負をしたヴェラであれば、百人の兵士が相手でも打ち倒す。
その魔獣は当時のヴェラと同程度には強いことになる。
「一頭の刀熊と並の魔獣ならヴェラさんと兵士で大丈夫だけどね、ちょっと刀熊の数が多いから大変だと思う」
「どれほどの猶予がありますか?」
「まだ森から出てないから……、明日の昼まで、かな。ブンクァブの近くで迎え撃つならね」
――明日の昼……。一同がそう呟いて息を飲む。
ここトザシブからブンクァブまで、普通の行軍で五日。絶望的である。
「私が行きます」
カシロウがそう、皆に宣言してみせた。
「オマエが行ってどうにかなるか?」
そうウナバラが言うのへ、カシロウも言い返す。
「私とヴェラとで当たり、なんとか数日
どうだろうか? と窺うように顔を見合い、最終的にウナバラが判断を下した。
「よし。ヴェラには転送術で『打って出ずに民を逃がせ』と手紙を送りつける。あっちからじゃ返事を返せねぇが、ヴェラならば上手くやるだろう」
ウナバラがラシャに視線を送り、ラシャも心得たものでひとつ肯き手紙の準備へとかかり始めた。
「ヤマノはトミーオと向かえ。でクィントラは九軍を連れて出来るだけ早く出発、騎馬先行で三日で辿り着け。人死には出したくねぇがそうも言ってられん。七軍と九軍足して何とかしてくれ」
「久しぶりに暴れてやるでヤンスよ」
「畏まりました」
トミーオとカシロウがそう言い、クィントラも声を上げかけたその時――
下天で
――作動を終えて魔術陣が消え去った後に一通の手紙。
「今のが転送術だよ。なかなか受信するのはタイミング的に見れないよねー」
「受信……、ど、どなたから?」
天狗とカシロウのやり取りを尻目に、ウナバラが取り上げて目を通す。そして勢いよく悪態を
「…………くそッ! あっちこっちでどうなってやがる!」
ウナバラが手紙をラシャに投げつけ、受け取ったラシャが読み上げてゆく。
「北方警備視察中のリオからだな……」
ブンクァブと違って防衛の拠点であるシャカウィブ。常設の転送術式が備えられている。
誰でも使える訳ではないが、それなりの魔術の才があれば使用可能。つまりカシロウには当然使用できない。
「『北東。おそらく神王国よりの群勢あり。その数およそ五万。至急対応を望む』……ご、五万だと!?」
普段は寡黙の代名詞たる男、リオ・デパウロ・ヘリウス。文章を起こす際にも簡潔ながら淀みなく必要な情報を寄越す、無駄のない男である。
「北方警備の総数はどうなんでヤンスか?」
「……元々常駐の二千とリオの八軍の一割。合わせて二千五百だ」
精強な魔人族と人族とを比べれば、一人で三人を相手取れるというのが通説だが、軍対軍になると指揮官の差、練度の差、戦場の状況など様々な要素が絡む。
しかし二千五百と五万では話にもならない。
『…………………………!』
「そう……でしたね。しかしあの時の結果を見ればそうも言えんでしょう」
絶望的な空気が流れる中、トノが顔を出して何事かを言い、それにカシロウが小声で返した。
「トノなんだって?」
「前世で一千対三万で戦った時の事を引き合いに出して、『我らは三十倍の敵を相手取ったもの、何をオタオタと!』と仰ってるんですけど――」
「ほう? 三十倍でヤンスか?」
聞き耳を立てていたトミーオが反応した。
「しかし我々……。その戦で死んでますからね……」
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