第52話「ハコロク暗躍」

 ハコロクは十日ほど前から、朝昼晩と時を選ばず情報収集にいそしんでいる。


 ウノという魔王から離れぬ男の存在にだけは全力で用心しつつ、魔王とは比較にならぬ程に警護の甘い王妃キリコ・ニーマに重点を置いて探りを入れていた。



「ビスツグはん、ワイちょっと疑問に思うたんやけど」


 ビスツグから不安を打ち明けられた日から数日たった深夜。

 当然ヨウジロウも既に帰宅し、ビスツグの部屋にはハコロクとビスツグの二人のみ。


「どんな疑問? 私に分かるかな?」


「王妃はんって魔王はんの奥さんやのに、なんでディンバラを名乗りはらへんのかなって」


「それなら私でも答えられる。厳密には魔王の妃は王族ではないんだ。となって初めてディンバラを名乗る様になる」


 へぇそうでっか、とそれほど気のない声音でハコロクがそう返した。



「それで今夜も行くのか?」

「行きまっせ。こういうのは毎日せんと意味ないさかい」



 ビスツグの部屋は王城の三階。

 ハコロク、先ずは窓から外に出て、外壁を伝って四階まで登って外から開けられる様にすでに細工済みの窓から内部に侵入する。


 ――さてと、こっからはアレやな。


 ややでっぷりとしたハコロクの体が瞬く間に細くなってゆく。

 同時に手早く装いを改めたその姿は、あのビスツグ暗殺未遂を行なった柿渋装束の刺客そのもの。


 ――この格好かっこはビスツグはんにも見せられんからなぁ。



 速やかにその場を離れて王妃の部屋を目指すハコロク。

 目指す王妃の寝室まで、換気口を抜け自らこしらえた抜け道をさらに抜ける。



 音もなく侵入を果たし、王妃キリコの横でスヤスヤと眠る二歳のミスドルに歩み寄り、その枕元に猫の頭ほどの石をそっと置いた。


 ――よっしゃ。こんで無事に戻ればオッケーや。



 ハコロクが何故こんな事をしているのか、それは少し遡らなければならない。


 情報収集を開始した初日、折りよくその夜はリストルがキリコの寝室に訪れ丁度いた。


 さすがにウノもはばかって部屋の外の外、廊下に立つ兵士と共に警戒中。


 これ幸いとハコロクは覗き見をかまし、そしてその事後、ベッドで愛を囁くにはかなり不穏な言葉を聞いた。


 ――ビスツグを廃嫡――


 ――ミスドルを王太子に――


 それはキリコが希望を伝えたに過ぎないが、リストルが曖昧な言葉を返したのが不味かった。


 あの呪いのお陰で、リストルでさえ次代の魔王がどちらになるか分からぬ故に曖昧な返事をしたのだが、キリコも盗み聞きしたハコロクもそんな呪いの事は知らない。

 現在それを知るのは、二白天の二人とウナバラ、それにカシロウのみである。


 ――ありゃ。ビスツグはんの不安的中やがな。



 そしてビスツグとの相談の結果、ヨウジロウには内緒で実力行使に出た。


 その気になれば、いつでもミスドルを害せると、害せる者がいると、キリコに思い知らせる為に翌晩ハコロクは忍び込み、ミスドルの枕元に小指の先ほどの小石を置いた。


 翌朝キリコは小石を拾い上げるもさして気にしなかったが、さらにその晩、ハコロクは親指ほどの小石を置いた。


 さらに翌晩、拳ほどの石を置き、そしてその夜は猫の頭ほどの石。


 そして翌朝キリコは石を見て遂に震え上がり、リストルの下へと駆け込んだ。



「ビスツグの仕業に違いありませぬ!」


「いや、そうは言ってもビスツグには無理だ。アレは余と同じで運動神経も悪いし魔術の才もない」


「ならばビスツグ子飼いの者がいるに違いありませぬ!」


 しかしここでもリストルは曖昧に話を濁した。


 リストルとしては濁さざるを得ない。

 確かにハコロクという手練れの者をビスツグに付けた。

 しかし、の者にはビスツグの護衛を命じている。そして、の者はリストルの命じた事に背く事はないのである。


 この認識の甘さがリストルの首を締める事となる。


 魔属とは、自らが自らを王国にすると考える者のこと。

 その点、ハコロクは決してのだ。


 ハコロクにとってリストルの命令などどうでも良く、今後己れを庇護してくれそうなビスツグが魔王になる事の方が重要だと考えていた。



「先日のビスツグ暗殺未遂の際にとり逃した柿渋男が臭いと余は考える。彼奴あやつの思惑は未だに不明であるからな」


 リストルがまさかの正解を叩きだしたのだが、それを聞いてキリコはほぞを噛む。


 あのビスツグ暗殺未遂において巷で噂される様な、キリコが首謀者であるということは決してない。


 ないが、その詳細をある程度は把握する立場にはある。

 コネを使ってキリコを魔王城に勤めさせた親戚、実のところそれが首謀者だったから。


 その事を知るキリコにとって、リストルの考えはあまりにも的外れ。依頼人寄りであるミスドルを害する筈がない。


 しかしそれをリストルに伝える訳にもいかない。



「……ではどのようにせよと仰います。このままではミスドルもこのキリコ・ニーマも早晩害されること間違いなしですわ」


「警護を増やそう」


「あんな有象無象がいくら居たって一緒です! でしたらウノをお貸し下さいませ! ウノならば間違いありませんわ!」


「……うぅむ、ウノなぁ。聞いてはみるが……、どうかなぁ」



 ウノは忠誠があつすぎて逆にリストルのめいをはねけるほどの男。

 容易にその願いを聞き届ける訳はなく、折衷案を採ることとなった。



 それはトビサが左腕を斬り飛ばされた晩。


 キリコの部屋にはウノ直属の部下である天影のコードナンバー11イチイチの姿。


 イチイチの体に魔術をかけ、イチイチに異常があった場合には即座にウノがそれを感知、駆けつけるという案で落ち着いたのだった。




⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎


 ――せやろせやろ。そろそろいかつい護衛が出張ってくると踏んどったで。


 細身の体に柿渋装束のハコロクはそうほくそ笑み、キリコの部屋に拵えた小さな扉を少し開き、ほんのり煙を放つ丸薬をコロリと入れた。


 しばし待ち、ザッと何かが床に落ちる音を確認してから、クローゼットの扉を開いてぬるりと侵入するハコロク。


 ――そろそろちょっと重たなってきたわ。


 どっこいしょ、と猫の胴ほどの石をミスドルの枕元に置いて、改めて部屋の外へと繋がる扉の前に座るイチイチの様子に目をやった。


 ――さすがワイ特製の眠り丸薬、よう寝てはるわ。


 その時、小さくイビキをかいたイチイチの体がグラリと前のめりに倒れこみ、ゴツンと床に頭を打ちつけた。


 ――……ちょっとビビったけど、そんなこっちゃ起きまへんでぇ、ワイの丸薬……


 ピシリとハコロクの脳に、痺れる何かがほとばしる。


 ――ヤバい! これアカンやつや!


 ハコロクの第六感が告げる。

 即座にこの場を離れろと。


 ハコロクがクローゼットに飛び込むと同時、イチイチがもたれる扉の上半分にスパッと斜め十字に切れ目が入って弾け、部屋内に黒装束の男が飛び込んだ。


 ――アカンアカンアカン! ウノはんはアカン!


 細い抜け道に頭から己れを捻じ込んで、必死に蠕動ぜんどうさせて進み、手持ちの眠り丸薬を抜け道に残しつつなりふり構わずなんとか最後の廊下まで抜けた。


 ベタリと廊下の床に落ち、さすがにウノでも眠っただろうと抜け道を見遣る。けれど唯一露わにした瞳に爛々と殺気をこめたウノが顔を出したところだった。


 ――あっかーん! 全然寝てへんやん! どないなっとんねん!


 フワリと床に降りたウノが、二本のナイフを逆手に握りハコロクへと歩み寄る。


「何も言わずに死ね。どうせ依頼人の名は明かさぬのだろう?」


 ――めちゃめちゃえー! やり合ったら絶対死んでまう!


 ハコロクは背を向け一目散に駆け始め、まっしぐらに王城外壁向きの、自分が忍び入った窓を目指す。


 両腕を交差せて頭を庇って窓へと跳び込んだが、いつの間に現れたものか、窓の横の壁にウノが垂直に立っていた。


 ――っわーーー!


 がら空きのハコロクの横っ腹へ、無言でウノがナイフを突き込んだ。


 がっつりと腹を抉られたハコロク。

 呻き声を上げつつも窓の横桟に手を掛ける。そして前転の要領で己れの体を窓に向かって放り投げた。


 ガシャンと窓をぶち割って、ハコロクはそのまま暗闇に投げ出される。


 そしてドボンと堀に落ち、高々と水飛沫を上げたのち、ハコロクが堀に浮かび上がることはなかった。





 ウノはその顚末を、『柿渋男を恐らくは仕留めたが、その死体は確認できず予断は許さぬ』とリストルに復命した。


 その報告を受けたのち、カシロウからも辻斬りを仕留め損なったと報告を受けた。


 リストルは昨夜の騒動をウナバラやカシロウに相談したかった。


 しかし不安は去ったのか去っておらぬのかと判断つき難い状況と、痛ましく悲壮な顔のカシロウを見、遂にはその心の内を明かさずにカシロウらを下がらせるに至ったのであった。

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