第50話「もっと斬れ」

 夜回り開始から十一夜目の深夜、夜明けまでせいぜい一刻という頃。


 ――今夜もどうやら空振りらしい。


 そんな思いが各自の脳裏をよぎり始めた。



 カシロウとトビサ。加えてその部下三名はそれぞれ腰から小さなカンテラのあかりを吊るし、繁華な南町の北側から南下し、ビショップ倶楽部のある瀟洒しょうしゃな南側との境に流れる掘割ほりわりに差し掛かっていた。



 堀割に掛かる橋の袂に設置された石造りの常夜灯がボンヤリと辺りを照らしている。


 堀割にしては幅広だが、ナンバダが斬られた際の川と比べればそう幅の広いものでもなく、二、三艘の小舟が同時に行き交える程の堀割。河川敷などももちろん無い。



 しかし、南町、夜更け、川、この三つで連想するのはやはりナンバダの死。


 気不味い空気が流れそうな、そんな気配を破ったのはトビサの部下の内の一人。


「隊長! ちょっと寒いすね!」


「……え、あ、あぁ寒いな」

「寒いとっすね、アレが近くなってっすね。で俺もうアレなんすよ」


 カシロウが不思議そうに、そう言った部下とトビサの顔を一緒くたに見遣ると、溜息をついたトビサが顎をしゃくって橋の袂を指し示した。


「とっとと済ませてこい。二人でな」


 もう一人の部下にも目顔で示したトビサがカシロウへ言う。


「すみません先生。どうにも緊張感のない連中でして」

「お主らもあんな感じだったけどな」



 カシロウはつい、お主と言ってしまって少し後悔したが、当のトビサは薄く微笑んでこう返す。


「確かにそうでしたね」


 残ったカシロウ達三人は橋の中央まで歩を進め、常夜灯の裏に回った二人を眺める。張り詰めていた気持ちを少しほどいて言葉を交わす。


「今夜も空振りですかね」

「どうやらそんな雰囲気だな」


「今夜はどこからも警笛の音も聞こえませんし、二晩続けて現れぬ日かも知れませ――」


 その時、グエッという小さな声と、僅かに警笛の音が響いてすぐに消えた。


「――いかん! 急げ!」


 カシロウの上げた声を合図にトビサが駆け出し、カシロウはつかに手をやり橋の欄干へ足を掛け、そのまま岸を目指して跳んだ。


 そして跳び下りざま、目の端で捉えた黒装束を目掛けて振り下ろした兼定二尺二寸は空を切る。


 黒装束は常夜灯の作り出す淡い灯りを嫌がる様に、スルスルと二間にけん(≒3.6m)ほど後退あとずさった。



「トビサ! 二人を!」


 橋を駆けて来たトビサへそう言い置いたカシロウは二歩三歩と歩み寄りつつ兼定を構え、腰を落として声を掛けた。


「お主が噂の辻斬り殿だな。今夜こそは逃さぬ」


 さらに雪駄せったを踏み締め、爪先の力でもってじりじりと詰め寄っていく。


 不意に、黒装束はその手に握る剣を掲げて血振りをひとつ。そして逆の手で二本指を立ててみせた。


「……なんだ?」


 どういう意味かと訝しんだカシロウをよそに、黒装束はクルリと背を向け、橋を目掛けて駆け出した。


「――いかん! 来るな戻れ!」


 再び上げたカシロウの声に続く様に、駆けてきたトビサの部下の「グエッ」という声が小さく響いた。


 暗がりの中に、ドサリと何かが崩れ落ちる音がさらに続く。


「……貴様ぁ!」


 叫ぶトビサがサーベルを上段に掲げ、走り寄る勢いのままに振り下ろす。

 けれど背を向けたままの黒装束は慌てる事なく半身となってそれを避け、再びスルスルと橋の中央まで後退った。


「落ち着けトビサ!」

「落ち着いておれますか! 部下が三人ともやられたのです!」


 トビサの言葉を受け、カシロウが黙ってその横へ並んで言った。


「二人もダメか……。それでもだ、落ち着け。落ち着くんだ」



 少しの沈黙のあと、黒装束が再び剣に血振りをくれ、今度は指を三本立てた。

 その指が意味するのは、どうやら『斬り殺した数』かとカシロウが察した時――

 

「――無理です!」


 そう叫んだトビサが黒装束目掛けて襲い掛かる。



 額から上と鼻から下を黒い布で覆った黒装束が、唯一露わにしているその瞳を、ニィッと細める素振りをカシロウは見てとった。


 トビサに一歩遅れてカシロウもはしる。



 カシロウは瞬く間にトビサに並んで追い抜くもその前に回る事はかなわずに、相対する二人の横に出て、黒装束が横薙ぎに繰り出した剣を受けんと兼定を立てて構え――


 カシロウに追い抜かれた事など微塵もかえりみずに、黒装束を刺し殺さんとトビサがサーベルを刺突する――



 黒装束が片手で薙いだ剣はカシロウの兼定が受け止めた。

 しかしトビサの突きを、黒装束は僅かに上体をらして避け、その勢いのままでトビサの懐近くまで接近した。


 そして黒装束の片手がトビサが腰に吊ったもう一刀のサーベルへ伸びたその時、カシロウが『鷹の目』を発動する。



 シシッと幾つかの剣閃が煌めいて、黒装束がフワリと跳んで距離を取った。


「クソっ!」

「ぐぅぅぁああっっ!」


 黒装束へ駆け寄るカシロウ、その場でうずくまり肘から先を失った左腕を押さえるトビサ。



 黒装束は左手に持ったトビサのサーベルに血振りを一つ施して、それを橋の板敷きに突き立てた。


 そして迫るカシロウを少しも気にしない素振りで指を三本立て、さらに四本目の小指をぴこぴこと上下させて見せた。



「き――貴様! この場で叩き斬ってくれる!」


 逆上するカシロウに対し、一つも乱れることのないマイペースな黒装束がその剣を構えて相対し、二合三合とそのお互いの刃を打ち付ける。



 カシロウは鷹の目全開である。



 なのに、先程までのの時よりも相手の剣が見えない。

 袖を裂かれ、薄くではあるがまげの先端に黒装束の刃が触れる。


 ――なぜだ、どうして見えぬ――



 苦悩するカシロウに対し、ボソリと篭った声で黒装束が言った。


『つまらん。もう追い付いて追い越したか』


 黒装束は橋上から大きく後ろへ跳ぶ。

 南側の岸へと踏み込み、掌に魔術の玉を作り出す。そしてそれをポトリと橋へ落とした。


 カシロウも即座に後ろへ跳び、蹲るトビサを抱えて北側の岸へと辿り着くと同時に黒装束が言う。


『お前ももっと斬れ。殺せば殺すほど強くなるのだ』


 黒装束がそう寄越すとドカンと大きく音を上げて橋が吹き飛び、そして黒装束は居なくなった。



「……逃げられた……」


 そう呟いたカシロウは、抱えたトビサの呻きを聞いて意識を戻す。


「と、とにかくトビサの治療が先だ!」



 トビサの胸から警笛を取り出しトビサを背に負い、盛大に鳴らしながら走り出す。


「……先生……、すみません」

「……お主が謝る事はない……すまん……」


 ここからなら王城に向かうよりも、ラシャのもとへ向かうよりもと考えカシロウは走る。

 寸刻後には目的の『お宿エアラ』の戸を叩いた。

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