第46話「しっくりこない」

 翌日、カシロウはまだ空も白まぬうちから妙な胸騒ぎと共に目が覚めた。

 そして再び眠気が訪れることもないままに朝を迎えた。


 どうにもしっくり来ないままに朝食を済ませ、朝一つの鐘が鳴るよりもかなり早くに王城を出て東町へ向かった。


 まだ夜明けからそうたぬ城下には人もまばら。不意にトノがカシロウの体から飛び出してその肩に留まり、くちばしをパクパクさせた。



『……………………』


「ええ、なんだかがしっくり来ないので道場でひと汗かこうと思いまして」


 胸の辺りを指差してカシロウがそう言う。


『………………』


「え? ……そうですか。トノも同じですか。なんなんでしょうなコレは」


 と、結論の出ぬ会話を続けていたが、揃って不意に黙り、トノが足から沈むようにそのままカシロウの体に潜り込んだ。


 そして幾らも歩かぬ内に、一人の男に出会でくわしカシロウから声を掛けた。



「おはよう、久し振りだな」

「あぁ、ホント久し振りだ。あれから十二年だものな」



 そう言って男は自らの左耳をひと撫でする。と言ってもそこに耳は無い。

 耳の穴の周りに僅かにその名残りを見せるのみだ。


 男は十二年前、ヨウジロウの刃で左耳を斬り飛ばされた男。下天の序列九位・四青天の一人クィントラ・エスードである。



「ブンクァブから戻ってたんだな」

「あぁ、ヴェラの七軍と交代で昨夜遅くにな。遅くなったから軍の大半は東の外れで野営さ」


 クィントラが率いるのは魔王国軍の九軍。

 魔獣の森から溢れる魔獣対策に全軍で当たっていた。



「ならお疲れだろうに、こんな朝早くから散歩か?」

「ま、そんな所だ。実家住まいは息が詰まるのさ」



 クィントラがかつてカシロウの妻ユーコーに恋慕の想いを抱いたのも昔――


 ――と、カシロウとしては思いたいのだが、カシロウの三つ下であるクィントラももう良い歳なのだが未だに独身を貫いている。


 クィントラはカシロウから見ても間違いなくモテる。


 少し老けたとは言え、ぱっちり二重の眉目秀麗、やや癖のある髪は魔人族の血が僅かに入っているのか淡い色味、カシロウよりも拳一つ分は背も高い。

 幼い頃から才能豊かで若くして下天にまで登り詰め、さらに実家はトザシブで一二を争う商家――唸るほどの金もある。


 なのに独身。未だになのかと勘繰らずにはおれない。



「そうだカシロウ。たまには呑みに行かないか?」


「……まさか、今からか?」

「バカ、違うさ。今夜でもどうかって話さ」



 ――正直ちょっと行きたくない。

 カシロウの本音はそう。


 なんだか気さくに話しているが、元々クィントラはカシロウの事を蛇蝎だかつの如く嫌っていた筈である。


「せっかくだがめておこう。辻斬り事件が起きているらしいからな」


「なんだヤマノ・カシロウともあろう者が。辻斬りなんか怖がってるのか? 仮にも御前試合優勝者ではないか」


 言葉の端に嫌味や皮肉が貼り付いて、少しクィントラらしさが戻ってきたようだ。


「違う違う。夜回りに引っ張られそうだと思ったのだ。ウチの道場には人影じんえいの者が多いからな」


「なるほどな。なら落ち着いたら声掛けてくれ。しばらくはトザシブ住まいだからさ」



 それでもやはり、十二年前に比べると断然穏やかになった気がする。

 元々カシロウ以外の者と話す時には穏やかな男なのだ。

 もしかしたらもう嫌われていないのかも知れない、と少し思ってしまうカシロウだった。



「道場と言えばさ。僕の友人が今回一緒にトザシブに来てるんだが参加したいらしい。良いか?」


「ん? 問題ないと思うが……、ディンバラの者か? 違ったとしても門番に許されて入ったんだな?」


 他国の者はトザシブに入る際に、氏素性を明確にする必要がある。

 この大陸で一般人による国家間の移動はかなり珍しく、魔力を籠めた証文を使って氏素性を明確にする手段が取られていた。


「あぁ、他国の者だがきちんと門を通ったと聞いている」


「ならば問題ない。いつでも来てくれて良いと伝えてくれ。なんならお主も一緒に来れば良い」


 カシロウは両手で刀を持つ素振りを見せながらそう言った。


「僕は行かない。行くわけがない。じゃあよろしくな」


 クィントラは足早に、王城の方へ向けて歩き去った。

 同時にトノが姿を現してカシロウの方に留まる。


『……………………』

「いや、奴はの方はイマイチなのですよ」



 クィントラは魔術はそこそこ使うし、軍を率いれば右に出る者は居ないと評され、さらに頭脳も明晰。

 しかし、剣術だけは幼い頃から不得手の人並み以下であった。


『…………』


「ええ。嫌味で言った訳ではなかったのですが、怒らせてしまったかも知れませんね」




⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎


 クィントラと別れ、カシロウは真っ直ぐに道場へ向かう。

 そして広い道場でひとり、木剣ぼっけんを振るった。


 月代さかやきの辺りから汗のしずくが滴るほどに、基本のかたから一つずつ丁寧に繰り返し繰り返しおこなった。

 

 それでもやはり胸の辺りの、何かしっくりこない感じは取れない。

 一体これは何なんだろうか。いくら考えても答えは出そうにない。


 しばらく思うがままにかたを繰り返していると、チラホラと門下生が顔を出し始めた。カシロウの顔を見ては「おはようございます」と挨拶しそれぞれが更衣室へと向かう。



 そろそろ稽古の準備を始めねばならないと、カシロウが壁際の刀掛けへ木剣を掛け、手拭いを使い汗を拭っていく。


 ふぅ、とひとつ吐息を漏らしたその時、すぐ側の引違い戸がガラリと引き開けられた。


「おぅトビサ。今日はナンバダと一緒じゃないのか。青い顔してどうした?」


「……ヤマノ先生。………………ナンバダが――」


「おいおい、止せ止せ。冗談は止めてくれ」



 ゆっくりとトビサが顔を振り、カシロウだけでなく自分にも言い聞かせる様に、ゆっくりと、少しづつ声を紡いでいく。



「昨夜……、ナンバダが……、辻斬りに……斬られました――」


「――っ、それで傷は⁉︎」



 トビサが再びゆっくりと首を振る。


「……死にました」


 振り絞る様に、しかし思ったよりも簡単に声にした。



 己の声音に己でも驚いたものか、トビサがハッと目を見開き、その瞳からツウッとひと筋の涙を溢した。

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