第34話「魔王の溜め息」

 カシロウが目を開くと、見慣れない天井が目に入った。


「ああそうだ、帰ってきたのだったな……」


 そう呟いたカシロウはベッドから降り、特に乱れのない浴衣の裾を念のために整えた。


『……………………』

「……覗き見とは感心しませんな。いくらトノとは言え」


 寝室中央の床、トノが姿を現していた。


「とは言えその通り、良い女でしょう? 私には勿体ない程です」



 昨夜カシロウ一家は久方ぶりの団欒を囲み、はしゃぎ疲れたヨウジロウを真ん中に挟んで川の字で寝た。


 ――が。

 夜半にベッドを抜け出した夫婦は、リビングのソファに移動して燃えた。

 萌えて悶えて燃え尽きるまで、七年ぶりのお互いを愛し合った。



『……………………』


「はぁ、そういうものですか。神の卵にもなるとそう言う事に興味が失せると。それも考えものでございますな」



「父上、起きておられるでござるか?」


 寝室とリビングを繋ぐ扉を開いてヨウジロウが顔を出した。


「おはようでござる! トノもおはようでござる!」

「ああ、おはよう。ヨウジロウは早いな」


「今日は魔王様にお目見めみえするでござるからな、早く起きてキチンと準備するのは当然でござる!」


 見ると確かに、キチンと髪を結え、服装も綺麗に整えられていた。

 対してカシロウ、未だ寝巻きの浴衣に髷も乱れている。


 ヨウジロウの方が姿勢として大いに正しい。


「さあさあ、早く食べて支度して下さいね」


 ユーコーがヨウジロウの後に続いて顔を覗かせた途端――


『……………………!』

 ――慌てた様子のトノがその姿を消した。


「……トノはどうしたでござるか?」

「照れ臭いんだとさ。可愛いだろう?」


 カシロウの肩からヌッと羽だけが現れる。そしてベシベシとカシロウの頭をはたいてトノが不満を表明した。


 その様子を見たヨウジロウとユーコーが顔を見合わせて小首を傾げる。


「今のが言ってらした鷹の神様ですか? ご挨拶したかったのですけど」


「ああ、それはまた今度、だそうだ」

「そうですか。残念ね」


「また勝手に出てくるさ」


 再び羽だけ出したトノに、カシロウがまたはたかれた。




⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎


 リストルの間を目指し城内を歩く親子二人。


「昨夜も説明したが、リストル様には今年十五になるお世継ぎがおられる」


「ビスツグ・ディンバラ五世さまでござるな」

「そうだ。先代魔王、ビスツグ・ディンバラ四世と同じ名のビスツグさまだ」



 魔王国ディンバラは建国しておよそ二百八十年。

 その初代魔王ビスツグ・ディンバラ、そして後を継いだ二代目魔王リストル・ディンバラ。


 その二人の魔王の名を交互に受け継ぎ、現在はリストル・ディンバラ四世の治世となる。


「そのビスツグ様にな、ヨウジロウを引き合わせたいとの仰せだ。くれぐれも失礼のないようにな」

「承知でござる!」


 元気良くそう返事を返したヨウジロウ、父の顔に僅かに憂いがある事に気が付いた。


「何か気になる事でもあるのでござるか?」

「ん? ああ顔に出ていたか。いやな、昨夜ユーコーから聞いた事がちょっとな」



 魔王の子は常にいない。

 これは魔王国建国以来のジンクスであり、一度たりとも例外のないルールの様なもの。


 若くして跡継ぎが身罷みまかった場合においてのみ、次子が生まれたケースがある。さらにそれもほんの一年か二年の間に生まれる。

 けれど二人の王子が存在した事はこれまで一度もない。



「え? でも昨夜母上が……」


「そう。リストル様の後妻、現在の王妃様との間に二歳になる第二王子がおられるそうなのだ」


 その時、時を知らせる鐘がカカンッと鳴り響く。


「お、もう予鐘よしょうだ。急ごう」

「承知でござる!」


 少しのち、本鐘ほんしょうがカァンカァンと二度鳴いて時を告げた。


 リストルの間、その扉が開いてヤマノ親子が中へと歩を進め、定位置で片膝をついて頭を下げた。


「ヤマノ・カシロウ。その子ヨウジロウ、参上致しました」


「うむ、おもてをあげよ」


 顔を上げたカシロウとヨウジロウ。

 玉座に座るリストル、一段下にビスツグとおぼしき少年、その更に下、カシロウらと同じ床に立つウナバラが目に入りそれぞれに目礼を返した。


 十二年振りに見たビスツグの第一印象は、明るいリストルに比べてどこか暗さを帯びた、陰鬱なものを感じさせた。



「ヨウジロウ・トクホルム、余が魔王リストル・ディンバラ四世である、初めまして。と言っても赤子の頃に会ってはいるがな」


 転生者の子であるヨウジロウには本来『ヤマノ』は付かない。よってヨウジロウ・トクホルムがフルネームとなる。


「初めましてでござる!」

「お、おいヨウジロウ、ござるはちょっと違――」


 元気よく挨拶するヨウジロウの姿に慌てたカシロウ、それに対してリストルが言う。


「良い良い、口煩くいうるさい爺さんどもはここにはらんし、カシロウとユーコーの子だ。余にとっては甥っ子の様なものよ」


 魔王リストルが第二の母とも慕うフミリエ・トクホルム。

 その娘であるユーコーをリストルは実の妹の様に思っている。すなわちリストルにとってカシロウは妹の婿、義理の弟だという認識なのだ。


 わははは、と楽しげに朗らかにリストルが笑う。


「と言うことは私にとっては従兄弟の様なものですね!?」

 さらに目を輝かせたビスツグも楽しげにそう言った。


「お? 確かにそうなるな。それは良い、どうせならもっと仲良くなるが良い。ビスツグ、昼までヨウジロウに城の中を案内してやるが良いぞ」


「……え?」

「勘の悪い奴だ。二人で遊んでこいって事だ」


 そう言って我が子へ向けてニッと微笑んだリストルが、ヨウジロウへも微笑んで言った。


「ヨウジロウ、案内されてやってくれるか?」

「勿論でござる!」


 段を飛び降りたビスツグがヨウジロウへ手を差し出した。

「では行こうヨウジロウ! よろしくな!」

「よろしくでござるよ!」


 ビスツグの手を握り返したヨウジロウがそう返した。


 先ほどカシロウが抱いたビスツグの陰鬱さは影を潜め、ヨウジロウの明るさに染められたかの様な明るい表情へ変わっていた。


 仲良く出て行く二人を見送って、カシロウが口を開いた。


「昨夜ユーコーから聞いたのですがリストル様。お子がお生まれになられたそうで。誠におめでとうございます」


「おう聞いたか、そうなんだ、この歳になって恥ずかしい事なんだがな」


 リストルは今年五十七歳、五十五歳の時の子となる。


「何を仰います。魔人族なのですから珍しい事でもない。もっと早く教えて下さればお祝いに駆けつけましたのに」


「いやあ、割りと恥ずかしいものなんだよ。それに……、頭の痛い事もあるしな」


 そう言ってリストルがウナバラとカシロウの顔を見遣って小さく溜息をこぼした。

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