第26話「珍しい客」
「あっという間の四日間だったなぁ」
空になった酒瓶を眺めて天狗がそう言った。
「お酒もあっという間に無くなっちゃったし」
「そりゃあ、あんなペースで呑めば無くなるでしょう」
カシロウはさすがに初日以外は遠慮した。けれど天狗は初日の宴会に留まらず、続く三夜ともにがぶ飲みした。
「あぁぁぁ頭痛い」
「そんな事になるのになんでお酒を飲むでござる?」
「大人ってのはそういうものなのさ。ヨウジロウさんにはまだ難しいかなー」
そういうものでござるか? そう呟いてヨウジロウがカシロウへ視線を向けるが――
「そういう大人も確かにいる」
――カシロウはあっさりと、『天狗と自分は違う』とやんわり示した。
「では天狗どの、この昼食が済みましたら里へ降り、一両日中にはトザシブへと戻ります」
碗を置き、
「修練は厳しくとも、貴方と過ごした十二年、何ものにも変えがたいものとなりました。誠にありがとうございました」
「ンガグ――ありがとうございましたでござる!」
父の姿を見て、慌ててムグムグと口のものを飲み下したヨウジロウも後に倣う。
「二人とも頭あげて。こんな事言っちゃなんだけど……、二人がいたこの十二年、僕ぁとっても楽しかったよ。この三百年で一番楽しかった」
天狗どの……、目頭を熱くし、そう呟いたヤマノ親子にそれぞれ天狗が言葉をかけた。
「ヤマノさん、十二年間、お疲れ様。ヤマノさんなら今後何が起こっても大丈夫。きっと乗り越えられるさ」
「…………はい。ありがとうございます」
「ヨウジロウさん、どれほど強大な力を持つ宿り神であってもきっと飲み込まれずに打ち克てる。強い力は魅力的だけど、もっともっと大事なものを、ヨウジロウさんなら見失わない筈さ」
七年前、ヨウジロウをこちらに連れて来た際。
カシロウと天狗は幼いヨウジロウに、魂に強大な力を持った竜が棲むこと、それを悪用するような事があれば父自ら剣を持って迎え討つこと、その全てをヨウジロウに説明すべきか悩んだ。
散々悩み相談した結果、ありのままを伝え、敢えて折に触れてその話題を持ち出すことにした。
天狗の案――重すぎる問題だと感じない様に普段から話題に出す――に則って。
そして今、ヨウジロウは竜の力を理解した上でハッキリと返事をする。
「お任せくだされ! 父上にも、母上にも、天狗様にも、恥をかかせるような生き方は致さぬでござる! 竜の力なぞ、良い様に使ってやるでござるよ!」
少し楽天的に過ぎるかも知れないが、ヨウジロウはまだ十二歳。間違いなく真っ直ぐに育っている今はこれで十分だと、カシロウも天狗もホッと胸を撫で下ろしていた。
小麦粉に塩水を加えて捏ね、極細に延ばして乾燥させたものを湯掻いた麺――天狗特製・自慢の
「もう二、三日は里にいてるでしょ? 僕も一回顔出すから」
そして午後、二刻ほどかけてカシロウとヨウジロウは天狗の里へ舞い戻った。
「ただいま。留守番ご苦労だったな」
「ただいまでござる!」
「カシロウ様にヨウジロウ様、お勤めお疲れ様でやんした」
「何か変わったことは……、って珍しい奴が来てるな」
「ええ。ディエス様がお見えです」
ハルさんに声を掛けたカシロウの目に飛び込んできたのは、全身黒衣の男、ディエス。
「よっ、邪魔ぁしてるぜ」
立てて揃えた二本の指を額に寄せ、ビッとカシロウ親子に向けて振ったディエスがにこやかにそう言った。
「邪魔するのは構わんがな。なぜ来る度にウチの飯を喰うんだお前は」
囲炉裏端で「ご馳走さま」と手を合わせたディエスの向かいに腰を下ろしたカシロウ。その手にすかさずハルさんが椀と箸を手渡した。
「なぜって何言ってんだ。ハルさんの飯が旨いからに決まってるだろ」
カシロウもヨウジロウも料理はするが、二人は主に食べる方が専門。
ほぼ一手で七年の間の台所を務めたハルさんの料理の腕は、今では玄人
「それは認める。確かにハルの飯は旨い。だがな、お前はウチで
「ははははっ! 俺もそれは認める。しかしここの居心地が良過ぎるのが悪いんだぜ」
そう言って笑うディエスを尻目に、ハルさんがカシロウに声を掛ける。
「そろそろお帰りだろうと思いやして、ディエス様のも入れて四人分用意してありやすんで」
そう言われてハルさんに労いを告げ、鍋に箸を入れたカシロウが声を上げた。
「ほう? 珍しい、今夜は麺か?」
そう言ったカシロウが椀に
「具沢山の
「そうでやしょ? 追加の麺もありやすんで」
そう言ってハルさんが台所へ立つ。
二食続けての麺類に少し思う所はあるカシロウ。
けれど折角作ってくれたハルさんに悪いと、そんな事は
頂きますでござる! と元気よく手を合わせたヨウジロウも後に続く。
「お、旨いな」
「ハルさん美味しいでござるよ!」
「そうだろうそうだろう。まだいっぱいある。たんと食え」
「バカ。お前が言うんじゃない」
この浅黒い肌に遊ばせた前髪の、気安くも馴れ馴れしいディエスという男。
カシロウが十天に上がる以前に所属していた
「で? わざわざ
そしてカシロウ程ではないが、ディエスも順調に昇進し、今では魔王直属諜報部隊『
「いや? 別になんて事はない。いつものやつだ」
「そうか。ま、そうだろうとは思ったがな」
年に二、三度。魔王リストルの
カシロウらの修行の進捗状況と、トザシブに戻る時期をリストルが知りたがる為だ。
とは言え、ディエスほどの者が来るのは稀である。
「リストル様は寂しいんだろうぜ。お前はお気に入りだからな」
「誠に有難いことだ。私の様な
カシロウはこの十二年、変わらず十天の十位を担っている。
しかし、当然全く仕事をしていない。
間違いなく穀潰し、普通ならば十天からの除籍が当然である。
が、リストルの図らいで、この天狗の下での修行は
足向けて寝られないよね。そう、実際に足を向けては寝ないカシロウだ。
「まぁぶっちゃけその通りだな。お前は穀潰し以外の何者でもない」
そうはっきりと言い放ったディエスをジトっと見詰めるカシロウ、さらに厳しい目付きで睨むハルさんとヨウジロウ。
実にその通りなのが分かっているカシロウ。分かっていても主人を貶められて不満なハルさん。自らに宿る竜のせいで父が仕事を出来ないことを気に病むヨウジロウ。
三者三様の視線を浴びたディエスは、んほん、と空咳一つ挟んでこう続けた。
「……で、どうなんだ? もう一年くらいか?」
「いや、修行は今日で終わった。もう数日でここを離れてトザシブへ帰る」
そう言い切ったカシロウは再び
「やはり旨い。以前トザシブで流行っていたコシが強いばっかりの饂飩と違って、喉ごしだけでなくもっちりとした麺を噛み切る際の歯応えが最高だな」
相変わらず旨いものに目のない男である。
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