心がきゅんする契約結婚~貴方の(君の)元婚約者って、一体どんな人だったんですか?~

待鳥園子

第1話「初顔合わせ」

 ――あら。素敵。


 話を聞いてから想像していたより、格段に美形な侯爵様だわ。


 もうすぐ自分の夫となる人を初めて近くで見た私の感想は、まるで他人事ひとごとだった。そして、仕方なく妥協して私と結婚することになってしまうなんて、本当に可哀想とも。


 城中の中庭にある薔薇園は、本来ならば王族にしか入ることを許されていないと聞いている。けれど、王族と深い繋がりを持つ彼には、特別に許されているのだろう。


 姿を確認して早足で進んだ叔母は、事前約束の通り、待ち合わせの場所に立って居た男性に軽く手を振った。


「ジョサイア。待たせたかしら……こちらが、ジョサイア・モーベット侯爵。貴女の旦那様になられる方よ……そして、今回縁談を申し込んで頂いた私の姪、ドラジェ伯爵令嬢レニエラです」


「はじめまして。レニエラです。侯爵様。お会いできて嬉しいです」


 叔母ヘイズ公爵夫人アストリッドのテキパキとした紹介に合わせて、私は軽くドレスのスカート裾を摘んで、礼儀作法通りのカーテシーをした。


 王の側近として多忙なために、あまり社交場に出て来ないモーベット侯爵は、女性が一度は夢見るような……まるで御伽噺に出てくる王子様のように、とても容姿の整った男性だった。


 日光に透けてきらめくさらりとした金髪に、長い睫毛にけぶる清水を思わせる涼やかな水色の瞳。本当に同じ人間なのかと疑ってしまうくらいに、凜々しく造作の整ったお顔。


 現在は宰相補佐……つまり、文官として城で働いているけれど、以前は軍人になる道も考えていたらしく、程よく肉付き体は鍛えられていた。


 おまけに見上げるほどに背が高く、こうして近くに立ったままで私が目線を合わせようとすると、こちらの方が首が痛くなってしまいそうだった。


「あらあら! まあ。こうして並んでいるのを見ると、本当にお似合いの二人だわ。まるで結婚することになるのが、決められていた運命のようね」


 うっとりとした叔母の身内びいきが過ぎる大袈裟な言いように、私は苦笑いをした。だって、モーベット侯爵が、私にお似合いな訳がないもの。


 モーベット侯爵は若くして即位された現王陛下の従兄弟にあたり、王家の血を濃く引いている。先王の姉で現王の伯母様が、このジョサイア様の母、つまり王女がモーベット侯爵家へ降嫁されたからだ。


 何もかも持ち生まれた貴公子とは、彼のこと……ええ。突発的かつ予測出来なかった異常事態に陥らなければ、夜会中に元婚約者から婚約破棄されたという過去を持つ、いわく付き令嬢の私となんて、絶対に結婚しない人。


「ジョサイア・モーベットです。レニエラ嬢。お目にかかれて光栄です」


 モーベット侯爵の短い挨拶は、貴族の社交辞令が良くある感じで続くのかなと、なんとなく思っていた。


 何故ならば、心からそう思っていなかったとしても、息を吸うようにお世辞を言い合うのが、貴族の定番の社交術だからだ。


 貶されるより褒められた方が、誰もが気分が良い。例えそうだとしても、我が国での社交辞令の文化は円熟を深め、なんだかたまに滑稽こっけいに思えるくらいに度が過ぎてしまっている。


 社交界デビューを済ませ、私くらいの年齢になると異性から大袈裟に賛美されるのは慣れっこになってしまい、どれだけ美辞麗句を並べられようが別に嬉しくなくなってしまう。


 可愛い美しい雰囲気だって素晴らしいと流れるように褒められても、きっと出会った女性全員に同じことを言っているのかなと、心のどこかで思ってしまう。だから、それが本当に思っていることなのか、適当な褒め言葉なのかなんて、全く判断つかなくなってしまうのだ。


 つまり、そんな会話では彼が何を考えているかなんて読めない。


 同じようにして、モーベット侯爵自身は、こうして真実整っている容姿は、褒められ慣れているだろうし……あまり会話上手とは言えない私は、彼が纏う隙のない貴族服でも、褒めようかしら。


 モーベット侯爵の服を間近からこうして観察すると、やっぱり素晴らしい出来だわ。


 さすがは、王家に近い侯爵家の当主だわ。風の噂では現王の従兄弟かつ王妃様お気に入りの彼には、特別に王家のお針子室を使うことが許されていると聞いたけれど、やはりこれは使っていると見て間違いなさそう。


 襟には何段にも重ねた繊細なレースのジャボが品良く取り付けられ、デザインも流行の最先端を取り入れているし、異国製らしい少々光沢のある高級生地だって気品に溢れていた。


 本当にどこをどう見ても、文句の付けようもない服だわ……。


 私と、多分隣に居る叔母もだけど……モーベット侯爵が「なんて、美しい御令嬢なんだ!」や「こうしてお会いすることが出来て、私はこの国一番運が良いです」などと、寒々しい身振り手振りしながら大袈裟に言い出すのかなと、ふんわり発言を待っていた。


 けれど、モーベット侯爵は、じっとこちらを見つめるばかりで何も言わない。


 もしかしたら、間に合わせで選んだ結婚相手の私が彼の好みには、合わなかったのかしら? ……いいえ。今のモーベット侯爵には、何かで結婚相手を選ぶような贅沢を言っている時間も余裕だってないはずよ。


 彼の発言待ちの微妙な空気の中で、沈黙を耐えきれなくなったのか、叔母がパンと軽く手を叩いて空気を明るい方向へ変えた。


「ジョサイア……ねえ。私だって今回のことは、とても残念だと思っているわ! けれど、悲しい別れは次の幸せを呼んでくると言うわ。レニエラは良い子よ。新しい良い出会いに、目を向けましょう」


「はい。そうするつもりです」


 叔母の言葉に迷いなくモーベット侯爵は淡々と答え、私はほっと胸を撫で下ろした。


 ……ああ。良かった。そうしてくれるつもりは、あるのね。


「姪のレニエラは、本当に良い子なの。けれど、以前の元婚約者からの、婚約破棄騒ぎがあって……ええ。けれど、この子には何の非もないと、私ははっきりと言い切れますわ。レニエラはそれまで本当に長い間、元婚約者からの非道に耐えておりましたもの」


 叔母は自信ある様子で胸を張ってそう言ったけど、実際のところは私にも少々非があるため、心中で罪悪感は湧いた。


「ええ。ヘイズ公爵夫人。本当に感謝しています。僕が姪御さんを紹介して欲しいとご無理をいきなり申し上げたのに、こうして早々に希望を叶えてくださるとは……どうしてお礼をすれば良いものか」


 私は彼が叔母に感謝する言葉を聞き、ほっと安心して息を吐いた。何も言わなかったモーベット侯爵が私と違う令嬢が良いとは、言い出さなくて良かった。


 彼は二週間後には必ず誰かとは結婚せざるを得ない。


 それに、私はとりあえず一度は結婚して、周囲から掛けられる、どうにかして結婚して欲しいという無言の重圧から脱したい。


 こうして顔を合わせることになった私たち二人の利害は、きっと一致するはずよ。


「姪のレニエラは、以前の婚約者が……本人からは、なかなかに言い難いと思うから、私が代理で言うけれど本当にっ! 嫌な男だったのよ。なのに、この子が一方的に何もかも悪いと言いがかりをつけて、婚約を破棄したかっただけなの。だというのに! その後で社交界に悪い噂を振り撒いてね。だから、これまでに良い求婚者がなかなか現れなかっただけだから」


 叔母が姪の私をお勧めの商品のように、にぎにぎしく売り込むのを隣で黙って聞いていた。


 もしかしたら、貴族令嬢が婚約破棄されたと聞いて、パッと聞けば悲劇だと思う人も居るかもしれないけど、私本人にとってみれば、それは華々しい武勇伝に近い。


 あの……最低最悪な元婚約者から婚約破棄をされて、本当に良かったと今でも心から思っている。


「ええ。僕も存じております。ドラジェ家のご令嬢が城の大広間の夜会中に婚約破棄を言い渡され、その相手にホールケーキを投げつけたというお話は」


「ふふ。見事、顔に命中致しましたわ」


 あら、あまり社交場に顔を出さないモーベット侯爵も、流石にこれは知っていたのねと私が微笑み肩を竦めれば、隣に居た叔母は額に青筋を貼り付けながら、ふんわりと広がるドレスの中で私の靴先を踏みつけた。

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