第3話 ヒロインの正体

「ようこそ、いらっしゃいました」


 長閑な田園風景の中に佇む、修道院。まるで陸の孤島のように、人里すら離れた場所に、その建物はあった。


 首都で見た大聖堂ほどの大きさはなく、素朴な感じだけど、ひっそりと静かに過ごしたい私にピッタリの場所だった。


 つたう外壁も、おもむきがあっていい。そこから覗く、白い壁に青い屋根。三角屋根までついていて、まさに前世で見たことがあるような教会だった。

 恐らく礼拝堂がある建物だろうか。ステンドグラスの窓が垣間見えた。


 実はこんな場所で結婚式を上げるのが夢だったのだ。


 しかし、ここは修道院。さらにいうと今の私には婚約者すらいない立場なのだ。結婚など、夢のまた夢。出会い以前に、外部からの人間と接触することなど、できないような気がした。


 だからお父様はここを選んだのかしら。


 確かにここなら、人目を避けることができる。口さがない者たちも寄って来ないだろう。道中、不安なことばかり想像していたから、着いた瞬間に安堵した。


 が、それも束の間だった。


「え? 何故、貴方様がここに?」


 思わず一歩、後退る。何故なら、目の前にいるのが不自然な人物が、そこに立っていたからだ。


 修道長に建物の中を一通り案内された後、「着替えなくてもいいので、まずこの修道院の周りや中を、散策してみてください」と言われた。

 暗に早く慣れるように、と言っているのだろう。


 前世の知識でも、修道院の一日は忙しいって聞くし。ここでも『使えない』って言われないためにも頑張らないとね!


 そう意気込みながら、まず気になっていた礼拝堂に足を向けた。ステンドグラスを見たい気持ちもあったが、お祈りを先にしたかったのだ。

 この気持ちをどうか、んでくださいますように。修道院での生活がいいものでありますように、と。


 そしたら、牧師姿のエリクセン殿下が礼拝堂にいたのだ。


「朝、ハイドフェルド邸で見送ってくださったのに」


 どうしてここに居るんですか? クリオはどうしたんですか?


 一気に込み上げてくる疑問を消化できなかったのか、それらが口から出ることはなかった。

 代わりにエリクセン殿下は、いつものように温かい目で私に微笑む。


「それは俺であって俺じゃないんだ」

「どういうこと……ですか?」

「ちょっと長話になるから、こっちに来て話そうか」


 エリクセン殿下はそういうと、私の手を取り、腰に触れる。そう、彼がクリオと婚約する前にしてくれていたエスコートと同じだった。


 あまりにもごく自然にされたので、私は椅子に座るまでそのことに気がつかなかったくらいである。頭が作動していなかったのもあるのだろう。

 それでも、近距離に座られれば、嫌でも気づく。


「あの、ち、近くないですか? それにエスコートだって、エリクセン殿下にはクリオ嬢という婚約者がいるのに、このようなことをするのは、よくないと思います」

「近くもないし、エスコートの方法も間違っていない。俺がここに居る理由も含めて、その誤解を解きたいんだ」

「ご、かい?」

「あぁ。そもそもクリオ嬢と婚約したのは俺じゃない」


 私は驚きのあまり、目をパチパチさせた。それがおかしかったのか、クククッとエリクセン殿下が笑う。


「すまない。しばらく会っていなかったから、もう俺の知るアベリアではなくなっている。そう思っていたから安心したんだ」

「そんなにコロコロ変わるほど、私は器用な人間ではありません」


 思わず拗ねて言うと、さらにおかしそうに笑う。けれどこれは、別にバカにして笑っているわけではない。

 幼い頃から知っているだけに、それだけは分かるのだ。


「うん。そこがアベリアの良いところさ。どんなに成長しても、どんな肩書を手にしても、アベリアだけは決して変わらなかった。心を開いてくれないのは今でも寂しいけど」

「それは……その……」


 本当のことを言えたら、どんなにいいか分からない。けれど、この優しい眼差しが冷たいものに変わるのが怖かった。

 拒絶されるのも。だから、婚約するのが怖かったのだ。


 エリクセン殿下に捨てられたくなかったから。優しいエリクセン殿下が好きだから。


「全部聞いたよ、クリオ嬢から」

「え?」

「ここはゲームの世界なんだってね。そこでの俺は、クリオ嬢と婚約をするために、アベリアに婚約破棄を言い渡して、この修道院に追放するって」


 そう。それがエリクセンルートのED。だからこそ、お父様が修道院へ行けと言ったのが理解できなかった。

 エリクセン殿下と婚約だってしていないのに、何故、乙女ゲーム通りにストーリーが進んでしまったのかと思ったからだ。


「ク、クリオ嬢に聞いたって、え? 何で彼女が知って……まさかっ!」

「やっぱりね。クリオ嬢の言った通りだ。アベリア。君も転生者ってものなんだね」

「クリオ嬢も?」


 感情が追いつかないのか、驚いた顔をしているが、私の手は震えていた。その手をエリクセン殿下が取る。

 まるで、落ち着けとでもいうように、両手で包み込んでくれた。


 幼い頃からのおまじない。効果てき面だから、私たちはよく手を繋いでいた。何処に行く時も、誰と会う時も。


「あぁ。アベリアが、何だっけ凄く腹の立つ言い方をされたんだよね。確か、悪役令嬢だったかな。思わずクリオ嬢に剣を向けちゃったよ」

「ヒ、ヒロインになんてことを!?」


 攻略対象者がまさか、そんなっ!


「だって、俺の可愛いアベリアにそう言うんだよ。失礼じゃないか」

「可愛い? 俺のって?」

「もしかして、ずっと気づいていなかったの? まぁ、ずっと俺の婚約者候補筆頭だったからな。でも、クリオ嬢との婚約にショックを受けてくれていたから、脈ありだと思っていたんだけど……」

「え?」


 また驚くと、エリクセン殿下はいたずらっ子のような顔をした。


「アベリアをぎょしやすいと思っている連中から守るために、候補から外さないようにしていたんだ。本当は候補じゃなくて、婚約者にしたかったんだけど、アベリアはその話をすると、顔を青ざめるから」


 あっ、と私は思い出した。そうだ。幼い頃からエリクセン殿下は、こんな私のどこを気に入ったのか、真っ直ぐ好意をぶつけてきた。

 私は悪役令嬢アベリアの未来を知っているだけに、拒否をするどころか怯えて何もできなかったのだ。嬉しいと思っていても、だ。


「その理由をさ。不本意ながら、クリオ嬢が教えてくれたんだよ。アベリアは転生者で、俺に断罪されることに怯えているんだって。実に心外だったし、怒りを覚えた」

「……申し訳ありません」

「いいよ、謝罪なんて。俺にはすぐに頭を下げないで、って言ったよね」

「はい」


 使えないと言われ続けていた私は、いつの間にか謝り癖がついていた。だから、ご自分には謝るな、と約束させられたのだ。


「それでどう? まだ俺のこと、怖い? もうアベリアを断罪なんてしないし、追放もしないよ。その先に、一緒に来ているんだから」

「そう、それです! どうしてここにいらっしゃるんですか?」

「……つまり、それを先に言わないと、俺の気持ちには答えないつもりか」


 思わず「す……」と言いかけた言葉をのみ込んだ。私は目を閉じて、頷くように頭を前に倒す。


「分かったよ。実は俺には双子の弟がいるんだ」

「え? あっ! 隠しキャラ!」


 何で忘れていたんだろう。エリクセン殿下には、生き別れの弟がいるのだ。双子は不吉だという理由で市井に預けられた弟が。

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