【番外編】イヴァンがレノックス屋敷にきたばかりの頃

「あーーーー死ぬ」




 学生時代の友人であるアレクセイ・レノックスが、平民の女と結婚し、骨抜きにされ、実の子を虐げ、領地の経営も放置して爵位返上寸前というところに助っ人として王宮から派遣されてから二週間。


 俺、イヴァン・マクシミリアは仕事量のあまりの多さに連日睡眠時間を削り、疲弊していた。


 


 当然だろう。


 領主であるアレクセイは何年も適当に仕事をしていた上に、悪妻の言うがまま、リラリナ王国の法律上限ギリギリの税金を領民から徴収していた。


 そのくせ領民からの意見には一切耳を貸さず、古くなったり壊れた公共設備はそのまんんま。


 最後の半年間は完全になにも仕事せずに放置。


 使用人たちは優秀な者ほど辞めた後。


 もうなにから手を付けて良いのやらという状態だったのだ。




 ……本当に、友達辞めたくなるほどのクソ領主だ。


 自分がレノックス領の領民じゃなくて良かったとすら思ってしまう。




 俺以外にも王宮から何人か手伝いに来てくれているが、誰に何の仕事を振り分けるかの責任者は俺。


 なにから手を付けたらいいかを考えるのが俺の役目ということだ。


 一刻も早く全体像を把握して、領地の運営を立て直さなければいけない。




 とはいえさすがに限界がきそうなので、少し仮眠でもすることにする。


 頭が働かなくなれば、起きていたところで無駄になるだけだ。


 仮眠に入る前に、また新たに出てきた早急に対処すべき緊急事案をアレクセイに投げておこう。


 こいつは指示さえ出しておけば、他の奴の10倍は仕事をこなす。


 ある意味便利な奴なのだ。


 学生時代からそうで、何か具体的に指示を出せば誰よりも優秀。ただし何をやればいいかを自分で考えることができない。


 


 ――学生時代は、何をやればいいか分からなければ、俺に聞いてくるくらいの知恵はあったんだけどな。




「アレクセイ、限界だからちょっと寝てくる。その間にこれやっておいて。……お前も限界くる前に寝ろよ」


「……分かった」




 ちなみに移動の手間を少しでも省くために、アレクセイとは机を並べて仕事をしている。


 話があれば普通の声で話せば届くし、手を伸ばすだけで書類を渡せる。立ち上がる必要すらない。


 なんなら敬語やもったいぶった言い回しすら省いている。


 その程度のことでも、一日に何十回も何百回も積もれば、ちょっとした時間になる。その時間で少しでも寝たほうがいい。




 俺は本当に疲れていた。もうすぐ限界かもと思っていたけれど、実は既に限界を超えていたようだ。




 だから自分よりも爵位がとんでもなく上の、本来なら話す権利すらないような上位貴族相手に、ついつい文句を言いたくなってしまった。




「ったく。なんでこんなになるまで放置していたんだ。一度くらい俺に連絡してこいよ。学園を卒業した途端、手紙も無視しやがって」




 気の緩みだった。


 寝ていないボーっと霞がかかった頭。敬語じゃなくても怒らないで大人しく指示に従うアレクセイに、ついつい本音が出てしまった。




 あんなに学生時代、面倒を見てやっていたのに。


 うるさいくらいになんでも聞いてきたくせに。


 なんでこいつは卒業した途端、一度も連絡をしてこなかったんだ‼




 俺だってなにもしなかったわけじゃない。


 男爵家の次男なんかが連絡しても取り次いでもらえないかもしれないかもしれないと思いながらも、何度か手紙を送ってみた。




 その返事は、一度もきたことがない。




「……一応友達だと思ってたんだけどな。お前はそうじゃなかったみたいだな」






「……なんだって?」


「あ、いや……」




 アレクセイの珍しく怒気を含んだ声色に、一気に頭から血がひいて、目が覚める。


 


――侯爵相手に、何を言っているんだ俺は!




「た、大変失礼いたしました。お忙しい侯爵様が、男爵家の者に返事などしなくてもとうぜ……」


「手紙を無視したのは、イヴァンのほうじゃないか。俺は何度もイヴァンに手紙を送った。何度も何度も、何度も何度も何度も何度も!!」


「はあ!? そんなの一通だってきてないぞ。おかしいだろう」




 俺の手紙がアレクセイに届かないのは、まだ分かる。


 男爵家からの手紙なんぞ、イチイチ侯爵家の、当時跡取り息子だったアレクセイの元に渡らなくても不思議じゃない。




 だけど侯爵家の跡取り様が書いた手紙が、誰かに届かないなんてことがあるか?


 王族にだって、届けられるだろうさ。




「送った! 無視したのは、イヴァンのほうだ!」


「嘘つけ! 侯爵令息が出した手紙を、誰が握りつぶすって言うんだよ! ……あ」




 もう不敬どころじゃないくらい言い返してしまってから。……言いながら、ただ一人、アレクセイの手紙を握りつぶすような人物が思いついてしまった。


 卒業した当時、侯爵令息だったアレクセイの手紙を握りつぶせる人物。


 それは……当時健在だった、アレクセイの父侯爵しか、ありえない。




「……あ」




 時間差で気が付いたらしいアレクセイも、間抜けな声を上げる。


 そしてゆっくりとした動作で、当時から勤めていた、老執事のほうを見る。




 書類を別の部屋に運んでくれたり、お茶を淹れるタイミングを見計らうために部屋の隅に控えていた老執事は、肩を震わせながら頭を地面につきそうなくらい下げていた。




「……申し訳ございません」




 ――そういうことか。そりゃそうだよな。










「どういうことだイゴール。俺はお前に確かに手紙を渡したな?」


「申し訳ございません。お父上から、男爵家の友人はアレクセイ様に相応しくないと、取り次ぐのを厳しく禁じられていました」


「……俺の書いた手紙は、どうしたんだ」


「お父上が読まれた後、暖炉の火に投げ入れているのを、何度かお見掛けしました」


「お前はイヴァンに会ったことがあるだろう? どんな奴か知っていていたのに!」


「……申し訳、ございません。本当に、死んでも取り返しのつかないことを……」


「じゃあ死ね」


「やめろアレクセイ‼」






 アレクセイのあまりにも冷たい色の言葉を慌てて打ち消す。


 老執事イゴールは、本当に今にも命令に従って、死んでしまいそうに思えた。


 そのくらい縮こまって、震えていた。




「撤回しろ、アレクセイ。今イゴールさんがいなくなって、屋敷の管理をする人がいなくなってみろ! それこそ仕事が回らなくなる。これ以上仕事を増やす気か?」


「ウルサイ‼ こんなの、許せるわけないだろう⁉」


「お前もう寝ろ! 寝不足で頭回らなくなってんだよ。今すぐイゴールさんに死ねって言ったの、取り消して寝ろ!」


「でも……」


「いいから」






 ――いつも指示されたら大人しく従うくせに、なんでこんな時だけ食い下がるんだコイツ。




「いつも自分で考えろって言うくせに、なんでこんな時だけ理由を説明もせずに指図するんだ」


「クソッ、痛いとこつくな」




 確かにいつも、頼むからアレクセイが自分で考えて判断してくれと思っていたが、それは重要な領地の仕事とか、大切な家族に向けてほしいものだ。


 こんなところで食い下がるとは思っていなかった。


 しかしせっかくの自己主張の芽を潰すのも気が引けて、うるせー黙って従えと言いたいのをグッと我慢する。




「理由はだから、イゴールさんが今いなくなったら、この屋敷が回らなくなるだろう」


「それなら誰か新しく人を雇えばいい。王宮の監視が入っている今なら、多めに手当てを出せば誰かがくるだろう」


「以前から勤めている人材が少ない今、先代侯爵の頃から勤めているイゴールさんの代わりになる人材はいない。それに……」


「それに?」


「この年齢で、引退もせずに、ほとんどの使用人が辞めてもずっと勤めているのは、イゴールさんなりの償いなんだろう」




 俺の言葉に、イゴールさんは頭を下げたまま、無言でゆっくりと頭を横にふった。




「イゴールさん。これまでのレノックスの屋敷の管理の方法を全部知っていて、領地の運営についても質問できるあなたは貴重だ。いなくなったら困る。レノックス領の領民たちの未来がかかっている。悪いが最後まで付き合ってくれ」


「……かしこまりました」




 やっぱりイゴールさんは、全部分かった上でここに残っていたのだろう。


 金に困っているわけでもないだろうに、アレクセイに手紙の件がバレたらどんな罰があるかも分からないだろうに、潰れかけて先の分からない侯爵家に残り続けた。




「だけどイゴールが手紙を握りつぶさなければ…………父上に内緒でイヴァンに届けることだって、できただろうに」


「絶対的な権力者に逆らえるような人間なんて、そうそういない。人間はそんなに、強くない。お前が一番よく知ってんだろ」




 今度はアレクセイが傷ついたように凍り付いて、黙り込む。


 


 仕方がないことだ。今更考えても、どうしようもない。


 侯爵家の令息に、男爵家の次男を近づけたくない。


 貴族社会ではごくごく当たり前の、当然の、常識だ。


 逆らえる奴なんて、いない。




 ――まあ、でもあの子たちは立ち向かっていきそうだ。




 アレクセイの子とは思えないような、逆境でも折れない強い瞳の女の子や、そのお友達で権力とか圧力なんてそよ風程度にも気にしていなさそうなこの国の第二王子の顔が思い浮かぶ。




「まあなんとかなるだろう」




 あの子たちに渡すまでに、この領地をそこそこ建て直しておかないとな。










「……寝てくる。……イゴール、さっきの命令は撤回する」




 納得したのかは分からないが、しばらく不満げに黙り込んでいたアレクセイが急に脱力し、フラフラと危なっかしい足取りでドアのほうへと向かった。




「はい」


「起こすのは、えーっと、イヴァン、何時までだ」


「明日の朝まで」




 もう外も暗いし、アレクセイも思った以上に限界のようなので、一晩くらいゆっくり寝たほうがいいだろう。




「……だ、そうだ」


「かしこまりました」




 そう言うとアレクセイはフラフラしながら、振り返りもせず執務室を出ていった。


 ――限界が顔にでないタイプか。気を付けないとな。




「はぁー。俺も寝るわ」


「はい」


「イゴールさん、これからもよろしくな」


「ありがとうございます」






 今更考えても、どうしようもないことだ。


 だけどちょっとだけ考えてしまう。






 ――もしも手紙が届いていたのなら、今頃どうなっていたんだろうな。


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