第10話

 アルゼリアの住む第三妃の屋敷は、非常にシンプルな造りだ。内装も凝ってはいないが、家具の品質は悪くない。応接間も他の部屋と同様に、シンプルに整えられていた。そう、ライが荷物を運びこむまでは。


(――これじゃあ応接間とは言えないよね)


 応接間の中心にある椅子に座り、ふうとビオラはため息をついた。部屋の端にはふかふかのベッドと、座り心地のよさそうにソファーも置いてある。


(――もしかして、殿下ここで寝るつもりなのかな)


 いや、まさか。とビオラは自身の考えを否定するように首を振るが、それ以外にベッドを置いてある意味が分からなかった。


 ライはベッドやソファーを置いていくと、夜ご飯を殿下がこの部屋で食べるため、その時間にビオラだけ待機するようにと言っていた。その言葉通り、ビオラは一人で椅子に座っているのだ。


「失礼します。お!女神さん!」


「め、女神?」


 たくさんの料理と共に部屋に入ってきたレグアンは、ビオラを見るなり嬉しそうに破顔する。


「そりゃあ俺にとって女神みたいなもんだ!配属されて数年間。ほとんど殿下のために料理できなかったっていうのに、今日から三食作れるなんて。夢みてぇだからな」


 がはは、と豪快に笑うレグアン。その後ろから料理を持った使用人たちが、手際よく机の上に二人分の料理を並べていく。


「良い匂いだな」


「ジェレマイア殿下!」


 使用人たちが料理を配膳し、部屋から出て行ってすぐにジェレマイアが現れた。慌ててレグアンとビオラが頭を下げる。


「お前が料理人か。ビオラの言う通りにしたか?」


 どうやら初めてジェレマイアに会ったらしいレグアンは、緊張のあまり声が出ずに頭を縦に振って返事をすることしかできない。


 その様子にぴくっとジェレマイアの眉が動く。が、気持ちを切り替えるようにふうと息をつくと


「下がれ」


 と一言短くレグアンに指示を出した。レグアンはその言葉に文字通り飛び上がると、すぐに部屋から出て行った。


「さて。お前も座れ」


「はい。えっと、こちらのご飯は」


「一人で食べるのも味気ないからな。お前も食べろ」


 きらきらと輝くような生ハムとチーズのサラダ。透き通る黄金のスープに、新鮮な魚のソテー。どれを見ても美味しそうで、レグアンの力の入れ具合が良く分かる出来だった。


「あ、ありがとうございます」


 ビオラはそう言うとジェレマイアに向き合うように座り、緊張した手つきでナイフとフォークを掴んだ。


 あまり礼儀を気にしない子爵家でも、アルゼリアと同じ席でご飯を食べることはほとんどなかった。それなのに、次期国王とご飯を食べるなんて、とビオラは美味しい料理の数々の味が緊張から全く分からなかった。


  しばらくカチャカチャ、と食器とカトラリーのこすれる音だけが部屋に響いた。先日手づかみで料理を食べていた人と同じとは思えないほど、ジェレマイアは上品に食べ進めていた。


「食べる姿も美しいですね」


「は?」


「す、すみません!つい」


(――いつもお嬢様を褒める癖があるから、つい口に出しちゃった!)


 ジェレマイアの困惑した声に慌てて謝り、ビオラは再び食べることに専念する。外に給仕が控えており、先ほどフルーツを凍らせて作ったジェラートが出てきたところだった。


「俺は美しいのか?」


「美しいですよ!恐れながら、男性で殿下のように美しい方は初めて拝見しました!」


「そうか」


 再びジェレマイアが黙り込み、ビオラは目の前のジェラートをスプーンですくって食べる。


 すべての料理を食べ終わると、再び使用人たちが現れて机の上の食器を綺麗に片付けて行った。ただ食事をしただけなのに、気疲れでビオラはぐったりだ。


 食事を終えたジェレマイアは立ち上がると、部屋の隅にあるソファーに座ってビオラの方を見る。


「来い」


 言われた通りソファーに座るジェレマイアのそばに行くと、腕を掴まれて強引に隣に座らされる。


「きゃっ」


「少し膝を貸せ」


 そう言うとジェレマイアはビオラの太ももに頭を乗せ、にやっと笑ってみせる。


「光栄だろう?」


「も、もちろんです」


(――どういう状況なの?!)


 応接間で二人で食事をして、その上膝枕までしている状況に、ビオラの頭の中は爆発しそうだ。


「お前に聞きたいことがあってな」


 顔を赤くしたり、青くしたり忙しそうなビオラの頬を撫でるジェレマイア。


「神殿に隠している能力があるな?」


 その言葉にビオラは心臓をぎゅっと掴まれたほどの衝撃を受け、思わず体をこわばらせた。


「別にそれ自体は問題ない。嘘はつくなよ」


「はい。お嬢様のそばにいるため、神殿に申告していない能力があります」


「能力の詳細を話せ」


 至近距離からじっと黒い瞳に見つめられ、ビオラは嘘をつこうかと考えたが、すぐに諦めた。


「お話しますが、ここだけのお話にしてくださいますか?」


「ああ。俺も神殿は好きじゃないんでな」


「身体に触れると、その人の健康状態や不調が分かるんです。それに、どんな薬草を使えば治るのかも分かります」


「なるほどな。それで、俺の不調を治せると豪語できたわけだ」


 ビオラの言葉に納得したのか、ジェレマイアが一人で頷く。膝の上でリラックスしているジェレマイアとは異なり、ビオラの身体はがちがちに緊張している。


「何とは言わないが、俺にも能力があってな。とある能力がお前には効かないから、何かはあると思ったんだ。ビオラ。お前の能力は本当にそれだけだな?」


「はい。このことは子爵様とお嬢様、子爵家の執事長しか知りません」


「その能力のおかげで、俺は人生で今が一番気持ちが落ち着いている。俺にとっても害はないから問題はない」


「こ、この能力を殿下のために使います!なので、お嬢様のことで二つお願いがあるんです」


 ごくり、と生唾を飲み、ビオラは思い切って切り出した。


「気分がいいからな。言ってみろ」


「一つ目が、殿下の体調を改善する約束の1ヵ月間は、お嬢様の寝室には行かないでほしいんです。もう一つは、お嬢様を守っていただきたいんです」


「クレアの件か?」


 ライから報告を受けていたらしいジェレマイアは、すぐにビオラの意図が分かった。王都でアルゼリアを保護する存在が皆無の状態を、どうにかビオラは打開したいのだ。


「一つ目の約束はしてやろう。2つ目は、そうだな。毎晩俺がここに来れば少しは立場もよくなるだろうが、俺が来ない間にクレアは何かをするだろうな。あいつは過激なやつだから」


 過激なやつ、と聞いたビオラは、アルゼリアが土下座をさせられた姿を思い出して、思わず眉間をひそめた。


「そんな顔をするな。お前の能力を使って、ライを手なずけてみせろ」


 確かにジェレマイアの目が届かないタイミングで、クレアが何かを仕掛けてきたらビオラに止めるすべはない。しかし、ライがそばにいてくれたらどうだろうか?今日のようにミレイユでは太刀打ちできないため、安心してアルゼリアも過ごすことができるだろう。


(――ライ様にアルゼリア様を守ってもらえれば!)


「ライ様をどうやって?私は何をすればいいのですか?」


「それは」


 見上げるような形で膝に頭を置くジェレマイアの顔に、ぐっとビオラが自身の顔を近づける。


「面白くないな」


「はい?」


 ふいっとジェレマイアが顔を逸らし、ため息をつく。


「お前は俺のことを愛していると言ったわりに、全く態度に出さない。しかも、他の男の話を俺に聞くとは」


「そんな!殿下が先に仰ったんじゃないですか!」


「うるさい。ライの話は明日本人に聞け」


 そう言うとジェレマイアは体を起こし、じとっとビオラを睨む。しかし、先ほどまでとは異なり威圧感を感じられず、どこか拗ねた子供のようだとビオラは感じた。


「俺はここで寝る。お前は俺が寝るまでここに座っていろ」


「え?こちらで寝られるんですか?」


 そう言ったビオラはジェレマイアの服装を見て、ゆったりとした質の良い寝間着を着ていることに気が付く。どうやら、食事をとる前から、この部屋で眠るつもりだったようだ。


「久しぶりにぐっすり眠れそうだ。じゃあな」


 そう言うとジェレマイアは部屋の端に置かれたベッドの上で横になり、本当に眠りだした。


「で、殿下?本当にもう寝てしまったんですか?」


 ビオラは恐る恐るソファーからベッドまで移動し、横になっているジェレマイアをそっと見てみる。


(――わあ。まつ毛長い!意外とがっしりとした体格だ)


 まさに生きる彫刻のような美しさのジェレマイアをじっと見つめていると、ぱっと目が開く。


「何だ。一緒に寝たいのか?」


「い、いえ!」


「だったら座ってろ。俺が寝たら自由にしていい」


 そう言うと再びジェレマイアは目を閉じた。ビオラは言われた通りソファーに戻り、ジェレマイアが寝息を立てるまでじっと座っていた。

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