ーIdolー
中尾よる
第1話
第一話
愛してる。
綺麗、かっこいい。
結婚して。
大好き。
そんな言葉は有り余るほど降ってくる。
私の全てを知ってるわけじゃないくせに。何一つ知らないくせに。あなたたちに何がわかるのだろう。
愛してる。誰を?
結婚して。誰と?
綺麗。どこが?
大好き。やめて————
アイドルは虚像。人の求める偶像。それは私じゃない。作り上げられたキャラクターに、誰もが恋をする。
愛してる。大好き。絶え間なく降る言葉に耳を塞ぎ、目を瞑る。そんな言葉、聞きたくない。
偽りの愛と過度な期待が重すぎて、自分の足では身体を支えきれないくらい。
ファンの笑顔が私を突き刺し、足に
愛してる。
綺麗、かっこいい。
結婚して。
大好き。
重くて、倒れそうになる————
「聞いた? あの話」
レッスン室はいつになく沸いていた。いつもは部屋に来たらすぐさまウォーミングアップを始める練習生たちも、今日は軽くストレッチをしながら丸くなって噂話を始める。
「ん、デビューメンバーの選抜のことでしょ」
「オーディションなしだって」
「うそ、じゃあ参考は今までの成績だけ?」
「うっわ……」
「月末テスト上位者に決まってんじゃないの?」
「じゃあ俺らチャンスなしじゃん」
「だね」
「何にしろ、キリは確定でしょ」
「トウ・キリ?」
「そ」
「出た、K.Jの秘密兵器」
「じゃあガールズグループになるのか」
「やった! じゃあ私もチャンスあるじゃん」
「なんで」
「月末試験上位四人はいつも確定でしょ? でも、キリ以外みーんな男子」
「あ」
「そう、六位以下の女子にもチャンスがあるってこと」
「どっちにしろ、男子にチャンスなし……か」
「まあ、発表までは何もわからないけどね」
もちろん、噂の当人もレッスン室の端でウォーミングアップをしていた。軽いストレッチで身体を温める。程よく効いたエアコンのおかげで、床はひんやりと冷たい。天井のライトが綺麗に反射するくらい磨き上げられた床は、今日も踊ってと言わんばかりに光っている。
黒いパンツと紺のシャツにニットのカーディガンを肩にかけ、私はつ……と床に指を滑らせる。ワックスの効いた床肌は指に吸い付くようだ。
「デビューメンバーは誰か……」
不意に声が降ってきて、私は顔を上げた。
「って、噂になってるよ」
隣に座り込み、ストレッチを始めるナギルにもっと離れて、と素気なく手ぶりで伝えるが、彼は鼻にもかけず揶揄うように首を傾げる。
「なってるね」
「トウ・キリは確実だって」
「何を根拠に」
クールだね、と言い、彼もまた、落ち着いた瞳で噂話をしている練習生たちに目を向ける。
練習生同士のおしゃべりは止まらない。このK.J事務所では、朝九時から十二時までは男女合同レッスン、十三時から夜の二十一時までは別のレッスン室に分かれる。事務所内での恋愛は禁止ではないため、午前中の時間を使ってパートナーを探す男女も少なくない。もちろん、練習生にとって、毎日の練習が何より大切であり、デビューするためには全てを賭ける覚悟があるわけだが、毎日の厳しいスケジュールを乗り越えるためにはお互いを癒す存在が必要な時もある。
程なくして、先生がやって来てレッスンが開始された。ダンスの基礎練、演技の練習、バレエ、それぞれ一時間やり、午前中のレッスンは終了した。
タオルで汗に濡れた首周りを拭き取る。タオルが湿って気持ち悪い。頭が蒸れて、毛量の多さに心の中で悪態をつく。
「キーリ、社長が呼んでる」
じっとりと汗を吸ったタオルを肩にかけ、そのまま食堂に向かおうと廊下に出たところでミンジュンに声をかけられた。
「社長が?」
「ん、ナギルとテオも呼んでこいだって。このメンツ呼ばれるってどういうことだろ」
首を傾げる彼に、君も? と聞く。
「うん、だから尚更……月末試験上位四人が同時に呼ばれるとか、今までなかったしー」
確かに、と頷く。廊下を食堂とは反対側に曲がり、社長室に向かう。エレベーターで五階まで登れば目の前に現れる社長室は、社長室というにはシンプルな扉で、扉横に小さく”President's office”と書かれた札がつけられていた。あまり訪れることがないので、思わず扉の前で深呼吸する。
ノックを三回。社長の返事が聞こえてから、ドアノブに手をかける。
「失礼します」
「失礼します」
ミンジュンが後ろ手に扉を閉めたのを確認し、社長が机から手招きをした。既にナギルとテオは揃っており、その他にもう一人、見たことのない青年が立っていた。机を正面に一列に並ぶ。
社長が机の上で指を組み、私たち一人ひとりの顔を確認するように見ていった。固唾を飲み込み、社長の言葉を待つ。
「君たちは、なぜここに呼ばれたかわかるかい?」
そう言って社長は組んだ指に顎を乗せた。
呼ばれた理由。今呼ばれたことに意味があるなら、すぐに思いつくのはデビューメンバーの話だ。でも私以外全員男子なことを考えると、その可能性は考えにくい。しかし、もう他の理由は思いつかず、私は口をつぐんだ。
「デビューメンバーのことですか」
こういう時、決まって最初に口を開くテオが問う。結局、他の練習生にも、それ以外のアイデアは浮かばなかったようだ。右隣のミンジュンがちら、とこっちを見たのがわかった。社長が口を開く。
「ああ」
えっ、と隣で声がした。ミンジュンだ。思ったことがすぐ口に出る。しかし、私も心の中で同じ声を上げていた。
え? デビューメンバーのことで呼ばれたってこと?
「ソヌ・ナギル、イム・テオ、トウ・キリ、コ・ミンジュン、それからアン・ジェイ。君たち五人を今年の夏、デビューさせようと思う」
今年の夏。もう半年もない。
「辞退する練習生はすぐに名乗り出てくれ。いなければこのまま話を進めるが」
「あの……っ」
辞退するつもりはさらさらなかったが、声を上げたタイミングが悪かったようで、全員が驚いたように私を見た。
「あ……いえ、辞退ではなくて、社長に質問が」
なんだ、という空気。すみません、と小さく頭を下げる。
「主観ですが……今までデビューしたアイドルグループは、ヨジャ(女性)グループやナムジャ(男性)グループのように男女分けたものが圧倒的に多く、近年男女混合グループも出てきたとはいえまだマイナーな印象です。ここに呼ばれたのは私以外、全員男性になりますが……」
マイナー、という言葉を使ったことを指摘されるかと思ったが、特に気に留めることなく、社長はゆっくりと頷いた。
「そのことについて、今から説明しようと思っていたところだ」
社長は座っていたアーロンチェアから立ち上がり、腕を後ろに組んで窓際に寄る。
「君たちがデビューした時のコンセプトは、ダークなイメージで、五人の少年たちの悩みや悲しみを歌いつつ、ファンを励ましたり、希望を持たせる感じで行く計画だ。ただ」
そう言って、窓の外に置いていた視線を室内に戻す。
「歌詞は全て英語、それからキリは長身だから、大抵の場合他のメンバーと同じ衣装で同じ振り付けを踊ってもらいたい。あまり……今までに見たことのないグループになると思う」
午後の練習は、私たち四人だけ集中力が欠けてると指摘を受けた。テオはしょっちゅう振りを間違えるし、ミンジュンは浮かれて上の空、ナギルは唯一冷静そうに見えたが、日々練習を見ている先生の目は誤魔化せないようだった。私といえば、もちろんデビューの話に浮かれる気持ちもあったが、伝えられたコンセプトや方針のことが頭から離れなかった。当然ワクワクする気持ちもある。デビューしたくて倍率の高いこの事務所のオーディションを受け、練習生になり日々努力してきたのだ。浮かれないわけがない。一方で、不安もあった。今までにないアイドルグループとしてデビューする、ということもあるし、そもそもデビューすることに緊張と不安がある。でも、その緊張感さえ心地よかった。
結局、私たち四人は午後はずっと注意されっぱなしだったが、先生たちも、私たちがデビューメンバーだと知ってか知らずか、仕方ないなあという風に時折笑っていた。
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