第十一話 シスターの瞳はほんのり紫色
✣*✣*✣
――グキッ
庭に迷い込んだ猫が二匹。一匹はそのまま食べて、もう一匹は首をへし折ったところ。
死体はそこまでお腹に溜まらないのはわかったけれど、死んだ直後ならどうかという実験。
「どう? カテリィン? 脳はまだ動いてると思うけれど」
――トクン
「ふぅん。同じくらいなら……そういうことなのね」
お腹の満足度は主に脳に起因するよう。生きていれば高く、死んでいれば低く。肉の量より脳のが満足度が高い。
「じゃあ猫とネズミと比べたら?」
――トクン
「そう、猫のが少し高いのね。やっぱり知能差も影響あるかしら? それか脳のサイズというより……」
蓄えている情報量の差、か。
今すぐもう二匹同じ動物の年齢差があるので試したいところではあるのだけれど。そういうわけにもいかない。
「キャシー! そろそろ行くわよー!」
「ふぅ。お呼ばれしちゃったわ。……はーい!」
元気な声でも顔は相変わらず動かない。
口角は上がるようになってきてはいるものの、やはり余程ご機嫌でないと変わらないようだ。
✣*✣*✣
「久しぶりの日曜学校ねキャシー」
「そうね」
「その……大丈夫? 行きたくないとか……ある?」
「特にないわ。むしろ少し楽しみかしら?」
「そ、そう。なら良いの」
いじめられたこともあり、不安げなローラ。しかし当の本人は正反対。母の気持ちとは裏腹に……と、言いたいところではるものの。陰りは拭われない。
何故なら、キャサリンの表情が動かないから。我慢されていたら自分はわからないと思っているから。拭うことは叶わない。
「おや? イングリスさん。帰っていたんですね」
「えぇ、少し前に」
「旅行はいかがでしたかな?」
「とても楽しめたわ。私はあっちの言葉はわからないから夫に頼りきりでしたけどね」
「はっはっは。それもまた醍醐味ですよ。むしろそういうの含めて羨ましい限りですよ」
「ふふ。そうですね」
「…………」
(あ〜……はじまってしまったわ)
よく病院に来る老人に捕まってしまった。
こういう時の大人の会話のまぁ長いこと。
けれど送迎中のキャサリンに逃げ場はなく。ただ、立ち往生するしかない。
(お年寄り……お腹に溜まるかしら?)
――トクン
(わかっているわ。冗談よ)
――…………
不穏なことを考えるキャサリンを制するカテリィン。普通逆ではなかろうか。
いや、そもそも彼女が普通とは程遠い娘。
考えても、仕方ない。
「……ふぅ」
老人との会話が終わっても何度も話しかけられて、余裕を持って家を出たのにかなり時間を食ってしまってもうギリギリに。
どうして大人というのはこうも子供を待たせてまでおしゃべりに興じたがるのか。
(ま、少し前まで町で唯一の医者だったものね。人気者って辛いわ)
――トクン
(そうね。正確には人気者の娘、ね)
あくまで人気者はチャーリー。娘であるキャサリンは、なんならローラもおまけ。
人気者の取り巻きも相伴に預かれる。と、いったところだろうか。
相伴と言うには、キャサリンに利点は欠片もないのだけれど。
「あら、おはよう。久しぶりねリトルキャシー。イングリス夫人も、おかえりなさい」
「おはようございますシスター。今日もお世話になるわ」
「ごきげんよう。今日もお願いします。シスター」
教会前、箒で掃除するシスターへ親子揃ってのご挨拶。
微笑ましくもあり、同時に親子揃って日曜学校の為に訪れるのはこの一組だけ。
つまりいじめられるのも、それに準ずる問題を持っているのはキャサリンだけということ。
素直には、喜べない。
「ではリトルキャシー。一緒に行きましょうか」
「……えぇ」
土地勘もなく、外国で人の多い地域ならともかくとして。地元の教会で手を繋ぐなんていうのはキャサリンの年齢ではいない。十一歳ではいない。十歳でもいない。
けれど、これが周りのキャサリンへの評価。
勉強以外欠落した……いわば障害者扱い。
あながち間違いではないものの、キャサリンとしては不満げ。
その顔も、読み取られないのだけれど。
(まぁでも……)
シスターはそこまで嫌いではない。
まだ会話は通じるし、同情はシスターの仕事のようなものだし。そう考えれば至って普通に接してもらえてると感じるから。
もし、ただの気の優しいだけの人であれば、きっとモーヴあたりと同じ程度には好感度は低かったことでしょう。
けれど安心はできない。何故ならこのシスター。
(元はどこかのお嬢様で、良いご教育を受けたのだったかしら? ……少し、興味あるわ)
キャサリンにとって、好感度なんて関係ない。
好奇心を満たしてくれるならば。自分の利になるならば。あっさりと捨てられる娘なのだから。
✣*✣*✣
「はい、では今日はここまで。まっすぐお家に帰るのよ」
「「「はーい!」」」
「…………ふぅ」
簡単な文字の書き取りと、絵本。それから簡単な計算を教えておしまい。
時間があればピアノ伴奏付きの合唱などをやることもあるが、今日はなし。
実にシンプルな日程。
(さて、と。あとはママのお迎えを待つだけね)
他の皆はぞろぞろと帰っていく中、キャサリンだけは居残り。
不思議そうにキャサリンの方を一瞬振り返る子も中にはいて。けれど彼女の表情を見ると、そそくさと帰っていく。
(失礼な子たち。まぁ、あんまり見覚えなかったし。たぶん新しい子たちかしらね)
イングリス一家が旅行に行き、帰ってからキャサリンの療養を含めると約一ヶ月が過ぎていた。
つまり、この
だから、キャサリンのこの不気味な
「……じゃあ、リトルキャシー。待ってる間……お話でもしましょうか?」
「……? えぇ……」
皆いなくなり、あとは迎え待ちのキャサリンだけ。
いつもシスターがローラが来るまでの相手を務めてくれる……の、だけれど。
(あれ? なんだか……いつもと違うような……)
いつも優しいシスター。
けれど今日はなんだか、瞳の奥に圧を感じる。おしゃべりのお誘いも、なんだか話し方が固い。
優しいシスター。おおらかなシスター。いったいどうしたのでしょうシスター。
「ねぇ、リトルキャシー。旅行先は……その、どこだったかしら?」
「ジェルマンニールよ」
「そ、そうなの……。どうだった?」
「楽しかったわ」
「どんな風に?」
「そう言われると困るのだけど。異国は初めてだったし、違う言語に触れるのが特に……と、いった感じかしら」
「食べ物とかは?」
「いろんなソーセージを食べたけど、真っ赤なやつはわたしは好みではなかったわ。ハーブが多いのもちょっと。でも肉肉しいのは嫌いじゃないかな」
「それじゃ――貴女はカビを浴びてきたのかしら?」
「……?」
シスターが発した言葉は彼女の知らない言語。カテリィンも特に反応はなく。キャサリンはただ小首を傾げるしかできない。
「なんて言ったの? シスター」
「…………いえ、ごめんなさい。今のはジェルマンニールの言葉で簡単なあいさつをしてみたの。昔勉強していてね。リトルキャシーは頭が良いからもしかしてと思って。試してごめんなさいね?」
「いいえシスター。気になさらないで」
(あら、これはシスターが探りを入れてきたってことかしら?)
ジェルマンニールの言葉ならわかる。けど理解できなかったということは違う言語なのは明白。
シスターは間違いなく、キャサリンになにかしらの疑いをかけているのはまず間違いない。
しかし、キッカケがわからない。今の今までキャサリンはいつもと変わらないのに。
(とにかく、これからはシスターは警戒した方が良いかしらね。カテリィンはどう思う?)
――トクン
(あら、わたしだって別になんでもかんでも首を突っ込んだりしないわ。ただ少し、好奇心に負けてしまう時があるだけよ)
――…………
少し……の部分に引っかかるが言及はしない。
キャサリンという生き物はカテリィン以上に思考が異常というだけなのだから。
「シスターはジェルマンニールに行ったことは?」
「残念ながらないの。いつか機会があれば行ってみたいとは思ってるけど……立場上なかなかね」
「教会にひとりきりですものね」
昔は神父や他のシスターもいたらしい。けれど、時を経るにつれて人は減ってしまって今はこのシスターひとりだけ。
アノン教には厳しい戒律はないものの、創世神であり隣人であるアノンへの祈りの場とそれを管理する人間が必要。だから各地の教会には最低ひとりの教会関係者を常駐させている。
最低ひとり、ということは二人以上いれば順番に休日をとることもできようものだが。残念ながらこの地には当てはまらない。
「人生は長いし。急いで旅行なんてするものじゃないから。私はのんびり待つことにしてるの」
「そ。わたしも今回の旅行は楽しかったからまたしたいわ」
「ふふふ。次旅行した時はお土産話をたくさん聞かせてね。今回は感想を抱く余裕もなかったみたいだから」
「そうね。シスターも機会があればお話してね」
「もちろん」
その後も楽しいおしゃべりはローラの迎えが来るまで続いたものの、探りを入れられたのはあの一回きり。
けれどキャサリンは二度とシスターを人畜無害な優しい人とは思わないだろう。
直感というにはシスターの行動があからさま過ぎるが。間違ってはないのだし。細かいことは置いておこう。
(そういえば、シスターの瞳をはじめてしっかり見たけど。ほんのり紫色なのね。シスターへの
✣*✣*✣
「はい。こちらユジェニー・パルパプルポラ・フルリです。はいアンゲリィの。はいそこです。緊急……と言えば緊急だとは思うのですが……まだ確証はなくて。ただ、ご報告すべきと判断した次第にございます。実は――」
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