秋月さんの初体験 1
ゴールデンウィークが明けた。
豊瀬先輩と輿石と出掛けていたという特異点はあるものの、その他の日は家でのんびりごろごろぐーたらするという目標が達成できたので良しとしよう。
周囲から見たらどうかわからないけれど、私個人としては非常に充実して満足感のある……そんなゴールデンウィークだった。最初はゴールデンウィークなんかあっても……と思っていたのに、過ごしてしまえば恋しくなる。
人間ってワガママだなあと思う。いいや、ワガママなのは人間じゃなくて、私だけなのかもしれない。
私はもちろん、社会人の方々も小学生や中学生も、皆の元から均等にゴールデンウィークはは去っていった。去らなかったのはニートと無職だけ。基本は去って行く。
戦場という名の職場や学校へ駆り出される人々が電車の中で鮨詰めにされている。
突然現実世界に引き戻されたような。そんな感じ。
入学式当日はピカピカの高校一年生だったのに、もう今ではカピカピの高校一年生だ。
排水溝へ流れる水のように、私は歩く。電車から下車して、ホームから階段へと向かい、流れに逆らわずに階段ではなくエスカレーターの方へと歩いて、順番を待つ。エスカレーターで足を止めて、終着点に辿り着けばまた歩みを進める。
決められているかのように、流れる。改札へと向かい、改札を抜ける。
そうすれば人々は自由奔放に……いいや、自分勝手に相手のことなど考えることなく、自分の歩きたい方向へと歩む。
時にはスマホに目線を落としつつ、時になにも考えず、死んだような目をしながら。
本来であるのなら混沌を極めてもなんらおかしくない。けれど、兵隊のように洗練されているので、混乱が生じることも混沌と化すこともない。
周囲も私もこの状況を日常として受け入れる。
きっと、皆これが当たり前であって、また私もこれが当たり前になりつつある。
「おす」
学校の方面へ歩き出す。歩き出してすぐ。五歩進んだくらいのことだった。
壁際から微かに声が聞こえる。
それはあまりにも聞き馴染みのある声であって、否が応でも私を呼び止める声であると理解できてしまった。
私はゆっくりとそちらへ目線を向ける。
そこには自転車のハンドルを両手で握り、歩き出す輿石の姿があった。
「おす」
私も真似して挨拶をする。
「で、どうしてここに」
次に私は疑問を述べる。
挨拶をするだけして、当然のように私の隣に並んで歩く。
さっき私が当たり前やら日常やらと思っていたように、輿石にとってその一挙手一投足が当たり前みたいな雰囲気が感じ取れる。いつもしていることですよ、みたいな空気感だ。ただ私にとってはあまりにも不思議なものである。日常と言う言葉では片付けられない。だから、問いを投げてしまう。
「学校に行くから」
至極真っ当な答えが返ってきた。
そう言われてしまうと、私は「そうだね。その通りだと思うよ」と答えるしかない。
でもねえ、それを求めていたわけじゃないんだよなあ。
そんなの言われなくともわかるし。
あ、でも輿石みたいな不良ちゃんは学校サボってどこかに出かけたりするのかもしれない。
ふむ、ありえる話だな。
「で、どうしてここに」
私は同じことを問う。そっちがそうするのなら、こちらもそれなりの反応をしてやろう。そういう意地の張り合い。私が一人で盛り上がっているだけかもしれないけれど。
「恋人と学校行くのは自然なことじゃねぇかって思うんだけど……。そう思うのはアタシだけなのか」
「あー、そういうことね」
理解した。納得だ。そういえばそうだった。私たち一応付き合っているのか。
この金髪の女の子と付き合っている。
私はちろりと輿石の顔を見る。なんとも不思議な気分だなあと思う。
どういう形であれ、人生初めての恋人が同性であるとは思わなかった。私にできた初めての恋人は彼女。小学生の私にそれを教えたらどんな反応をするのだろうか。興味無さそうに聞き流すか、正気かって嘲笑されるか。どっちかだろうな。
偽りだ。実際の恋人ではない。けれど実際の恋人に近しい形でなければならない。少なくとも表面上は。
「そういうことなら言ってくれれば良かったのに。こっちに着く時間とか教えたよ」
協力すると言った以上、それくらいの義務は私に生じていると思う。
「無闇矢鱈に連絡すっのも迷惑だろうなーって」
人の心を慮れる優しい子ですね。
「でも、今日待ってたんじゃない。かなり」
「あー、んー、どうだろうな」
「はっきりとしないね」
「あんま気にしてなかったからわかんね」
「そっか」
「うん、そう」
こうなると深く反応できない。深層に手を突っ込んで良いものなのかと不安になる。
「ま、私はいつもこの電車で来るから。一緒に学校行くのならこの時間で待っていて。さっきのところでね」
「おうよ」
毎回毎回待たせるわけにもいかないし、明言しておいた方が良い。
たまに程度なら待たせても罪悪感は抱かないのだけれど、毎日待たせてしまうとなると話は変わってくる。
「それよりも。ほら」
私は右手を差し出す。
右側にいる輿石は不思議そうに私の顔を見つめる。瞳をだろうか。それとも鼻の頭をだろうか。うーん、具体的にどこを見つめているのかイマイチわからないけれど。見つめている。
「ん」
私はさらに声を出す。
そして手のひらをふいふいと動かす。
「ああ、わかったぞ。お金だな、お金」
「なんでお金……カツアゲしないし。するなら輿石が私にする方が様になるでしょ」
自分でもなにを言っているのだろうということを口にする。
でも、ヤンキーっぽい見た目なのは明らかに輿石だし。
「アタシ、恋人にそんなことしねぇーし」
不満そうに頬を膨らませる。
偏見まみれだったなあ。私は誤魔化すように苦笑する。そして、手をふらふらと動かす。
「手繋がないの」
「繋ぐって、繋いで良いのかよ」
輿石は吃驚しながら首を傾げる。
なんだこれ。めっちゃくちゃ恥ずかしいんだけれど。これじゃあ私が舞い上がっているみたいじゃん。
「繋がないんだ。繋がないならそれで良いけれど」
私は平静さを装いながら答える。実際は心臓が破裂しそうなほどバクバクしているのだけれど。
寂しく差し出す手の平を引っ込めようとすると、カチッと重たくなる。重たくなるのと同時に温かさが私の手のひらに広がる。
人肌の温かさ。手を掴んだのだ。
二ヒヒと笑う。白い歯を見せる。不意に可愛いなと思ってしまう。女の子を好きになるような趣味はなかったはずなのに、可愛いと思ってしまった。
本当に引き戻せない方向へ歩いているような気がしてならない。
そんなことはないよ。大丈夫だよ。気のせいだよ。と、私の心に言い聞かせた。
手を繋いでいるせいで注目を浴びる。
目立たないだろうと思っていたのだけれどそんなことはなかったようだ。
「目立つね」
「だから言ったでしょ。目立つと思うよって」
輿石はたしかにそう言っていた。私よりも周囲が見えているのだろう。
「まだ間に合うけど。どうする」
駐輪場へと向かいながら輿石は私に問いかける。
なにが間に合うのか、なのがどうするなのか。
ちょっと考える。するとすぐに答えに辿り着く。
ああ、この恋人ごっこをやめても良いよということなのだろう。
私が想定していたよりも目立っているのは事実だ。
けれど、ここでやめるという、逃げに近しいような選択をするのは私のプライドが許さない。
しょうもないプライドかもしれないけれど、私にだってプライドというものはあるのだ。
「大丈夫」
だから私はそう答える。俯いて、顔を上げて、輿石の瞳を見つめて。その奥まで見てやるってくらいガッチリと見つめて。
「ほんとに大丈夫か」
輿石は憂い気な表情を見せる。純粋に心配そうという感じだ。そんな顔をされると揺らいでしまう。でも、プライドは負けない。折れない。
「もう慣れたから。大丈夫」
強がる。そんな強がり方しなくても良かったのではと思いつつも、これしか思いつかなかった。私って不器用だなあと実感する。
「そっか」
だったらそれ以上触れないよ……と言う感じで、輿石は食い下がる。
私たちは手を繋いだまま、駐輪場をあとにする。
そのまま教室へと向かう。一度下駄箱で手を離して、そのあと合流した際にまた手を繋ぐ。
やるならやってやる。そう、徹底的に。
私はそう決意した。
さあ、勘違いしてくれ。私と輿石は付き合っていると。勘違いしてくれ。
変なテンションになってしまった私は、輿石の指に指を絡ませて、恋人繋ぎのような繋ぎ方をしている。
教室に入る。やけに注目を浴びる。
ふーむ、手を繋ぐってこんなにも目立つようなことなのだろうかと思索する。とてもそうとは思えない。
もっとも最近は私の常識は信用ならないので、そういうものなのかもしれないと思っておくことにした。
友達同士でも手とか普通に繋ぐものだと思うんだけれどなあ。
席についてからやっと手が離れる。離れてまた繋がることはない。その物足りなさに一抹の寂しさを覚えてしまう。自分でも驚いた。そう思ってしまうんだと。
「おー、お付き合いしたのですね。おめでたいことで」
「んん。めでたいことか」
「めでたいことではないですか」
「ああ、それもそうか」
「いいや、どうなのでしょう」
「知らない。興味もない。めでたいことなのなら祝福しよう。天使の加護があらんことを」
「めでたくないのかもしれませんね」
「そう。じゃあさっきの取り消しで」
そう言って絡んできた二人はふらふらとどこかへ行ってしまう。
日頃から私だけでなく、輿石にも絡んでくる不思議な存在だ。存在もなにもクラスメイトなのだけれど。
深いこと考えないタイプなのか、それとも周囲の目とか気にしないタイプなのか。
どちらにせよ、クラス内で距離を置かれている私たちに気負うことなく軽く接してくれるのは嬉しいなあと思う。
友達千人できるかな計画はオオゴケしたけれど、こういう人たちと細々と仲良くできればそれで良いかと思い始めている。
どうせ人脈を広げたところで、その人脈は高校を卒業と同時にすべて切れてしまうのだから。
小中の友達とまともに連絡を取っていないし、会ってもいない私が言うのだから間違いない。憶測ではない。経験則だ。
「アイツらどこ行ったんだ。もう授業始まるのに」
二人が出て行った扉を輿石は見つめる。
「まあ、どうせフラッと戻ってくるよ」
苦笑しながらそう答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます