秋月さんの人脈大革命 5

 五分ほど歩いたところで目的地に到着する。

 こじんまりとしていて、お世辞にも綺麗だとは言えない店構え。大きさも外観からはさほど広そうには見えない。そして極めつけは入りにくそうな雰囲気。

 私一人だったら絶対に尻込みして、まあこれもまた運命ということで……と訳のわからない理由を付けて逃げ帰っていたと思う。

 豊瀬先輩は臆することなく扉に手をかけ、そのまま扉を開く。

 カランカランという鈴の音が鳴り響く。

 その後ろ姿はできる女という感じ。まあ、要するに様になっているということだ。


 「お好きな席どうぞ」


 マスターらしきおじさんはそう声をかけてくれる。私は軽く会釈をする。

 豊瀬先輩はつかつかと歩いて席を吟味し、一番端っこの席を確保する。

 颯爽と座ると、とんとんと目の前の机を指で叩く。座れということらしい。

 こういう雰囲気のお店は来たことがない。だから、なんだかソワソワしてしまう。そんな浮ついた気持ちを隠すように一つ大きな呼吸をして、席につく。


 「私はコーヒーかな。秋月さんはどうする」

 「そうですね……」


 こういうところではコーヒーを頼むのが普通なのかな。苦いのはあまり得意じゃないから本当はラテ系が良いんだけれど。この子変とかマスターに思われたりしないかな。目立ったり、顔を覚えられたりするのは嫌だし。やはり、ここは大人しく豊瀬先輩と同じようにコーヒーを注文しておくべきなのかも。


 「私も同じコーヒーにします」

 「そう。それじゃあ注文しちゃうわね」

 「あ、ありがとうございます」


 私が礼を口にしたのと同時にパッと手をあげる。

 そして、手際良く注文をする。と言っても、ブレンドコーヒーのホットを二つと言うだけなのだが。


 「今日は来てくれてありがとう。ゴールデンウィークだし、突然だったしで来てくれるとは思っていなかったわ」

 「先輩からのお誘いですから。無下にはできませんよ」

 「そっか。ふふ、そうね」


 豊瀬先輩は楽しそうに笑う。


 「あーっと……」


 沈黙が続いて気まずくなる。見切り発車で言葉を発してみたが、続く言葉は出てこない。詰まってしまう。


 「……?」


 豊瀬先輩はこてんと首を捻る。そして、続きの言葉を待つようにじっと私の瞳を見つめる。

 悪手だったなあ、と後悔する。

 素直にこの沈黙を受け入れておくべきだった。ここからなにを話せというのか。

 こう言ったら豊瀬先輩に申し訳ないが、特段会話したいことなどない。コミュニケーション能力に長けていれば、いくらでも会話は生まれるのだろうけれど、私はコミュニケーション能力に長けていない。むしろ、欠如している。


 「あそこの水族館どのくらい行ってるんですか。年パス買ってるってことはそこそこな回数行ってるんじゃないかと思うんですけれど」


 不安なのでたらたらと喋ってしまう。そんな気になるようなことでもないのに。


 「二ヶ月に一回とかのペースかなあ。シロイルカが恋しくなったら行くって感じ」

 「あー、そうなんですね」


 なんで不安に思っていたのだろうというくらい軽い回答が帰ってきて、苦笑してしまう。

 拍子抜けた心を見透かされないように、雑な返事をする。


 「興味ないわよね」

 「アハハ、そんなわけないじゃないですかー。もー、先輩ったらやだなー」


 手のひらをクネクネさせながら、作り笑いを浮かべる。あまりにも雑な返事だった。

 気をつけなければならない。

 とはいえ、なにか興味のある話題があるわけじゃないし。世の女子高生たちはこういう状況でなにげない話題を提供するのだろう。私には到底できることではない。

 入学式の時はキラキラした女子高生になりたいと願っていたが、無理な願いだったのだなと今なら理解できる。

 ニワトリが空を飛びたいと願うようなものだ。

 コーヒーカップが運ばれてくる。

 ゆらゆらと揺れるコーヒー。つーっと私の目の前にカップを滑らせる。

 私の心底を奮い立たせるような苦味のある香り。缶コーヒーやコンビニのコーヒーじゃ到底味わうことのできない感覚だ。

 これがこういう味のあるお店で提供されるコーヒーなのか。コーヒーなんかコンビニやら自動販売機で事足りるのに。なんでわざわざカフェやら喫茶店やらに出向いて、高いお金を出すのか。疑問だったが、今この瞬間にその疑問は晴れる。


 「なんで私だったんですか」


 あまりにも心がスッキリしすぎて、ポロリと口にしてしまう。

 メンヘラみたい疑問だなあ、と思う。こんなこと考える自分に嫌気がさしつて、気付かないように心の奥底に押し込んで、見て見ぬふりをし続けていたのに。これじゃあ意味がないじゃないか。


 「なんでってなにが」


 豊瀬先輩は至極真っ当な疑問を抱く。あまりにも脈絡も具体性もない問い。自然な反応だと私でさえ思う。

 まだ誤魔化せるなとも思った。思ったんだけれど、じゃあどうやって誤魔化すか。そこまでは頭が回らない。とりあえず空いた隙間を埋めるように、私は間抜けな訥弁を出すが、そのあとに言葉は続かない。つっかえるとか、つっかえないとか、そういう以前の問題だ。


 「今日、なんで私を誘ったのかなあ、と思いまして」


 諦めて素直になる。コーヒーに口付ける。あったか~いコーヒーは私の喉を通り、胃袋へと滴り落ちる。カフェインは吸収されて、脳みそに染みわたる。そういえば、日本人はコーヒーのカフェインはそんなに吸収できないって聞いたことがある。吸収した気になっているだけなのかも。


 「秋月さんともっと仲良くなりたいなと思ったから。それじゃあダメかな」

 「私と仲良くなりたい……ですか」


 私と仲良くなるメリットって豊瀬先輩になにかあるのかな。少し考える。

 生徒会運営がスムーズに進むようになるとかだろうか。というか、それくらいしか思いつかない。

 メリットとしては十分か。私ちゃんと生徒会やっていなかったし。


 「私は秋月さんのことちゃんと知らないし、秋月さんは私のことちゃんと知らないわよね。お互いに表面上しか知らない。それはそれで良い側面もあるのだろうけれど、そういうビジネスライクのような関係。私は嫌だなあと思うのよ」


 そう言いながら、コーヒーカップに手を付ける。

 カップの淵に付着した紅い口紅を指で拭う。


 「お互いに深く知るためにはなにかきっかけが必要だと思うの。私たちの間にある年齢の差を埋めるようなきっかけがね」


 ちょこっと余っていたコーヒーの残りを呷る。そして、ふぅと小さく息を吐く。

 一歳しか変わらないのに年齢差。数字としてはとても小さな差と言えるだろう。地球規模で考えればミジンコレベル。なんなら無いと言っても良いのかもしれない。でもそれはあくまでも数字上の話だ。

 実際、その差を目の前にすると大きいなと思う。

 溝というか、谷というか。

 時の流れに身を任せ、その溝や谷が埋まるのを待ったとして、どれほどの年月を要するのだろう。考えただけで恐ろしい。きっと埋まることなく豊瀬先輩は卒業してしまうだろう。

 というのを、私だけではなく、豊瀬先輩も感じていた。感じていたからこうやってきっかけを作った。

 行動原理を理解すると、豊瀬先輩は本気で私と仲良くなりたいんだなあ、というのがわかる。怯えて、壁を作って、無理矢理距離をおいて、警戒する。そんなことをしているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。

 あちらからわざわざ歩み寄ってくれている。なにか裏があるのではと勘繰って、警戒するのは失礼だろう。

 だからもうやめよう。警戒するのも、いちいち怯えるのも、勘繰るのも。全部やめよう。


 「私も先輩ともっと仲良くなりたいです。まだ水族館とシロイルカが好きってことくらいしか知らないですし。もっと色々と先輩のこと教えてください」


 あとは女の子同士が恋する内容の小説を大事そうに持っていることぐらい。もちろんこれは言わないけれど。


 「それじゃあ――」


 こうして、私は豊瀬先輩と濃密な時間を過ごしたのだった。

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