秋月さんの人脈大革命 3

 時間に身を任せた。そう言えば聞こえは良いけれど、実態としてあるのは思考の放棄。またの名を問題の先延ばしという。

 寝て、起きて、やってしまったと後悔の念が私を襲う。

 何年も付き合っているような友達であれば、予定もなにもなくたって、それなりに楽しむことはできるだろう。なんならダラダラと歩きつつ、意味の無い会話をするだけで数時間と楽しめるのだから。

 でも豊瀬先輩の場合は違う。

 あちらは私のことをどう思っているのわからないけれど。まあ、そこそこ気に入られているのかなとは思う。けれど、こちらとしてはちょっと取っ掛かりにくい。というか、なんとなく怖いなと思ってしまう。おっかなびっくりしてしまうのだ。


 「どーすんかなあ」


 部屋を見渡した。

 なにかこの状況を打破してくれるような素晴らしいアイテムは転がっていないかな。そんな都合の良い物を探す。

 もちろんそんな物は転がっていない。転がっているのなら昨日気付いているし。

 大して関係値の深くない先輩と遊ぶのに相応しいファッションを身に纏い、数時間も要するようなメイクはしないけれど、それなりに本気でメイクをして、爪に水色の透き通ったマニキュアを塗る。思ったよりも可愛く仕上がったなあ、なんて思う。

 髪の毛もセットしようかと思ったけれど、結ぶよりも梳かす方が良いかと思って、櫛で流すだけにした。


 この先どうなるんだろうなあ。一抹の不安を抱えつつ、私は家を出る。

 きっと、どうにかなる。数時間後の私がどうにかしてくれるはず。いいや、そもそも私は豊瀬先輩のことを信頼しているわけであって……私が困るようなことや危惧しているようなことはなに一つとして起こらない。そうだ、そうに決まっている。

 自分自身にそう言い聞かせながら、若干重たい足取りで集合場所である百合百合ノ華女学院の校門へと向かった。


 十分前に近くまで到着する。先輩を待たせるわけにはいかないから。早く到着するのは当然だ。当然だけれど、偉いなあとは思う。

 同級生なら遅刻してもまあ良いかと思えるけれど、先輩を待たせるわけにはいかない。

 比較的ちゃらんぽらんな自覚のある私だが、そういう最低限のプライドは持ち合わせている。

 とりあえず校門の前で待とうと、向かう。校門前には人影があった。私たちと同じように待ち合わせをしているのだろう。邪魔にならないようにそーっと……って、あれ豊瀬先輩だよね。

 ベージュのぶかっとしたパーカーに、ぱつんとしたデニムパンツ。いつもは長髪をおろしているのに、今日はお団子ヘア。それでも髪の毛は余っているらしく、お団子からちょろっと髪の毛が出ている。尾ひれみたいだ。

 普通の女子がそんな髪型をすればだらしないとか、そういうマイナスの印象を持つのだけれど、豊瀬先輩はそもそものビジュアルが良すぎるせいで、マイナスをもプラスに変えている。

 プラスとマイナスを掛け算したらマイナスになるはずなのだけれど。どうやら数式は豊瀬先輩には通じないらしい。

 なんて声をかけようかな。待たせてしまっていたわけだし、やはりここは謝罪から入るべきだろうか。いいや、時間的には遅刻しているわけじゃないし、謝罪をするのはおかしいのかも。ここはなにも気にしていないようなスタンスで挨拶するべきでは。

 あれこれ悩んでいると、豊瀬先輩は私に気付く。ヒョイっと手をあげて、表情を綻ばせる。その表情を見て私の心に張り巡らされていた緊張の糸は弛緩する。


 「おはよう」

 「おはようございます」


 まあ、なんでも良いか。

 私はパタパタと走り、豊瀬先輩の元へと寄る。


 「早いですね」

 「遅刻なんてしたら先輩としての面目が立たないもの」

 「そういうものですかね」


 先輩としてのプライド的なものなのだろうか。うーん、良くわからない。歳上なんだからもっと楽にしていて良いものではと思う。先輩は後輩を待たせてなんぼだよなあって。

 豊瀬先輩は約束は誰であろうと守る。きっちりする。それが豊瀬先輩って言われたら確かにその通りなのかもとは思うけれど。というか、どっちかといえば私がおかしいのかもしれない。


 「それはそうと、今日はなにするんですか」


 早速切り出す。私の心中に渦巻く不安を早く取り除きたかったから。


 「なにも言われてないのでなんにも準備してないんですけれど、問題ないですよね。大丈夫ですよね」


 心配を打ち消すために、矢継ぎ早に質問を投げる。

 あとは準備が必要だったとしても、私は悪くないですよ。そういう責任転嫁も含めている。


 「大丈夫よ。なにするか考えてきてるもの」


 杞憂だったようだ。私の中で高く積み上がっていた心配は、彼女の言葉がサラッと溶かしていく。


 「そうなんですね。それじゃあお願いします」

 「ふふ、任せてちょうだい」


 ポンっと自信満々に胸を叩く豊瀬先輩に任せた。



 豊瀬先輩は歩く。私は豊瀬先輩の後ろを雛鳥のようによちよちと着いていく。進行方向は学校の最寄り駅。

 私が今まで歩いてきた道を逆戻りしている。ついさっき見た光景をなぞるように歩く。

 そして目の前に見える高架橋。

 それを沿うようにまだ歩く。細い道からロータリーに合流する。沢山のタクシーが乗客待ちをしている。駅前に来たという感じが強くなる。


 「もしかして電車乗る感じなんですか」

 「乗るつもりだけれど。不都合あるの」

 「いいや、無いです。大丈夫です」


 そう答える。不都合はない。それは本当だ。

 これなら駅で待ち合わせすれば良かったのではと思ったくらい。そう。決して不都合があるわけじゃない。

 改札を抜けて、エスカレーターに両足を乗せる。デジャブな光景が目の前に広がる。なんかこんなの昨日見たな。


 「なにか面白いことでもあったのかしら」


 振り返って私の表情を見た豊瀬先輩は不思議そうに問う。

 そんな弛緩した表情していただろうか。たしかめるようにぺたぺたと頬やら、目元やら、口元やらを触ってみるがわからない。まあ、わかるわけないか。


 「そういうんじゃないですよ」


 からっと誤魔化す。

 はたして誤魔化すというほど誤魔化せていたのか。甚だ疑問だが、良いだろう。

 やってきた電車に乗り込む。がたんごとんと揺れる。

 東京駅に向かって走る電車なだけあって、乗車人数は多い。

 座りたくても座れない。足の悪そうなお年寄りがいても席を譲らない。スマホやら本やらに釘付けになって、目を離さない。私は周りを見ていないから状況はなにもわかりません。だから譲るべき人がいても気付いていませんよ、と言っているようだった。

 現代人を象徴するような光景だ。もっとも私も座ればそっち側の人間になると思う。人に譲れるほど心身ともに余裕はないし、譲ったところで大丈夫とか言われるのが目に見えるし、なんなら逆ギレされるかもしれないし。

 しばらく揺られていると、目的の駅に到着したようで、豊瀬先輩は電車から出る。ひょいひょいとホーム上から手招きをする。

 続くように私も電車から出る。


 「どこ行くんですか」


 人混みを掻き分けながら、違うホームへと向かう。

 そうして違う電車に乗る。今度は東京方面とは真逆へと走り出す。そう時間は経過しないうちにまた電車から降りる。

 駅の改札を抜けて、しばらく歩いたところで問う。

 なにか明確な目的があるのはわかる。わかるのだけれど、その明確な目的がなんなのか。それが不鮮明だった。

 不鮮明な方が怖い。だから問う。豊瀬先輩はいたずらっぽく笑う。


 「えへへ、秘密」


 えへっと、そんなことを言う。


 「最近流行ってるんですか。そういうの」


 昨日もそんなの聞いたなあと思った。気のせいなのかなと思ったけれど、そんなことない。

 はっきりと輿石が言っていた。


 「流行っているってなにがかしら」


 私なにか言ったかな、と言いたそうに首を傾げる。


 「なんでもないです」


 今の反応で否が応でも答えはわかる。だから首を横に振った。

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