秋月さんは知らずして両手に百合の花を持つ
こーぼーさつき
秋月さんの歩み 1
私はピカピカの高校一年生。友達百人。いいや、千人だね。千人できるかな。
そんな期待を胸に秘め、そして膨らませて入学した。高校生の送る青春に幻想を抱き、女子高生という存在に希望を抱く。
私立百合百合ノ華女学院に入学した私は制服を着るのではなく、制服に着られながら、希望の道を闊歩する。街道に咲く桜の花びらはもうチラチラと儚く舞い降りて、散った虚しさだらけの花びらは無情にも踏みつけられている。咲いている桜は綺麗だとか、可愛いだとか、素敵だって持ち上げられて、インスタ映えだ〜ってスマホを構えるのに、地面に落ちてしまった花びらはそのような感情を抱かれない。容姿端麗な人は黄色い声を浴びるのに、そうでない人は見て見ぬふりをされるのに似ているなあ、と思う。
私立百合百合ノ華女学院は最寄り駅から徒歩約十分。そのせいだろう。今立っているこの場所は私と同じ制服を身に纏う女性たちばかり。
同じ制服を着ている人たちと一括りにしても、良く観察してみると様々な人たちがいる。私と同じように初々しい人もいれば、大人っぽい女性もいる。リボンを緩めていたり、スカート丈を短くしていたり、と着崩している女性もいる。多種多様な同じ制服を眺めて、本当に私は女子高生になったのだなあ、と遅ればせながら実感する。入学式前だから遅くはないのかな。まあ、どっちでも良いか。
正門前にやってくる。重厚感のある入口には「私立百合百合ノ華女学園 入学式」と書かれた縦長の立て看板が設置されている。その看板の前で写真を撮る者もいれば、気にすることなく正門を通り抜ける者もいる。さすが『個性を尊重し、多様性を認める』が校訓なだけある。
正門を抜けると大きな桜の木が聳え立ち、その奥に昇降口が見える。樹齢何年なのだろうと立ち止まって、顔を見上げてしまうほど大きい。
その向かいにある綺麗なガラス張りの昇降口。そこに張り出されている一枚の大きな紙。何人もの人が群がっている。まるで、タイムセールで鬼気迫る表情で駆け出す主婦のように……そんな血気盛んではないか。
お淑やかな雰囲気を醸し出しながら、それぞれが張り出された紙に目線を向ける。私も釣られてそちらに目線を向ける。
そこにつらつらと文字が印字されている。クラス表のようだ。これから私が過ごすことになるであろうクラスの割り振りが細かく書かれている。はたして、ここに書かれている名前の面々から何人が私と親しい友人になるのだろうか。そもそも仲良くなる人がいるのだろうか。上手いこと立ち回ることができるだろうか。思考が迷走する。ある程度、見え透ける未来であれば、それなりに妄想して、自分にとって都合の良い展開を描いて、勝手に安堵するのだが、ゼロからスタートするときはどうしても都合の悪い妄想ばかりしてしまう。でもって、より不安に駆られるという悪循環。自分自身でもアホだなとか、バカだなと思う。けれどやめられない。
こうすることで、想定していた都合の悪いことがあってもショックが和らぐから。ある種の保険のようなものとも言えるだろう。
人ってこんなにも緊張することがあるんだ。と思うほど、私は緊張している。誇張でもなければ比喩でもなく、本当に心臓が皮膚を突き破って爆散しそうだ。
それでも、顔には出さないように、平然を装いながら私の割り当てられた教室へと向かう。緊張してるわコイツって思われるのはなんか癪だなあ、というしょうもないプライドだ。
目的の教室に到着する。教室に立ち入る。すごい。本当に女の子しかいない。教室の中を端から端まで見渡しても、目に入ってくるのは女子、女子、女子。共学の中学校に通っていた私にとってはあまりにも衝撃的な光景だった。
教室の中の空気は重たい。誰も一言も発することなく、椅子に座り、なにかしら作業をしている。現代っ子らしくスマホを触っていたり、文庫本サイズの本を開いていたり、手鏡を片手に化粧をしていたり、真っ白なノートを広げて思い思いに絵を描いていたり。
まあ、この空気は詮無きことだと私は思う。だって、ほとんどが初対面なはず。そんな中、勇猛果敢に声をかけるって中々できることではない。声をかける方、そして声をかけられる方。その両方がコミュニケーションに長けていないと成立しない。片方でもコミュニケーション能力が欠如していると、その瞬間に教室の中に漂う空気はより一層重たくなる。一度転んでしまえば、立ち上がるのに苦労する。なんなら、立ち上がることができないということだって考えられる。安定を選ぶのであれば、大人しく黙る。それに限る。
当然のように私も黙った。人と話すのはあまり得意じゃないから。
右側は壁であり、人はいない。その点は気楽だが、集会などの列では先頭に立たされるし、授業中に当てられるときは大体出席番号順なので序盤に当たる。メリットもあればデメリットもある。
後ろの人と目が合う。とりあえず会釈をしておく。苗字はなんだったっけ。パッと見ただけだから覚えられなかった。しょうがない。思い出すのは諦めよう。
やけにフワフワしていそうなハンカチを丁寧に折り畳んでいる。几帳面な人なんだな。面倒くさそう。
自席の椅子に手を触れて、目線を逸らす。これ以上見つめ合うのはなんとなく気まずくなりそうだった。
ちなみに左側は当然だけれど、他人の席がある。教室に一列しか席がないわけがないし。
誰が来るのかな。どんな人が来るのかな。怖い人じゃないと良いな。几帳面で面倒くさくなさそうな人がいいな。あ、でも、めっちゃくちゃ大人しめで会話が全く弾まない人ってのも嫌だなあ。頬杖をつきながら、隣の空席をじーっと眺める。こうして、気付けば定刻を迎えていた。あれ、おかしいな。誰も来なかった。
入学式当日から来ないとは中々やるなあ。サボりかな。強キャラだなあ。
まあ、敢えて擁護してみるのなら、人生はなにがあるかわからない。入学式当日にたまたま入学式よりも優先すべき事柄が発生した可能性もある。これだけで怖い人認定するのはちょっと酷である。
我ながら綺麗な擁護だなあ、感心しつつも、結局私の中に生じたマイナスイメージは払拭できなかった。
入学式は体育館で行われる。講堂のような建物も存在するのだが、そこではしないらしい。保護者とかも入れることを考えると、講堂だと手狭なのかもしれない。
体育館内に一定間隔で並べられたパイプ椅子に、規則正しく座る。
仰々しい雰囲気に包まれる。周囲の人間も、私もその重たさに負ける。緊張をひしひし感じていると、式が進行する。
「まずは百合百合ノ華女学園への入学おめでとう。これからの学園生活楽しいこともあれば、苦しいことや辛いこともあるだろう。色んな感情はいずれ自分の糧になるから。一瞬一瞬を楽しめるように。君たちにとって価値のある三年間になることを願っている」
学園長だったか理事長だったか。ちゃんと説明を聞いていなかったので、どっちかわからないけれどステージ上で淡々と喋っている。入学式らしいなといえば、らしいと思う。
その人がステージから降りるのと入れ替わりでステージ上に上がる女性。
黒髪ロング。白い肌に、ここからでもわかるほど長い睫毛。女性の私でさえ、思わず目を奪われてしまうほどの凛々しさがある。その中に清楚さも兼ね揃えていて、美女という二文字はこういう人のために存在する言葉なのだ。多分。
「皆さん。まずはご入学おめでとうございます。私、生徒会長、
なにか始まった。在校生の挨拶なのだから「皆様の門出を祝し」とか「在校生一同、皆様を心より歓迎します」とかそういうありきたりなことを言って適当に流して、それでおしまい。そう思っていたので、この説法に近しい挨拶に顔を顰めてしまう。
入学式から面倒だ。もちろん私の心中など伝わるわけもなく、生徒会長様は言葉を続ける。
「我が校には『恋愛禁止』という校則があります。これは、学生の心身の健康を守るために作られた校則です。校則というのは作られた経緯というものがあります。その校則を逸脱しない程度に個性や多様性を認める。それが我が校の真理なのです。新入生の皆様のご活躍心より期待し、これを挨拶とさせていただきます」
そういうと生徒会長様はステージから降りる。形式上、テンプレートのような挨拶だけでも良いはずなのに、釘を刺すような挨拶。ただこの生徒会長の意識が高いだけなのか。それとも釘を刺さなければならないような状況が学校内を取り巻いているのか。そこまで荒れてあるようには思えないけれど。外面だけじゃわからないことも沢山あるからね。
今私がうんうんと唸って、必死に思案したところで答えに辿り着くことはない。なにも知らないのだから辿り着けるわけがない。
とか考えていると、バンっと勢い良く体育館の扉は開かれる。私も含めて皆がそちらに目線を向ける。司会進行をしていた教師のような人も口を結ぶ。
扉の向こう側に立っていたのは金髪の女性。私と同じ制服を着ているので、ウチの生徒なのは理解できた。金髪だ。彼女の周りだけ、光り輝いているように見えるほど、金色。今日染めてきたのかなってくらい綺麗だ。天から降りてきたような神々しささえ感じてしまう。
「おす、遅れましたっ」
腹の底から声を出す。体育館中に声は響き渡る。
そして、ポニーテールをゆさゆさと揺らしながら、堂々と真ん中を突き進む。全生徒に告ぐ。私が通るから道を開けろ……って感じだ。かなり堂々としている。
見た目はヤンキーっぽい。ちょっと関わりたくないなあという雰囲気の人だ。それでもこれだけ注目を浴びても堂々としていられるのは尊敬に値すると思う。少なくとも私にはできないから。
彼女は足を止めることなく突き進む。あ、目が合った。絡まれたら嫌だなあ。目を逸らそう。
そのまま彼女はステージまで突き進み、ステージに繋がる短い階段を使うことなく、ステージ上に飛び乗る。そしてガタガタという音を立てながら、スタンドからマイクを取り外し、握った。
「新入生代表。
見た目や行動に反して、真面目に話し始める。教師陣は終始落ち着いた様子だ。ステージ上に上がるときに誰も駆け寄らなかったのがなによりの証拠だろう。
本当に新入生代表として選ばれていたのかもしれない。それはそれで、遅刻しているけれど良いのかという疑問もあるのだが。まあ、教師陣の落ち着き具合から推察するにそう考えるのが一番腑に落ちる。
新入生代表挨拶は受験時の試験で一番点数が良かった人が選ばれるらしい。この人って頭良いのかあ。人は見かけによらないなあ。もしかしたらこれも一種の演出なのかもしれない。個性やら多様性ならを尊重する学校ならではと言える。
「この度は私たち新入生に対して、このような盛大なる式典を用意していただき、在校生の皆様、先生職員の皆様。ありがとうございます――」
にしても本当に真面目に取り組んでいるなあと考えていると、突然持っていた紙をびりびりと破った。そしてなにを思ったのか、その破った紙をステージ下に向かって投げ捨てる。ライブ終わりの紙吹雪みたいにヒラヒラと紙は舞い降りる。
「こんなしょうもないテンプレートでなにが面白い。テメエら教師は優等生らしく淡々と挨拶して欲しかったかもしれねぇーがアタシは枠にハマらねぇ。ハマってやんねぇ。アタシはアタシらしく、挨拶をしてやんよ」
やっぱりこの人はヤバい人だった。安易にヤバい人というか、ヤバいという言葉を使いたくないのだけれど。今回に関してはヤバい以外の言葉が見つからなかった。本当にヤバい人だ。この人と関わるとろくでもないことが起こると、私の本能が叫ぶ。
「アタシは法律は破らねぇ。でも、ルールは破ってやる。個性がなんだ。多様性がなんだ。そんな都合の良い耳あたりの良い言葉を並べておいて、校則で縛りつける。矛盾ってやつじゃねぇーか。少なくともアタシはそう思う。だから、変えてやる。全部変えてやんよ。テメエら覚えておけ」
輿石はそう、宣言に近しい挨拶をすると、満足そうにドヤ顔を浮かべながらマイクスタンドにマイクを戻す。そして、喧噪とした空気に包まれるなか、堂々とステージ上から降りる。
これだけ入学式という場を乱しておいて、まるで何もしていないというような飄々とした空気感を醸し出せるのは天性の才能ではなかろうか。
まあ、これだけ場を荒らしたので教師陣にとっ捕まえられている。当然だよねえ、という感じだ。少なくとも私はこの人とは関わらないようにしよう。今の独特な新入生挨拶を目にしてそう誓った。
見ている分には面白いのだが、自分の近くにいるとなると話は変わってくる。二歩、三歩、距離をおいたところから楽しむのが正解だろう。
保護者代表の挨拶や、PTA会長の挨拶など。色々とこのあとも大人たちがステージ上に登壇し、挨拶という名のありがたいお話を冗長にしていったのだが、一ミリたりとも頭に入ってこない。輿石の狂ったような新入生挨拶が脳裏にこびり付いて取れないのだ。
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