Vain 【見知らぬ大地と獣達】

@kadakitoukun

第1話 蛇との死闘

 砂色の空は黄金色に見える。空舞う砂塵は砂金のごとくはらはらと大地から舞い上がり、大地に落ちる。


 はらりと落ちたソレを握り、手のひらを覗き見ると肌に溶け消え影もなければ名残りもない。枯れた指に留まるただ一つの鉄の重しに遊びはなく、寂れた湊は閉ざされた。



 静謐が訪れる砂塵の中で少年、室井 千景はスコープ越しにかつてのメトロポリスの残骸、建物の瓦礫に巻き付いている巨大な蛇を観察していた。蛇、しかしその全長は8メートル近くあり、彼が生き物図鑑越しに見たアオダイショウやハブといった日本の一般的な蛇とは全く違った。


 とぐろを巻くように高層ビルの成れの果てに巻きつき、シュルルと先端が割れた蛇特有の舌、ではなく人間に似た先端が丸みを帯びた舌を出し入れした。それは蛇の頭蓋に似た白い仮面を被り、周囲を警戒するように首をもたげて右へ左へくるくると回転させた。


 首が動くと釣られてギョロリと動く黄色の眼球は爬虫類のものとは微妙に違う。人間の眼球に似ていて、白目があり、白目の内に黒目がもとい黄目があった。それは虹彩を黄目の中に宿していて、通常の蛇の持つ眼球と違って自由に角度をつけて周囲を見回した。


 表情は恐ろしい。人に似た臼型の白い歯を口腔からのぞかせ、あまつさえ笑っているようにすら見える。被っている白い仮面は上顎の部分が競り上がり、トサカともこぶとも形容できる独特の吹出物がを形成し、それはいくつもの穴が空いていた。その姿はオカリナのように見えた。


 だが何より恐ろしいのはその巨体だ。ただ大きいばかりではない。ただ長いばかりではない。ただ太いばかりではない。


 大きさだけならばはるか太古、石器時代の折にもこれくらいの大きさの蛇もいたと図鑑に書いてあった。アナコンダとかコブラとかの類縁で自分よりも小さな生き物とか、大きな生き物とかを食べていたのだと言う。人間よりも大きく力が強い牛だって襲って食べていたらしい。なんでも牛に巻き付いて首の骨を押しつぶすとかなんとか。想像するだけで怖く恐ろしく、直接目にしたならば間違いなく失禁する光景だろう。


 しかし目の前にいる大蛇は現実の産物だ。そしてその恐ろしさは明らかな異形であることでより一層強調されていた。


 まず眼前の蛇は前足、後ろ足と言って差し支えない四肢が生えていた。爪一本ずつしかない非力にも見える手足だが、しかしそれは巨大な体躯を構造物に固定する力があった。


 鋭い爪はフックのようにしっかりと建物を掴み、その巨体を決して離さない。全長八メートルに達するとなれば重量は1トンを軽く超えるだろうに、それを鉤爪四本でささえ、あまつさえ首をもたげる姿はおおよそ、生物の常識を逸脱していた。


 幼少期、図鑑越しに見たアナコンダやコブラを遥かに超える全長と横幅、もしあれに巻きつかれれば人間など一瞬で圧死してしまう。


 想像はえてして早々に現実になる。つまり、目の前でスコープ越しにではあるが、メキメキと鉄筋コンクリートで造られたと思しき巨大な構造物の一部が目の前の蛇もどきによって文字通り握りつぶされたのだ。


 廃墟と化し、手入れもされていない建物だ。一部が壊れただけで揺れ、上層部が軋みを上げる。傍目から見ればゆっくりと、間近で見れば驚くべき速さでビルは崩れていった。


 倒壊していくビルは砂埃を巻き起こし、灰色と茶色が入り混じった土煙が天に向かって巻き上がった。それまで視界に収めていた大蛇の姿が砂塵の中に隠れていく。しかし見失うことはない。


 実際のところ、ゴーグルをしていなければきっと目に砂粒が入って目標を見失っていただろう。季節外れ黄砂が大蛇の登場以前から吹き荒れていたとうこともあって、専用の特殊ゴーグルを持ってきたのが功を奏した。


 大蛇はそれまで体を固定していた建物が崩れ始めたと知るや否や、バネのごとく跳躍し、近くのビルへと飛び移った。生物の構造を無視した身軽な跳躍、全身の筋肉のバネを使っても、既存の生物ではあり得ない運動力だ。


 着地と同時にビルが小さく左右へ揺れた。即座に大蛇はとぐろを巻き、首をもたげて周囲に警戒の眼差しを向けた。


 同時に大蛇は周囲の瓦礫を払うためにその太く逞しい尾を振った。超高速で振るわれた蛇尾は重さ数百キロはあろう瓦礫を一撃で吹き飛ばす。飛散した瓦礫が地に落ち、土砂が舞う。


 大蛇の太く雄々しい尾に注目すれば、尾の中ほどから巨大な鱗がいくつも釘バットのように生え、それらは赤黒い光沢を帯びていることがわかる。ワサワサとそれらは一枚一枚をつなぐ神経が通っているように微細に動き、その一撃を受けた瓦礫は飛散するではなく、無数の破片へと砕け散り、大地にコンクリートの雨を降らせた。


 だが何度となくそんなことをすればいずれ耐久負けして鱗は砕け散る。事実、振り回した拍子にスポンと大蛇の尾から鱗が剥がれ落ちる瞬間がいくつもあった。しかしその度に大蛇の尾からは再び別の鱗がニョキリとキノコのように生え変わり、真新しいまだ色も乗っていない白い鱗をワサワサと揺らした。


 スカリビ、それがあの大蛇の名だ。フォールンの代名詞である「仮面」に反響器官を有した特異な姿の大蛇はエコーロケーションによって周囲の環境をすばやく把握し、獲物を見つけ、天敵を察知することができる極めて狡猾なフォールンである。


 多くの人間が蛇と言えばピット器官という熱源を感知する能力を思い浮かべるだろうが、スカリビにはその能力はない。代わりに奴が持っているのは極めて高性能な耳と高い情報処理能力を持つベロだった。


 聴覚は言うに及ばず、彼のベロは極めて特殊で5,000から6,000種類の味を全部で20段階の強弱に分て把握することが可能だという。実際にそれほどの精度があるのかどうかは千景にはわからないが、それほどの味覚を有しているならば、当然人間である自分の味もすでに把握しているはずだ。


 体臭から漏れる人肉の味、この場合は味覚効果ではあるが、それは満員電車に乗っている時に呼吸すると舌で感じるあの人肉の悪臭とも舌がひりつく塩味の効いた感触を、より鮮明かつ詳細にスカリビは感じ取っているんだ、と座学で教官は言っていた。もっとも旧時代生まれではない千景からすれば何を言っているかわからないちんぷんかんな内容だった。それでも人の味を覚えた大蛇が問答無用で襲いかかってくるほど鋭敏な風香ということはなんとくなくだが理解できた。


 相手はフォールン、霊長の捕食者だ。そのフォールンの中でもとりわけ殺戮性能に特化したスカリビがいざ漂ってくる人が発する芳香を感じればどうなるか。そんなものは決まっている。


 この上なく明瞭に殺戮ショーが始まるのだ。抗う術はなく、その巨体で押し潰されるか、口腔に吸い込まれるかのどちらかだ。


 フォールンは残虐だ。人を喰らうこと、殺すことに一切のためらいがなく、見境なく襲いかかってくる。


 呼吸ひとつ、嘆息ひとつすら命取りになる中、文字通り息を殺して千景はスコープの中で動き回る巨獣に狙いを付けた。狩人である千景は万全の状態でこの狙撃任務に当たっていた。


 エコーロケーションは厄介だが、動かなければ問題はない。旧時代の潜水艦同士による戦いではソナーを誤魔化すため、動かないという戦法が取られていたという。だからそれに倣って千景も狙撃ポイントに付いてからはほとんど微動だにしなかった。


 では芳香はどうするか。漂う体臭を誤魔化すため、彼は自分の体に砂塵を纏い、泥や埃を顔や手首、首周りといった素肌を露出している部位に塗りたくった。それでも慎重に呼吸をしなくてはわずかな口臭から味を感じ取り、スカリビの視線がこちらへ向くかもしれないと思うと神経をすり減らす作業だった。


 人差し指の指先に汗が滲む。ライフルのトリガーガードにかかる指が滑りそうりなるほど、だらだらと汗がこぼれた。その汗で指が滑れば絶好のタイミングを逃し、空虚な銃声が砂塵舞う廃墟に轟くことになる。


 必然、一撃にかける意識は強まった。決して外せない、決してミスが許されない狙撃、かかる重圧は想像をはるかに超え、心音は絶えずバクバクと高鳴った。


 千景が自分の心を落ち着ける中、スカリビは動きを止め、周囲を見まわし、舌を突き出した。舌先を微細に揺らし、円を描く。それはアインシュタインの写真を思わせるアホ面だったが、今の千景にその表情を笑っていられるほどの余裕はなかった。


 より広範囲に、かつ正確に対象の肌から香る独特な風味を把握するために、周囲の土の味や砂の味、空気の味を細分化して分析し、少しでも見知った味が舌先の神経に伝われば、即座にスカリビは動き出し、より風味が強まる方角に向かって這い寄ることになる。それは千景にとって自分の存在を気取られることを意味していた。


 彼の持つ狙撃銃、AMSR70Bにはスカリビの仮面を一撃で粉砕する火力はない。フォールンの弱点である仮面を砕くに足る火力がない彼にとって正面から狙撃は死を意味していた。


 ——仮面を砕けばフォールンは死亡する。どのフォールンであろうと、それは唯一絶対の法則だ。


 しかし、千景の構えるライフルの火力では仮面を砕くことはできない。だから狙うべきは眼球、ぎょろぎょろと意味もなく動く人の目玉によく似たそれを撃ち貫くことだ。動く標的を前にしてそれは至難の業だった。


 眼球の大きさは直径一メートルもなく、絶えず上下左右に動き続けるため捕捉が難しい。なにより、ただ眼球を貫いても、元より視力が低い蛇という生物にとっては致命傷になり得ない。


 人間の無力さを思い知らされる絶望的な火力差を知り、しかし千景はスコープから目を離さず、射撃態勢を維持し続けた。


 やがて千景はトリガーガードから指を離し、引き金に指をかけた。指をかけると、わずかに引き金は沈んだ。それは銃のトリガーが持つ「あそび」、いつでも狙撃ができる態勢を取り、ひたすらにその瞬間を彼は待った。


 舌先を突き出したまま、大蛇を数秒おきに首をもたげたり、すくめたりを繰り返す。旧時代のパラボラレーダーのように上下を気にするそぶりを見せるスカリビを前にして千景は自身の銃口の延長線上にその眼球が現れる機会を伺った。


 じっと機会を待ち続けること数十秒、その瞬間が訪れた。同時に千景は引き金を最後まで沈めた。


 ——カチンという音がライフルの内部で響いた。

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