怠慢②
「まぁざっとこんな感じ、かな? そんなことがあったからさ。実家とも縁が切れちゃったみたいで……。そんでもって、結局新しい旦那ともすぐに別れちゃったから、お母さん、他に頼れる人が居ないんよ……。だからと言っちゃなんだけど、お母さんもだいぶ弱ってたんだと思う……」
まるで、初めからそうなることが決められていたかのような、それこそ生まれた瞬間から人生そのものを奪われたかのような……、そんな絶望的な感覚すら覚えた。
この期に及んで言葉の定義などどうでもいいが、これはきっと『翻弄』などといった生易しいものではない。
新井の話を聞いて、田沼さんの言わんとすることが少し理解できた気がする。
「そういうワケだからさっ! お母さんなりに、アタシのことを心配してくれてはいたみたいなんよね! だから、アタシは別にお母さんに恨みがあるとかじゃなくて、ただただちゃんとして欲しいの……。そのためだったら、アタシ……」
新井はそう言って、顔を伏せる。
「新井さん。お話しいただき、ありがとうございます。では、荻原さん。その上でお聞きします。この一件、あなたであれば、新井さんに何と提案されますか? 無論、会社としての立場は抜きにして、です」
田沼さんがそう言うと、新井は示し合わせるように俺に視線を寄せてくる。
「……まぁ、そうですね。新井は別に誰かに復讐したいってわけでもありませんからね。だから首を突っ込むにしても、何を持って『解決』かを考えるのが先決でしょう」
「ほう……。ちなみに荻原さんが考えるところの解決とは?」
「まず真っ先に優先すべきは、刑事告訴を防ぐこと、でしょうね。早めに役所に連絡して、収入の未申告分を伝えるんです。それで、過大に受給した分の返済の意思を示した上で交渉する。一度、前科がつくと、人間扱いされませんから……。ちゃんとする云々は、その先の話です」
「なるほど……。荻原さんは、本当にそれが出来るとお思いですか?」
田沼さんはそう言って、じっと俺を見据えてくる。
彼女の問いに、俺は咄嗟に応えることが出来なかった。
分かっている……。
現実は、かなり厳しいと言う他ない。
扶助費の元本、不正のペナルティによる上乗せ分、ホストクラブの売掛の残債。
それらに耐え得る返済能力が、今の新井の母親にあるとは到底思えない。
更に言えば、今回のケースは客観的に見ても、相当に悪質であることは否定できない。
担当のホストが、新井の母親に対してどんな営業を掛けていたのかは知らないが、そもそもホスト通い自体、行政側から見て心象が良いものではないはずだ。
何より、売春はシンプルに違法行為だ。
この収入を、どう処理して役所へ報告するかは、悩ましいところだろう。
また神取さんの力を借りるにしても、現段階ではあまり楽観的な見立てを語ることは出来ない。
……いつだってそうだ。
表面的な国民感情如何によって、吊るし上げられるか否かが決まる。
言うまでもなく、それは統治する側にとって都合の良い、作られた『民意』なのだろう。
そうして、『怠慢』な生活保護受給者などと、曖昧で雑なカテゴライズによる、全体への批判に繋がっていく。
バツが悪そうに俺の顔色を窺う辺り、新井自身はそれを一番懸念しているのだろう。
言い淀む俺を見て察したのか、彼女は返答を待つこと無く、再び口を開く。
「では質問を変えます。あなたは我が社の一員として、新井さんにどんな価値を提供できると考えますか?」
会社として新井に出来ること、か。
現状、思い浮かぶのは、新井の実の父親への報復くらいだ。
今現在、どこにいて何をしているのかは知らないが、名前さえ分かればやり様はあるだろう。
新井の中で、何かが変わるきっかけくらいにはなるかもしれない。
……いや。そもそも、新井はそんなことを望んでいない。
彼女はこれまでずっと言っていた。
幸せを諦めたくない、と。
それが新井自身の強さなのか何なのかは知らないが、彼女の中で既にある程度の整理はついているのだろう。
新井は間違いなく、過去よりも、未来を生きたいと願っている。
考えれば考えるほど、非生産的な仕事だ。
所詮は、刹那的なその場しのぎ。
邪魔な尻尾を排除したところで、また新しい尻尾に生え変わるだけなのだ。
会社の建前とやらに馬鹿正直に縋りつく前提では、出来ることなど限られている、ということか。
……だが、もし。
彼女の言う通り、そういった全ての建前やルールから解放されれば、もっと根本的に何かを変えることが出来るのだろうか。
「あ、あのっ! ちょっと待って下さい! 確かにお母さんにはちゃんとして欲しいし、オギワラたちが色々と考えてくれるのは有り難いです! でも、悪いことしたのは事実だし、お母さんが捕まるのもサイアクしょうがないのかなって……。だから別にアタシは」
新井は、俺たちの会話を遮り言い放つ。
すると田沼さんは血相を変え、新井に近付いていく。
「新井さん! 本当にそれで良いのですかっ!? 新井さんもおっしゃっていたでしょ!? お母様がホストにのめり込んだ原因は、弱っていたからだと。であれば、お母様をここまで追い詰めたものは、一体何ですか!?」
「え、えっと、それは多分……、アタシのお父さんだったり、アタシ自身だったり、とかで……」
「確かに、少なからずそういった側面もあるのかもしれません。ですが、それは飽くまでミクロで見た時の話。今一度、考えてみて下さい。新井さんも依頼を通じて、垣間見たはずです。人はより合理的で傷の浅い方向へ、知らず知らずの内に流されていくものだと。たとえ、その流れ自体が意図的につくられた歪な社会構造によるものだったとしても……。それは自分自身を守るために他なりません!」
田沼さんの有無を言わせぬ圧力に、新井は一歩、二歩と壁際に向かって後退りする。
「新井さん、あなたは恐れているのでしょ!? 自分たちが原因で受給者全体への風当たりが強くなることを。ここで大人しく、ただ黙って泣き寝入りするように吊るし上げられてみなさい。彼らは世論を盾に、『持たざる者』にとって、更に不利な制度設計を図ろうとするに違いありません! その先にあるのは、緩やかな破滅……。あなたやお母様にとって、今より数段生き辛い社会が待っているんですよ!?」
鬼気迫る形相で、一方的に声を荒げる彼女を前に、新井は何も言えず、ただただ視線を逸すことしか出来ていない。
「……申し訳ありません。少し取り乱しました。いずれにしても、私としては根本の構造そのものを変えていくべきと考えています。とは言え、彼らが決めたルールの中でも、何かが変わるのであれば、またそれも意義があるのかもしれません。私は無理だと思いますが」
田沼さんはそう言うと、射抜くような鋭い視線を俺に向けてくる。
「兎にも角にも、荻原さん。今度こそ、私は一切手出し致しません。あなたの思うがままの『解決策』を模索してみて下さい。同時に、この件を通じて、今一度考えるのです。あなた自身がどうしたいのかを」
「俺が、どうしたいか……」
「はい。そして、その上で思い知るのです。あなた自身が如何に、不自由であるかを」
「……それが、目的ですか?」
俺が聞くと、彼女は何もいわず、普段の見慣れた不敵な笑みを浮かべる。
それが何故か、俺には酷く痛々しく感じてしまった。
「さて。この会議室にも、もうじき捜査の手が及ぶことでしょう。客人は、早々に退散致しましょう。荻原さん。具体的な返事は全てが終わった後で構いません。では、ご武運をお祈り致します」
言いたいことを、言い切ったのか。
彼女は何事もなかったかのように、くるりと踵を返し、会議室の出口へ向かう。
そのまま俺たちに先んじて、さっさとエレベーターの方へと行ってしまった。
俺と新井は静かに目を見合わせた後、何を話すでもなく、彼女の後を追った。
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