醜悪⑧

「ナンか流れで来ちゃったね! つか、一応大手企業だよね!? めっちゃ緊張するわー!」


 目の前に高々と聳える相銀の本社ビルを前に、新井は緊張感を微塵も感じさせないアホ面でそう溢す。


 俺たちは神取さんの勧め通り、石橋の父親こと石橋 実鷹とコンタクトを取ることにした。

 相手は、地銀最大手の取締役。更にその父親に至っては頭取だ。

 そんな絵に書いたような上流階級の人間と、底辺オブ底辺の俺や新井との対話など成立するのかは、甚だ疑問である。


「……一応、インターンシップの相談っていう体だからな? その辺忘れんなよ」


 そもそもの大前提として、一介の大学生である俺と新井が、腐っても上場企業の役員に『話を伺いたい』などと、何の脈絡もなく突然押しかけたところで、相手にされるはずもない。

 というよりこのご時世、シンプルに警戒されるだろう。

 場合によっては、悪質配信者による再生数目当てのテロ行為紛いだと、疑われる可能性すらある。

 これは飽くまで潜入調査の一環であって、間違ってもブタ箱案件ではないのだ。


 そこで学生として分かりやすく、建前として用意したのが、インターンシップだ。

 何でも、神取さんが顧問弁護士をしている企業の役員の一人が、石橋の父親と個人的な付き合いがあるらしく、彼が直接相談したところ、何とか話を通してくれたようだ。

 神取さんの事務所に押しかけたあの日から2日後と急な話ではあったが、あちらも分刻みのスケジュールの中で生きている一端の社会人である以上、あまりワガママは言えない。

 むしろ、氏も素性も知れない大学生二人を受け入れてくれただけでも感謝するべきである。

 もっとも、先代からの長年の顧客の要請というだけに、断るに断り切れなかっただけなのだろうが……。

 まぁ早い話、『来年以降の就職活動を見据え、御社でのインターンシップを希望いたしますので、どうぞよしなに』といった挨拶に託けて、石橋との親子関係について聞き出すのが、今回のミッションだ。

 

「わーってるって! そいじゃ行くよ!」


 新井はそう言うと、エントランスに向かって足早に走っていった。

 彼女とのバイタリティーの差に溜息を吐きつつ、俺は気後れする足を引き摺りながら、新井の後を追った。


「でもさー。依頼のことは分かるんだけどさー。何で名前まで隠さないといけないんだろ?」


 指定された会議室のある階層まで向かうエレベーターの道中。

 着慣れていないであろうリクルートスーツの皺を直しながら、新井は聞いてくる。

 そう言われたところで、俺にも分からない。

 神取さんに聞いても、『いいからいいから』の一点張りだった。

 身分も明かさない上に、名前も名乗らないと来れば、いよいよ不審者への片道切符待ったなしだ。


「……よく分からんけど、とりあえず偽名を名乗れだと。コレじゃまるでスパイだな」


「ス、スパイ……」

 

 新井はそう呟くと、目を爛々と輝かせる。

 薄々感じていたことだが、彼女が知りたがっていた幸福の正体とやらは、存外お手軽なものなのかもしれない。

   

「そう言えばさ! ハヤトさん(神取)、アタシがイシバシのお父さんの話した時、何であんな顔したんだろうねー」


 それは俺も知りたいところだ。

 一連の話を整理すると、神取さんと石橋の父親とは『知り合いの知り合い』ということになるが、それだけではあの異様なまでの動揺の説明にならない。

 偽名の件もそうだが、全体を通して今一つ意図が掴めない。


 だが……。

 俺と神取さんは、それなりに長い付き合いだ。

 特段知りたいと思わなくても、は嫌でも察してしまう。

 

「知らん。だけどな……」

「えっ。分かるの? 何何?」


 俺が呟くと、新井は期待の込もった眼差しで催促してくる。


「……だからあの人の考えとかは知らねぇよ。ただ何? 行動原理っつーか、意志っつーか、そういうのは何となくだけど分かる気がするんだよ……。別に依頼とは直接関係ないからお前が聞く必要もないし、それこそ戯言の類だ。だから、聞き流せ!」


「何ソレ、ウケる! まぁ良いや。んで?」


「……ざっくり言うとな。あの人はまだ諦めてねぇんだよ、


 我ながら、身の程知らずな憶測に嫌気が差す。

 第一、神取さんにとってメリットにはならない。

 ただそれでも、言葉の節々から伝わってきてしまう。

 彼の中で、まだは終わっていない。

 里津華の件にしても、俺に対しての罪滅ぼしなどではなく、何か別のを見つけるための口実にしようとしているとすら、感じてしまう。

 それこそ、俺の意志とは関係なく……。

 

「……そっか。じゃあオギワラも諦めるわけにはいかないね!」


 新井は似つかわしくない、優しい笑みを浮かべて言う。

 恐らく……、というより確実に理解していないだろう。

 だがそれでも、どこか俺の心を見透かしたかのようだった。

 彼女が時折見せるこういう部分は、本当に侮れない。


「……それとコレとは話が別だろ。俺と神取さんのスタンスは違う」


「あーあ! そういうとこ、ホントにオギワラだよね! 素直に言えばいいのに! 『俺も幸せになりたい』って!」


「色々と痛すぎんだろうが……。そりゃあ確かに、皆が皆幸せになれたらそれに越したことはないんだろうよ。ただそうは言っても、な……」


「そうは言っても?」


「…………」


 俺自身、まだ割り切れていないのだろう。

 あの時、失ったもの。

 ただでさえ持たざるものだった俺が、全ての希望を剥ぎ取られ、絶望した瞬間。

 今でも時々、フラッシュバックしてしまう。

 もし俺が、今更何かを求めることで誰かが割を食う羽目になれば、またぞろ憎悪の連鎖が始まりかねない。

 まぁ、それこそが田沼さんが望んで止まない、『実質的最大幸福社会』の始まりという見方も出来るが、俺自身としてはそんな可能性が脳裏を掠めると、どこかでストッパーのようなものが働いてしまうのだろう。

 

「……なぁーんか、良く分かんないけどさ。そんな難しく考える必要ないんじゃない? 現に今、アンタが割食ってんだしさ! 少なくともアタシは諦めるつもりはないからね! 色々と!」


 新井がそう宣言すると、チンと到着を告げる合図が鳴り響く。

 彼女はそのまま眩しいくらいの笑顔を残し、一足先にエレベーターを降りていった。

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