36、ぎこちなさの原因は
あれから何日か、少し手が空く時間は常に
『
そういえば、虎門は俺に話していたとおり、高嶺からの告白を受けることにしたらしい。とはいえ二人ともあまり関係性を公にしたくないという意向のようで、知っているのは俺ぐらいなものだろう(七海も高嶺から聞かされているかもしれないが、その件について二人で話したことはない)。付き合いたての彼らと昼食を共にするのは悪い気もしたが、虎門も高嶺も気にしていないらしい。
『おれが高嶺と付き合うから、大河と疎遠になるというのはおかしいだろう』
『そうです。わたしにとっても、
二人のはっきりした言葉に甘えて、今でも弁当を並んでとっているわけだ。更に、俺にとってはありがたいことに、彼らは目に見えるところでいちゃついたりはしない。互いに対する信頼を口にすることはあるが、それはむしろ人間不信だった彼らにとって喜ばしいことだろう。
今は、食事中のカップルの様子よりも、横でもくもくと箸を口元に運ぶ七海の様子が気にかかった。彼女は元来おしゃべりなほうだ。それがこうも沈黙を続けられるとどうすればよいのかわからなくなる。俺が心情を吐露した相手である虎門はもちろん、高嶺もただならぬ状態にあることを察している。大きな瞳で七海を心配そうに見やり、俺に対し物問いただけな視線を向けることがしばしばあった。
(このままじゃ、らちが明かない)
微妙な空気の昼食タイムを何日か経験してから、俺はようやくそう思いいたった。現状打破する方策が見つかっているわけではないが、少なくともただ漫然と学校生活を送るだけでは、状況は何も変わらない。七海の家に行くか、七海に俺の家に来てもらうかしてサシの状況を作らない限り、腹を割って話をすることはできないだろう。
だから俺は、いつもそうしていたように何気ない風を装い、隣の席に椅子を近づけた。七海はちらりと視線をこちらによこすが、すぐに前を向いてしまう。若干胸に痛みを覚えたが、そんなことで立ち止まっているわけにはいかない。ひと呼吸おいてから口を開く。
「今度の日曜日、七海の家に行ってもいいか。期末テストも近いし、定期テスト対策の勉強会をする意味で」
「勉強会、か……」
呟く七海の声色は少し低く、容易に感情を読み取ることはできない。ただ、あまりいい気分ではなさそうだというのはわかった。原因は恐らく俺にあるのだろうが、わけをはっきり言語化することができない。
「悪いけど、断る」
「家の都合が悪かったか? であれば、日を改めてでもいいが」
「いや……」
あっさり引き下がるわけにもいかないので食い下がると、七海は逡巡するように手を顎にあてた。
「今は、そういう気分じゃないんだ。ごめん」
「そうか」
気分じゃないという理由に対する適切な返しが思いつかず、俺はそれ以上の追求をやめてしまった。断られた手前そのままずるずる一緒にいるのも違う気がして、呟くように
「じゃあな」
と声をかけてそのまま帰路についた。
今の受け答えが適切ではなかったと直感的には理解している。しかし、ではどうすべきだったかというのがわからない。最近の七海絡みの物事はそんなことばかりだ。七海のためにすべきこと、かけるべき言葉がわからないままずるずると日々が過ぎ去ってゆく。
「おかえり、大河。調子悪そうだね」
「ただいま」
わかっているなら余計なことを言うなと思いつつも、それを口に出してしまうのが次姉の気質だ。ただし深く追及することはせずに、俺が自室にこもるのを黙って見送った。
荷物の整理もそこそこにベッドに勢いよく寝転がり、深く息をつく。無機質な白い天井を見上げ、そこに七海の顔を思い浮かべた。そういえば、最近彼女の笑顔を見ていない。にこりというよりはにやりといったほうがしっくりくる、人を食ったような笑みを。
どう考えても、今の七海は本調子ではない。それがわかっているのに、何もできない俺は馬鹿だ。しかし当の本人に拒絶されてしまったら、どうしようもない。
深く息をついたと同時に、鞄が震えた。家に帰ってきてからそのままにしていたから、恐らく中に入っているスマートフォンのバイブだろう。今は誰かと話す気分ではないが、今無視したら二度と電話に出る気力がわかない気がする。どうにか心を整えて、鞄の中を漁った。電話の主はかなり気が長いらしい。俺の動作はかなり緩慢だったにもかかわらず、着信音が止むことはなかった。相手をよく確認もせずに、通話ボタンを押す。
『大河、遅かったね』
「
思いがけない声が耳元に届き、俺はおそるおそる問いかける。七海のきょうだいたちとは連絡先の交換をしている。
『ゆきが並木くんのご家族の連絡先を知っているのなら、ぼくたちもまた同じようにしたほうがいいだろうからね』
蛍さんの言い分はよくわからなかったが、ともかくその流れで
『姉さんが帰ってきてから様子がおかしい。僕が話しかけても生返事で、リビングに入るけど放心状態だ。大河、学校で何かあった?』
「週末に勉強会を提案して断られたが……本当に体調が悪いのか?」
『大河は馬鹿なの? いや、姉さんに関して言えば馬鹿だったね』
ひどく失礼なことを言われたような気がするが、今は言葉の揚げ足取りをしている場合ではない。彼女の考えをくみ取れていない時点で、馬鹿だとのそしりを受けても仕方がない状態でもある。
俺の沈黙をどうとったのか、電話越しの心之介の口調は心なしか柔らかいものへと変わった。
『姉さんがこんなに悩むのは、大河と関わるようになってからだ。大河だって、思うところがないわけじゃないんでしょ?』
確かにその通りだが、心之介は俺に電話をしてきて何をさせたいのか。何もできない俺を軽蔑しに来たのか。いや、シスコンな彼のことだ。純粋に姉のことが心配で、一番事情を知っていそうな俺に連絡をすることで事態の収拾を図ろうとしているだけだろう。そこまで思い至ったとき、自分でも予想だにしない言葉が口をついて出た。
「心之介。いまからお前の家に行って、姉さんに会いに行ったら駄目か?」
『好きにすれば。でも、僕は姉さんの味方だから。姉さんが大河に会いたくないって言ったら、玄関で追い返すだけだよ』
「わかった。ありがとう」
俺は通話を切るなり、スマホだけを持って駆け出した。リビングの脇を通り抜けるところで、目を瞬かせている次姉と目が合う。
「大事な用事?」
「ああ」
「後悔しない選択をするんだよ」
最近同じようなことを言われた気がする……そうだ、高嶺が言った言葉として虎門から聞いたのだ。それに思い至ったころには俺は次姉に右手を上げて応え、走って道路まで出ていた。
走ってどうにかなる話でもないかもしれない。だが、なるべく早く、一刻も早く七海と話がしたい。その思いが、俺の足を動かしていた。家に着いた後のことは、その場で考えればいい。今はとにかく足を動かせ。
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