31、もう、隠れる必要はない
教室に机を並べて、手を合わせる。昼休みが始まったばかりの喧騒に包まれた教室で、俺と
良くも悪くもおおらかな七海はもちろんのこと、視線に敏感な高嶺も落ち着いた様子なのは少し意外だった。そもそも、進路指導室ではなく教室で食べようと言い始めたのは彼女なのだ。つまり、考えられることはひとつだ。
「もう、進路指導室でこっそり食べなくてもよくなったんだな」
「はい。急に話しかけられてもたぶん大丈夫です。それに、竹内くん、ゆきさん、並木くんと仲良くさせてもらっていること、隠したくはなかったので」
予想通りの高嶺の返答に頷き、続いて虎門を見やる。高嶺が人と話すことに抵抗感がほぼなくなっているのはわかったが、問題は彼だ。高嶺と今後も仲良くしていくことには同意したとはいえ、「女子と極力関わりたくない」という虎門のポリシーは今も変わっていないはずだ。そんな彼からすれば、目立つ高嶺と一緒にいるところをクラスメイトに見られるのは、あまり望ましくないはずだ。
お前はこれでいいのかという疑問の念を込めて虎門を見やると、彼は観念したかのように頷いた。
「むしろずっと進路指導室にこもっているほうが、あらぬ誤解を生むだろう。ちょうど、他の奴らから『高嶺と二人きりで何を話しているんだ』と問われるようになってきていたからな。ぼちぼち潮時だったんだよ」
「その際は、ご迷惑をおかけしました」
「いや、最初は進路指導室で人目を避けて食事をするのが最善だという判断だったからな。状況が変わっただけだ。高嶺は悪くない」
「はい」
普段の口調がぶっきらぼうな虎門にしては穏やかなトーンで、高嶺に語りかける。対する高嶺もそれを感じているのか、頷く様子は心なしか嬉しそうだった。
「華も竹内も、それぞれが持っている苦手意識を克服しつつある、ということかな」
再度頷いた高嶺は、ちらりと教室の後方を見やる。
「そうですね。最近では、お三方以外ともお話ができるようになってきました。例えば野口さんとは時々立ち話をさせてもらっています。昼休みはあまり教室にいないようなので、授業間の短い時間だけですが」
「月乃は優しいからな。私も、彼女と話していると安心する」
「そうですよね」
同意を得られてこくこくと首を縦に振る高嶺に、七海はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「おそらく月乃は昼休み、野間のところに行っているよ。少し前までは私も一緒について行っていたんだが。最近では明らかに私はお邪魔虫と化していたから、ちょうどよかった。進路指導室に四人でいるのは手狭だからね」
「えっ、野口さんと野間くんって、そういう仲なんですか?」
「らしいな。この前二人が一緒にいる場所で、野間がそういう風なことを言っていたから事実なんだろう。経緯はさっぱりわからないがな」
俺の言葉に、七海が呆れた様子で肩をすくめる。
「そういうところだぞ、
「あったな、そんなこと」
教室で野口に平謝りしている野間の様子を思い起こすと、七海はそうそれだと手を打つ。
「でも、運動神経に自信がない月乃は、その件をきっかけにサッカーに興味を持ったらしい。正確には『サッカーをする野間に』興味があったのかもしれないが」
「そういう話を憶測でするな」
これまでの短い人生経験から、部外者の勝手な憶測に基づく噂話にはろくなものがないと学んでいる。それはおそらく、虎門も高嶺も実感していることだろう。俺の指摘に対し、七海はすぐにごめんと手を合わせた。
「まあ、でもどのタイミングからかはわからないが、月乃の目的がサッカーではなく野間に変わっていったのは間違いないぞ。本人に聞いたら、図星というリアクションをしていたからな」
「野口さん、わかりやすいですからね……」
「そうそう。だから、ちょっと背中を押したら野間もまんざらではなかったようで、今に至るわけだ」
「七海も一枚かんでいたのか」
野間たちと話していた際、七海は話の展開を知っているかのような雰囲気だった。そもそも彼女が前後の文脈に関わっていたのだとすれば、つじつまは合う。
「かんでいたというよりは、私は月乃の相談に乗っていただけだ。友人の悩み事を解決したいというのは当然の心理だろう、大河」
「まあ、そうだな」
さんざん七海からお人よしだと言われ続けてきた身だ。そこに含まれている意図の大半はからかいであるとはいえ、俺にとっての友人――虎門――が目の前にいる関係上、嘘でも否定するのは難しい。
「つまり、七海は大河に触発されたのか」
今まで黙っていた虎門がぼそりと口を開く。七海が続きを促すかのように視線を向けると、彼は居心地が悪そうに身じろぎした。
「これからする話で気を悪くしてほしくはないんだが。七海は、おれと少し似ている気がしていた。性格の明るさは天と地との差があるが、少なくとも皆とフラットに接して、極端な敵も味方も作らないようにしている。そんな印象だった」
「ああ、確かに。別に友だちを作るのを避けていたわけではないけど、人間関係がドライだった自覚はあるよ」
虎門の指摘に気を悪くする様子もなく――七海は図星を差されて不快感を表明するほど心は狭くない――あっけらかんと答えた七海は、それで? と水を向ける。
「だから、野口のために色々考えたり、アドバイスするのは正直らしくないな、と思った。だとしたら、大河の影響によるものな気がしたんだ。おれたちの回りで、一番お人よしなのは間違いなく大河だろうから」
「かもしれないな」
やたら深く虎門を追及した割に、七海のリアクションはあっさりしていた。そんな彼女を高嶺がじっと見つめている。
「ゆきさん、並木くんとは」
「いやいいんだ。行こう。
とっくに食べ終わっていた弁当箱を片付けると、七海はすっくと立ち上がる。彼女の勢いにつられたらしい高嶺も続き、俺たちにぺこりと頭を下げて席を離れていった。
「大河、七海と何かあったのか?」
彼女たちが去ってから数分の沈黙ののち、虎門が問いかけてくる。話の流れからしてもっともだと思いつつ、俺は返答しあぐねていた。
表向きは普通だが、ふとした瞬間に七海のリアクションに違和感を感じる。こうなったのは、彼女の家でクッキーを作ったとき、いや正確にはその後彼女のきょうだいたちと面談まがいのことをしたとき以降だ。
七海が何か腹に一物抱えているというか、俺に対して言いたいことがあるんじゃないかと思うタイミングがよくあるのだが、それが何なのかがわからない。今まで彼女は、思ったことをはっきり口にしてきたし、思いついたことはすぐに行動に移してきていた。だから今の煮え切らない言動に対してどう接していいのかがわからず、対応に苦慮していた。
「よく知った気になっている相手についても、わからないことは多いな」
だから俺は、それだけ言ってごまかした。察しがいい虎門相手にいつまでもごまかせるとは思っていないが、俺本人がどうすればいいのかわかっていないのだ。相談するにしても、もう少し考えを整理してからにしたほうがいいだろう。
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