8、ランチタイムは密やかに
俺たちのクラスの男女が入れ替わっていることは、他クラスにも知れ渡っている。男女での入れ替わりが発生していると主に運動能力に支障があるだろうということで、部活への参加は任意になった。ゆえに、普段昼練がある奴らも多くが教室で弁当を食べている。
「一か月もサッカーをしなかったら、身体がなまるって」
そう言って教室を飛び出していった
「いくら野間でも、野口の身体に怪我をさせるような動きはしないだろう」
フォローになっているかわからない言葉を口にすると、野口は目をぱちくりさせた。地黒で細身の野間の身体でその動きをされると、小鹿のようだ。
「でも、わたし本当に運動音痴だから……野間くんが普通にできるって思った動きでも、転んだりするかも。転んで擦り傷を作るなんてしょっちゅうだからそれくらいならいいんだけど……」
「不安なら、野間の様子を一緒に見に行こうか」
「ゆきちゃん、いいの?」
「ああ。私たちが見学していたほうが抑止力になるだろう。無茶な動きをしていたら止めに入れるし」
「そう、だね」
二人がサッカーコートに向かって席を立つのを見送ってから、俺は
「虎門、今日は昼練行かないよな? 一緒に飯食おうぜ」
「ああ」
頷いた虎門は、ちらりと隣の席に目をやる。今は空席だが、
「俺は、情報共有も兼ねて高嶺と昼を食う約束をしている。場所は進路指導室だ。たぶん大河も来るとは言ってあるから、大丈夫だろう」
「進路指導室、ってどこだ?」
入学して一か月の俺たちにとって、進路指導室ほど縁のない部屋もない。首を傾げると、弁当箱を持った虎門が出入口へと向かう。ついて来いということらしい。別に拒む理由もないので後に従った。
・・・
進路指導室は一階の奥にあった。我が高校は学年が上がるごとに階数が下がる仕組みだから、要するに三年生のフロアというわけだ。確かにここなら同級生が立ち寄るリスクは低いだろう。
扉を開けると、奥に二人掛けのソファ、手前に椅子が二脚置かれたこぢんまりとした部屋であることがわかる。奥のソファに虎門の姿をした高嶺が腰かけ、お弁当を食べていた。可愛らしい包みに、目を瞬かせる。
「えーっと、お前らは弁当は中身準拠な感じか?」
「そりゃそうだろ。いくら身体はおれとはいえ、高嶺の食事量とおれの食事量は違う。高嶺がおれの弁当を食いきれるわけがない」
進路指導室の扉を閉めながら、虎門が呆れたように言う。一理あるなと思いつつ、俺は手元の黄色い弁当箱を見やった。これは七海から預かってきた弁当だ。
「俺と七海は弁当を交換したぞ。体格の維持が最優先だって。もっとも俺と七海は身長がほとんど変わらんから、大して影響はない気がするが」
「確かに、むしろ七海のほうが長身だろう」
「まあな」
椅子を引いて高嶺の前に腰を下ろす虎門を見て、俺も隣の椅子に座る。高嶺は顔をあげて目礼した。
「並木くん、ですよね。高嶺華です。今は竹内君の姿になっていますが。よろしくお願いします」
「ああ」
深々と頭を下げられて、リアクションに困ってしまう。向こうは俺のことを知っているようだし、クラスメイトに今さら自己紹介するのも変な気がする。何よりいつも雑に絡んでいる虎門の姿で丁寧に来られると、戸惑うというのが正直なところだ。
若干挙動不審な俺の様子にかまわず、虎門は弁当の包みを開ける。大きめの弁当箱にご飯がぎっしり詰められており、確かに女子が食べるには荷が重そうだ。
「高嶺にそれを食わせるわけにはいかないっていう気持ちはわかるが、身体は高嶺なんだぞ? 炭水化物ばかり摂取して大丈夫なのか? 例えば、ダイエットをしていたりとかしたら悪影響なんじゃないか」
「大丈夫です。ダイエットは、していませんので。私は、食べてもあまり太らないタイプなんです。なので、竹内くんが食べたいものを食べてもらったほうがいいと思っています」
余計なお世話かもしれないが思わず口にしてしまった俺のコメントに、高嶺が丁寧な返しをくれた。虎門から「高嶺はなるべく声を出したくないらしい」と聞いていたのと、彼女がクラスでしゃべっているのを見たことがなかったのとでてっきり無口なタイプなのだと思い込んでいたが、そういうわけでもないようだ。
俺が口にした問いにはきちんと答えを返してくれる。同級生に対する会話としてはやや硬い感は否めないが。ならばと、俺は言葉を続ける。
「虎門と入れ替わって、困っていることとかないか。ぱっと見で、そんなに変なところはなかったが」
午前中二人の様子をそれとなく観察していたが、おのおの静かに授業を受けているだけで、いつもと変わらなさそうだった。授業の合間は入れ替わりを解いていたがそれはどのペアも一緒だ。元の姿に戻った二人はさっと教室を出て、授業直前にまた戻ってくるので他のクラスメイトと言葉を交わしている様子もない。
そんな分析結果を踏まえての問いかけに対し、高嶺は少しの間箸を動かす手を止めて、首を横に振る。
「特に、困ってはいません。私も竹内くんも目立ちたくないという意見では一致しているので、普段とほとんど変わらないと言ってもいいです。ただ、私はなるべく自分の声を他の人に聞かせたくないので、竹内くんには負担を強いてしまっていますが」
「それは高嶺のポリシーなんだろ。男女で入れ替わるなんて事象が起きなければ、高嶺が自分で守っていれば済むだけのルールだったんだ。入れ替わりが起きたのは高嶺のせいじゃないんだから、気にすることはない」
「ありがとう、ございます」
深々と頭を下げる高嶺に、虎門は顔をあげずに答える。
「そもそも、俺だって口数が多いほうじゃない。今みたいに他の人に聞かれる心配のない部屋で、大河と話すくらいなら問題ないんだろう? だったら大して困ることはない」
「そう言っていただけると、ほっとします」
胸に手を当てて穏やかに告げる高嶺は、見た目は虎門のくせにいいとこのお嬢様といった雰囲気を醸し出している。これだけ普通にしゃべるのに、声を聞かせたくないというからにはやはり「声そのもの」が彼女にとってネックなのだろう。虎門を通じて聞く限りでは何ら変なところは感じないが。
とはいえ女子の事情に深く首を突っ込むのも不自然かと思い、黙々と箸を進める虎門の隣で俺も弁当に手をつけるのだった。
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