第2話 叶える夢
「夢。もう眠りますか?」
「ううん、そうじゃなくて。僕ね、小学生の時に将来の夢があったんだ。それで作文を書いたら、先生に『もう六年生なんだから、現実を見たほうがいいぞ』って笑われちゃったんだ」
なんだって……?
そんな話は初めて聞いた。
六年生の時の担任の先生は、それほど悪い人には感じなかったけれど、私が見ているのは毎日接している子ども達よりもさらに一面的でしかないし、保護者に対するときと子ども達に対するときでその顔は違ったのかもしれない。
いまさらながらそんな話を聞いて、未来ある子どもになんてことを言うのかと腹の中に怒りがふつふつと湧く。
「なりたいと思うの、いけないことなのですか?」
「うーん……。どうなんだろうね。わからない。でもその時の僕は、とにかく恥ずかしかったんだ。作文に書いた文字も、書いたってことすらも、全部きれいに消しちゃいたかった。でも新しく『将来の夢』について作文を書くにも、何も思いつかなくって」
息子の声は情けなそうに笑っていたが、私は胸が締め付けられるようだった。
息子がどんな夢を作文に書いたのかはわからない。
けれどどんな夢であっても、何歳だとしても、誰かが笑っていいものではないはずだ。
「現実的になれそうな職業っていっても、なりたいとも思ってないのに作文に書くのは嘘だし。でも授業参観で発表することになってたから、作文は書いて提出しなきゃいけない。授業参観が近づいてきて、だけどそんなすぐに夢なんて思いつくわけもなくて」
それはそうだ。
何かのきっかけで夢が生まれることもあるだろうけれど、胸の中でずっと温めてきたものに成り代われるものなんて、たった数日で思い浮かぶわけがない。
「だから、僕、『わかりません』って書いたんだ。人に笑われなくて、現実に叶えられそうな夢なんて、その時の僕にはわからなかった。だって、僕がどんな大人になるかもわからないのに、どんな夢なら叶えられるかなんて、わからないよ。夢があるから、そこに向かって努力するんでしょう? それはこれからのことで、子どものうちにそれが実るかどうかなんて、どうやってわかるの?」
本当に息子の言う通りだと思う。
教師という立場から、夢見がちな生徒を諫めたつもりだったのかもしれない。
けれどたとえば戦隊ヒーローになりたいという夢を叶える人だっている。
パイロットとか、総理大臣だとか、ほんの一握りの人しかなれない職業だって、誰かはその夢を掴んでいるのだ。
その一人に息子がなれないと、何故今からわかる?
結果としてなれなかったとしても、その夢のために頑張ったっていいではないか。
それが自分の人生を生きるということなのではないか。
「だけどその作文を出したら、今度は怒られちゃって。ふざけてるのか? って。なんで前のを消してこんなこと書いたんだ、って……」
今から小学校に乗り込みたいくらいに腹が立つが、その先生は市外に転任してしまって今はもういない。
きっと先生はなんの気なく息子の夢を笑ったのだろう。だから自分が何を言ったのか忘れてそんなことを言うのだ。
そんな無意識の一言こそが、人を傷つける。
これは誰にもありえることで、自分自身も常日頃から否定してしまっていないか気をつけなければならない。
「それで結局、作文は書けなくて。先生は最初の作文でいいって言ったけど、誰かに笑われたものを授業参観で発表するなんてできなくて……。その日、僕、初めてズル休みしたんだ」
そうか。やっと繋がった。
息子が唯一ズル休みだと丸わかりの態度で学校を休んだのは、そんなことがあったからだったのか。
ズル休みしたいことくらいあるだろうと、寛容な、『いい親』のフリをしてきちんと話を聞くこともなく流してしまったことを、今さらながらに後悔した。
あの時はそれが息子にとって一番いいのだろうと思ってしまった。
もっとちゃんと話を聞けばよかった。
そしてどんな夢でも、頑張れ! って言ってやればよかった。
息子はあまり辛いことや悲しいことを私に話さない。だからといって毎日元気で平和なわけじゃあるまいに。
こうして私はあれこれと息子の気持ちを取りこぼして来てしまったのかもしれない。
「その夢、どんな夢でしたか?」
「それはやっぱりまだちょっと恥ずかしくて、言えないかな。だけど、今の夢なら胸を張って言えるよ。あのね――」
私はその会話の途中で、這いつくばっていた階段から慌ててぞうきん片手に静かに下がっていった。
ついうっかり夢中で階段に這いつくばるようにして掃除をしていたからしのぶように近づいてしまっていたけれど、これは聞いていいことではない。
いつか息子が私に話してくれるまで。
だから今は、二人の会話が聞こえなくなるところまで、迅速に離れよう。
そうして息子は私が思うよりもずっとずっと成長していて。
ノイバスティと出会ってからは、それは目まぐるしいほどで。
その変化を、私以外にも感じ取っている人はいたのだ。
まさかそれが、息子を苦しめることになるとは思いもしなかった。
人生は皮肉だ。
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