10、オリヴィアが思いついた危うい計画

「なんとしても私はリオから離れたくない。それなら邪魔者を消すしかないよね」


 その言葉は私の口から出たのだろうか? 得体の知れない期待感に鼓動が早くなり、異様な高揚を感じた瞬間、黒い影が私の頭を包んだ気がした。


「消すって、どうするの?」


 リオの声が不安に揺れているのに、私は荒い息のまま言葉を紡いだ。


「台所にはナイフがあるでしょ。夜、あの女の寝室に忍び込んで、あの汚い首元をっ切ってやるのさ。ぐふふふ」


 黒ずんだ視界がぐにゃりと歪み、私の上半身が左へかしいだ。


「オリヴィアにそんなことさせられない!」


 リオは私を抱きとめると、もう片方の手のひらを私の手の甲に重ねた。


「あんな女のために君が手を汚すことなんかない。やるなら僕が――」


「だめよ!」


 私は急に我に返った。視界は元に戻り、背中にはリオのあたたかい腕の重みを感じる。


「私にとってリオは純粋で美しい男の子なの。人殺しなんて絶対だめ」


「僕を理想化しないでよ。オリヴィアこそ僕にとっては、聖母様のようにけがれなく美しい人なんだよ!」


「私はそんな――」


 反論しかけた私の唇を、リオのかわいらしい指先が止めた。


「オリヴィアは僕のために本気で怒ってくれる優しい人だもん」


 ふわっと笑うリオは、初めて出会った半年前から変わらぬ幼い少年に見えた。


「ごめん」


 謝罪の言葉が口をついて出た。一瞬前の私はどうかしていたのだ。リオの前で怒りに我を忘れ、主の教えにそむくようなことを口走った自分が恐ろしい。


 だがリオの手のひらから伝わる熱が、私を光の下へ引き戻してくれた。私の胸いっぱいに広がるあたたかい想いが、怒りを溶かして涙に変えた。


「オリヴィア、泣かないで」


 リオは私を強く抱きしめながら、


「それよりも僕たちが離れないで済む方法を考えよう。アンナを消したって、もう僕には聖職者か音楽家になる道しか残されてないんだから」


「聖職者はだめだよ。女人禁制でしょ。――あ」


 小さく声を上げた私にリオはちょっと驚いて、目をしばたいた。


「どしたの?」


「私が男になればいいんだ!」


「オリヴィアが男に? 何を取るの?」


 予想もしなかった質問が飛んできて、私は言葉に詰まった。思考がそっちにしか行かないリオが可哀想で、彼のブロンドを優しく撫でた。


「リオの服を着るだけよ。男の子のふりして、どこでもリオの行くところについてくの」


「でも――」


 リオは不安そうに眉根を寄せた。


「今はいいけれど、数年経ったら怪しまれない? オリヴィアは髭も生えないし、声変わりもしないんだよ?」


「それはリオも一緒でしょ?」


 私の言葉にリオはポンっと手を打った。


「そうか! オリヴィアは最初からついてないから!」


「リオ、言い方!」


 私に恋をしているって言ってくれたのに、あんまりだ! 私が目を吊り上げたとき、階下から足音が聞こえてきた。階段のきしむ音に私たちは顔を見合わせ、


「しまった!」


 どちらからともなく押し殺した声で叫んでいた。


「オリヴィア隠れて!」


 リオが私を毛布の中に押し込めたのと同時に、


「リオネッロ、そこに誰かいるのかい?」


 アンナおばさんのいぶかしげな声が聞こえた。


「ぼ、僕一人だよ!」


 リオはドアのほうを振り返って、うわずった声を張り上げた。


「嘘をついちゃあいけないよ、坊や」


 不気味な猫なで声のうしろで、


 チャリーン――


 と、かすかな音が響いた。


 階段を登っていたアンナおばさんの足音が止まる。


 チャリン、チャリリン……


 続けざまに、小さな金属片がいくつも転がり落ちる音がすると、足音は階下へ戻っていった。


「お前さん、一体さっきから何を――」


 アンナおばさんの小言が途中で止まった。


「こ、これは銀貨じゃないか!」


 素っ頓狂な声を出すのも当然だ。私たち庶民のほとんどは、銅貨しか見たことがないのだから。


「この家に銀貨なんてあるの?」


 リオが眉をひそめたとき、


「あちっ!」


 階下からアンナおばさんの悲鳴が聞こえてきた。


「ひっ! これも、痛いっ! ギャァ」


 奇怪な叫び声が続く中、アンナおばさんよりずっと重い足取りが階段をきしませて近づいてくる。


 リオは小刻みに震えながら、私を毛布の上から抱きしめた。


 ギギギと不気味な音を立てて屋根裏部屋のドアが開く。私は毛布の隙間から片目だけ出して、こっそりドアの方をのぞいた。


 そこに立っていたのは、手燭を片手に持ったルイジおじさんだった。いつも通り目の下にクマを作った姿に、私は少しホッとする。


「わしの工房へ」


 あまりに言葉が少ないせいで理解するのに一瞬、時間を要した。意味を理解したリオが遅れて、


「はい」


 と返事をするとベッドから降りた。リオを見下ろしながらルイジおじさんが、


「二人とも」


 とつぶやく。どうやら私がここにいると知られていたらしい。


 私は素直に毛布から這い出した。


 先頭に立って急な階段を下りるルイジおじさんに、リオが続く。その小さな背中に、私は声をかけた。


「リオ、もう痛まないの? 階段降りて平気?」


「心配しないで。普通に歩いたり動いたりしてもいいんだって。でも激しい運動や力仕事はしばらく控えろって言われてる」


「えっ、それじゃあさっき私を引き上げてくれたの、だめじゃん!」


 急に不安になった私を振り返って、リオは優しい笑みを向けた。


「オリヴィアは軽いから大丈夫」


 いやいや、身長なんか私の方が高いくらいなんだし、手術後の患部がひらいてしまったらどうしよう?


 だが私の心配は、廊下に広がる異様な光景に吹き飛ばされた。




─ * ─




階下にいたのはアンナおばさん? オリヴィアが見たものは?


オリヴィアが急に殺意を抱いた理由も、次回分かります。

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