第17話 すべては推しのために


 獅子心祭で優勝した俺を待っていたのは、それはもう慌ただしい時間だった。


 優勝セレモニー。

 国王ジョンからのありがたーい眠たいお言葉。

 その他なんやかんやの手続きがあって、解放されたのは夜遅くだった。


「あー、やっと終わった。疲れた……」


 ヘトヘトになった俺はようやく自分の部屋の前にたどり着く。

 ドアノブに手をかけて扉を押し開いた。


「ん……?」


 ドアを開いた拍子に、ポトリと床に何かが落ちた。

 しゃがみこんで拾うと、それは四つ折りに折りたたまれた便せんだった。

 どうやら、ドアのすき間に挟み込まれていたらしい。


 俺は小首をかしげながら、便せんを改める。

 


『お疲れリグ。この手紙を見たら、至急お嬢の部屋に向かうように――エスト』

 


「師匠から?」


 手紙の主はエストさんだった。


「お嬢様の部屋に行けって言ったって……」


 俺は懐から懐中時計を取り出して時間を確認する。

 現在時刻は深夜12時を回っていた。


「こんな深夜にお嬢様の部屋に行っていいのか? もう寝てるだろうに……」


 だけど呼び出されたからには無視するわけにもいかない。

 俺は踵を返して、ヒストリアの部屋へ向かった。


***


 そして、ヒストリアの部屋の前にたどり着いた俺。


 コンコン――


 もうヒストリアが就寝している可能性があることも踏まえて、控えめにノックをする。

 だけど予想に反して中から「どうぞ!」というヒストリアの弾むような声がした。


「夜分遅くに失礼します。リグレットです」


 一声断りを入れてからそっと扉を押し開く。


「リグレット! 待ってたよ!」


 部屋の中では満面の笑みを浮かべたヒストリアがソファに腰掛けていた。


「お嬢様……起きていらっしゃったんですね」

「うん! どうしてもリグレットにお祝いの言葉を伝えたくて。エストにお願いしてキミが来てもらえるように伝えたんだ」

「そうだったんですね」


 俺はヒストリアが掛けているソファまで歩み寄り、そっとその隣に腰を下ろした。

 ヒストリアはすでに寝間着姿のネグリジェに着替えていたが、興奮している様子なのは明らかだった。

 口元はゆるみニコニコで、頬も少し紅潮していている。

 

「改めて、優勝おめでとう! リグレット!」

「あ、ありがとうございます……お嬢様」

「応援席の最前列でエストと応援してたよ。目は見えないけど、エストがずっと解説してくれてね? だからキミの頑張りが本当に目に浮かんでくるみたいだった。凄いよリグレット。とってもかっこよかった」

「そんな……俺なんてまだまだですよ」

 

 俺は謙遜するが、心の内では素直に嬉しかった。

 誰かが自分の頑張りを認めてくれているというのは嬉しいことだ。

 それが敬愛するヒストリアなら尚更である。


「でも、ちょっとフクザツかも」

「複雑?」


 不意にヒストリアはそう呟いて顔を俯かせた。

 

「どうしました? なにか問題でも?」


 俺は首をかしげながら問い返す。

 するとヒストリアはモジモジしながら、恥ずかしげに言葉を続けた。


「だって……リグレットが本当はとっても強くて、とっても素敵な人だってこと……皆にバレちゃったから」

 

 そう言い終えた拍子に彼女の長い銀髪の先端が揺れ動いた。

 ヒストリアはこちらをチラリと上目遣いに見上げてくる。その仕草にはまるで子猫のような愛らしさがあった。


「きっとキミはフラジール城の有名人になって。だからこうしてキミと会える時間も減っちゃうのかなって……仕方のないことだけど、そしたらちょっと寂しいなって……」

「お嬢様……」


 本当にこの人は。

 一体何を言っているんだろうか。


「お嬢様、それは無用な心配です」

「え?」


 俺はヒストリアの方へ身体を向けた。

 胸に手をあてて、言葉を継ぐ。


「お嬢様、このリグレット。約束いたします。俺はこの先、どんな立場になっても、この身に何が起きても、貴女のそばにいます。貴女から拒まれることのない限り、貴女のそばで尽くすことを誓います」

「リグレット……」

「ですから、どうかご安心ください。俺はいついかなる時であろうとも、お嬢様の味方ですから。だからこれまでどおり、お嬢様の時間は何よりも大切にさせていただきます!」


 俺はそう言ってニッコリ微笑む。

 

 当たり前のことだった。

 そもそも俺が獅子心祭ライオネル・ストライヴに出場したのも『ヒストリアの為に強くなりたい』という自分の目標に課された試練としてだった。

 つまりはヒストリアの為なんだ。

 

 そのことが原因でヒストリアとの時間が減ってしまうなんて、俺にとってはあり得ないハナシだった。

 

 俺の言葉を受け取ったヒストリアはしばらくボンヤリとしていて、やがてポツリと言葉をこぼした。


「なんで……?」

「え?」

「なんで、リグレットは私なんかに優しくしてくれるの?」


 呆けたような様子でヒストリアがつぶやく。


「なんでって……だって私は貴女の使用人ですから」

「でも……私は目が見えなくて……ずっと地下暮らしで……王城では嫌われていて……そんな私に、なんでキミはずっと優しく接してくれるんだろうって……」


 彼女の口からこぼれ落ちたのは自己否定の言葉だった。


「そんなの関係ありません!」


 だから俺はその言葉を真正面から否定する。

 そして、彼女の両手を取った。


「り、リグレット……?」


 彼女の頬が一気に種に染まる。

 閉じられていた瞳が見開かれ、その奥の灰色の瞳が揺れた。


 たとえ、その瞳には俺の姿が映っていなかったとしても、俺はまっすぐヒストリアの瞳を見つめる。


「お嬢様」


 俺はヒストリアの手を握る力を強めてから言葉を続けた。

 

「俺はずっと昔、貴女の存在に救われました」

「ずっと昔……?」


 ヒストリアは戸惑うような声を上げる。

 

 そりゃそうだろう。だ。

 今の彼女にとってはなんの身に覚えもない話だろう。


 だけど、俺にとってはそれが全てなんだ。

 

「それからずっと、俺は貴女のことを敬愛しています。心から――」


 前世ではうだつの上がらなかった俺の灰色人生。

 そんな俺にとってヒストリアの存在は文字どおり光だった。

 たかがゲームキャラにと言って、笑いたいやつは笑えばいい。

 ヒストリアという存在に人生を救われたんだ。


 そして俺は今、ゲーム世界に転生した。

 この世界に生きる血の通った一人の人間としてヒストリアの隣にいる。


 だから、やるべきことはたったひとつだけ。


「――その恩返しとして、貴女の為にできることはなんでもします。全力で貴女に尽くします」

「リグレット……」


 不意にヒストリアの両目からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。


「お、お嬢様!?」


 ヒストリアは慌てた様子で瞳を両の手のひらで覆った。

 そのまま肩を震わせてしゃくりをあげる。


 突然泣き出してしまったヒストリアを前にして、俺はただオロオロすることしかできない。


「ごめんね。ビックリさせちゃって。違うの、これは……嬉しいからなの……」

「嬉しい、ですか?」

「うん、リグレットが私のことをそんなに大切に想ってくれているなんて……考えてもみなかったから」


 ヒストリアはとめどなく流れる涙を拭いながら、それでも笑顔を浮かべていた。


「ありがとう、リグレット。私、キミと出逢えて本当によかった」

「それは俺の台詞ですよ。お嬢様」


 俺は胸の奥がじんわりと暖かくなるのを感じながら、ヒストリアにつられて微笑んだ。




 


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