第7話 千の魔法使い
部屋の中に通された俺は、テーブルを挟んでエストさんと向かい合って座った。
就寝前ということもあってか、エストさんは執事服ではなく薄手の寝間着に袖を通している。
普段は高めの位置でツインテールに結ばれている金髪も今は解かれていた。
「申し訳ありません、こんな夜分に……落ち着いて話すにはこの時間しかないと思って……」
「前置きはいらない。要件だけを手短に話して」
エストさんは無表情のままピシャリと言い放つ。
予期せぬリグレットの来訪に警戒心を抱いているのがありありと伝わってきた。
「はい、わかりました。ええと……」
俺はすぐに言葉を返すことができなかった。
どこから彼女に話を切り出せばよいものかと思案する。
しばらく迷った末に、結局、結論から切り出すことにした。
「エストさん。単刀直入に言います。俺を鍛えてくれませんか?」
「鍛える? 私が? 君を?」
俺の言葉を聞いたエストさんの眉がピクリと動く。
「どういうイミ?」
「言葉通りの意味です。俺に稽古をつけてほしいんです。戦う術を。俺は強くなりたい。ううん、強くならないといけないんです」
「話が全然見えない。私は兵士じゃなくてただの使用人。頼む相手を間違えてる」
「いえ。俺が頼めるのはアナタしかいないんです。先王リチャードの盟友で、《
俺の言葉を聞いた瞬間、エストさんの端正な顔立ちにかすかな動揺が走った。
フラジール城内において、エストさんの生い立ちやヒストリアとの関係を知る者は多くない。
その秘密を俺が知っているのは前世における【ジリリア】知識のおかげだ。
「なぜ私のことを知っている? 君は一体何者?」
エストさんの声色に強い警戒の色が滲む。
そんな彼女から協力を取り付けるために俺ができることは、ただ真実を話すことだけだった。
「信じてもらえないかもしれませんが、俺は本来のリグレットじゃありません。俺は、ここではない世界から転生してきました」
「ここではない世界……? どういうこと?」
俺はエストさんにこれまでのことを包み隠さず打ち明けた。
自分が前世を持つ異世界転生者であること。
ジリリアに関する知識(ゲームのシナリオとは説明できないので、
その元凶が他ならぬリグレット・モルドレッドであること。
俺がリグレットの身体に転生したことで、本来のリグレットが消滅したかに思われていたけれど、リグレットの魂は俺の中に残っていて、いつ表に出てくるかわからないこと。
俺の意識がリグレットに乗っ取られた場合、ヒストリアに危害が及ぶ可能性があること。
我ながら、自分の語った言葉が荒唐無稽な与太話にしか聞こえない。
当然ながらエストさんも最初は俺の話を信じていないようだった。
だけど、俺がジリリア知識をフル稼働して、彼女の出身地や誕生日、エルフ族としての真名、更にはエストさんと先王リチャードの関係性など、リグレットが知るはずのない知識を次々と披露していくことで、次第に半信半疑といった様子へと変わっていったようだ。
「にわかには信じられない話だけど、腑に落ちることがある」
俺の話を聞き終えたエストさんが、ポツリと呟いた。
「五年前――君が王城にやってきた日から、私は君をずっと警戒してた」
「はい。それはなんとなく感じていました」
「エルフ族は魔力に敏感で、その人間から放たれる魔力の質を感じることができる。私は特にその能力に長けていて、魔力の質を元に、相手の性格というか、本性みたいなモノも察することができる」
ジリリアの原作では、それはエストさんの固有スキルとされていた。
魔力感知能力が異様に鋭く、他者の潜在的な悪意や本性を読み取る能力だ。
「教えてください。エストさんが感じた俺の本性っていうのは……」
「ひと言でいうと、絶対悪」
「ぜ、絶対悪!?」
「善良な仮面の下に被ったドス黒い闇。人間のクズ。コイツは生かしておいちゃいけない人間。ゲロ以下の臭いがプンプンするド畜生」
(あのー、ちょっと言いすぎじゃない?)
エストさんのリグレット評は思っている以上にボロカスだった。
もちろん俺のことじゃなくて本来のリグレットのことなんだけど、それはそれで複雑な気持ちになる。
「だけど……」
俺が肩を落としていると、エストさんが不意に言葉を続けた。
「お嬢と関わる君を見ていて、段々と分からなくなっていった。君と一緒にいるときのお嬢は心からの笑顔を浮かべていて、本当に楽しそうで。君からはお嬢に対する優しさや慈しみがあふれ出ていたから。とても演技には見えなかった。だからまずは見守ることにした。万が一お嬢に危害が及んだ場合、すぐに君を始末できるように――」
『始末』というフレーズが持つ冷たい死の響きに、俺はゴクリと喉を鳴らす。
「でも君の言うとおり、君の中に二つの人格が共存しているとしたら、私の抱いた違和感に説明がつく。だから、君の話をとりあえず信じることする」
「ありがとうございます! エストさん!」
「そのうえで、一つ聞かせてほしい」
「なんですか?」
「なぜ、君は強くなりたい?」
「え……?」
エストさんの翡翠色の瞳がじっと俺を見つめる。
まるで俺という人間の在り方を見定めようとするように。
「君が強くなったからといって、君の中にいるリグレットと実際に戦えるわけじゃない。それどころか、むしろ君が会得した戦闘技術がリグレットに悪用される可能性だってある」
エストさんは淡々と言葉を紡ぐ。
「そもそも、君が本気でヒストリアを傷つけたくないと望むなら、もっと簡単な方法がある。このフラジールから去ればいい。元々君はこのフラジールで他の貴族から疎まれている存在で、王城での居心地も悪いはず。それなのに何故そこまでお嬢に拘る? その理由を教えてほしい」
「…………」
俺は押し黙り、しばらくの間考え込んだ。
「俺は……この世界に転生してから、どこか楽観していました」
ぽつりと、呟くような声で語り始める。
「今までとまったく違う自分になれて、ヒストリア様という素晴らしい女性と出逢えて、浮かれていたんです。本来のリグレット・モルドレッドの持つ悪意なんてまったく気にしていなかった――」
リグレットが現れた夜のことを思い出す。
ブルリと身体が身震いした。
「でもそれは間違いだった。リグレットが初めて表に出てきたとき、俺は恐怖と一緒に強烈な敗北感を味わいました。ヤツは強くて俺は弱い。このままじゃいずれはヤツの悪意に自分が飲まれてしまうリアルな実感があった。そんなのは嫌だ。俺は俺のままでありたい。だから強くなりたいんです」
エストさんの問いに対する答えになっているかは分からない。
俺は心の底から湧き上がる気持ちを、ありのままに言葉へ変えていった。
「それともう一つの問い――俺がヒストリアお嬢様から離れない理由はもっとシンプルです」
俺はスーッと息を吐いてから、ハッキリと言い切った。
「俺はお嬢様が大好きです。今、暗闇の中を生きる彼女に光を与えてあげたい。その役目は誰にも渡したくない。それだけです」
ヒストリアを傷つけたくない。
だけどヒストリアの傍から離れたくない。
そのジレンマは俺のワガママ。
けれどそのワガママは、この世界における俺自身の存在証明だ。
「…………」
エストさんは俺の語る言葉に黙って耳を傾けている。
「あ、いや……好きって言ってもアレですよ? 恋愛的な意味じゃないですからね!? 相手は恐れ多くもこの国の第二王女様ですし……その辺はちゃんと弁えてます! もちろん不敬にならない範囲でですね? 敬愛の念に近いというかですね……? もっと言うと推しに対する崇拝に近い――」
「……ふっ」
それまで沈黙していたエストさんが小さく笑みをこぼした――ような気がした。
「な、なんですか?」
「いや、なんでもない」
エストさんは小さく首を振り、瞳を伏せる。
「いいだろう」
「え?」
「私が君を鍛える」
「ほ、本当ですか!?」
「ただし」
エストさんはスッと目を細めて、人差し指を立てた。
「一つだけ約束してもらう」
「約束……ですか?」
「私が課す訓練――それを途中で投げ出した場合、君にはすぐにこのフラジールを去ってもらう」
「それはつまり……ヒストリア様の元から去れと?」
「そうだ」
エストさんは言葉を継いだ。
「私は君の言葉から、お嬢のために強くなりたいという意志を感じた。だけど、私が課す試練に耐えられないようじゃ、結局それは嘘だったということになる。そんな中途半端な嘘つきが、内なる悪意に打ち勝って、お嬢を守れるはずがない」
「…………」
「それが私が君を鍛える条件だ。さてどうする?」
エストさんの眼差しが、まるで俺に挑むかのように射抜く。
俺はゴクリと唾を飲み込んだ後、はっきりと言い放った。
「わかりました」
「その言葉が嘘じゃないことを祈るとしよう」
そう言ってエストさんは、話はこれで終わりと言わんばかりに立ち上がる。
俺もつられて立ち上がった。
「特訓は明日から。毎朝4時。訓練場にきて」
「はい! 分かりました!」
俺はエストさんの部屋を後にするその去り際に、もう一度だけ彼女の方に振り返った。
「本当にありがとうございました。エストさん」
「お礼を言われる筋合いはない。それに私に弟子入りしたこと、君は明日には後悔しているかもしれない」
「そうならないように、全力で頑張ります。それでは失礼します。おやすみなさい」
俺は部屋を出ると、そのまま真っ直ぐ自室へと戻った。
エストさんの言葉にハッタリはない。
おそらく明日以降、お願いしたことを後悔するような過酷な特訓が俺を待ち受けているのだろう。
「望むところだ。絶対にやりとげてやる。ヒストリアのために!」
だけど、やるべき道が見えた後のその足取りは、不思議と軽かった。
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