第4話 二人の王女
王妃ゲルダはゆっくりと俺たちの元に歩み寄る。
そして、レイピアを抜刀したまま跪くダメディスに凍てつくような眼差しを向けた。
「ダメディス。貴様何を考えている? 我がフラジール城の庭園を血で汚すつもりか?」
「そ、そのようなつもりはまったく……! ゲルダ様……こ、この男です! リグレットが私に対して侮辱をしてきたため、マルデー家の名誉を守るために仕方なく……」
アタフタと言い訳を口にするダメディス。だが――
「言い訳は聞かぬ。我が姫シャーロットの許嫁として、軽率な行動は控えよと常々言っておいたはずだ」
「も、申し訳ございません……」
ゲルダはぴしゃりとダメディスの反論を遮った。
ダメディスは震える声で返事をして、手にしていたレイピアを収める。
さっきまでの威勢はどこへやら。ゲルダに睨まれたダメディスは、借りてきた猫のようにすっかり大人しくなってしまった。
それも仕方のないことだった。
フラジール王妃、ゲルダ・オルダーク。
無能なジョン王に代わり、実質的にフラジール王国の実権を握っているのは齢四十の彼女である。
智謀に秀で、優れた政治手腕を振るう一方で、目的達成のためには手段を選ばない非道なやり方や、自身に仇なす者は徹底的に排除する苛烈な性格により『オルダークの魔女』の異名をとる。
ゲルダの射抜くような視線が今度は俺に向いた。
「貴様もだリグレット。たかが伯爵家の養子風情がマルデー家に楯突こうなど考えるな。分を弁えろ」
「は、申し訳ございません、ゲルダ様」
俺はゲルダの言葉に対して素直に頭を下げる。
「あらお母様。リグレットは何も悪くないわ」
すると小鳥がさえずるような軽やかな声が頭上から降った。
面を上げると、ゲルダの肩越しにこちらを覗く少女の姿があった。
絹糸のような金髪を朝の日差しに照らし、青い瞳を輝かせる美しい令嬢。
ゲルダ・オルダークの一人娘にして、フラジール王国第一王女――シャーロット・オルダークその人だった。
シャーロットが、花のような笑みを浮かべて俺に問いかけてくる。
「リグレットはヒストリアお姉様の名誉を守ってくれただけよ。ね、そうでしょう?」
「いえ、ゲルダ様のおっしゃるとおりです。みずからの身分を弁えない浅はかな行動でありました」
「相変わらず真面目ねリグレット。でも私、貴方のそういうところ好きよ?」
(この人は……仮にも自分の婚約者であるダメディスの前で、そういう神経を逆撫でするようなことを言わないでほしいんだが)
俺は内心で嘆息しながら、表面上は愛想笑いをするに留めた。
シャーロットの後ろでは、
(まあ、自分の婚約者が自分以外の男に愛想を振りまいているのだから面白くないのは当然だよなー。同じ男として同情できなくもない)
しかし、シャーロットはそんな繊細なブタくんの男心を気にも留めていない様子で俺に笑いかけた。
「ねえ、リグレット。お姉様はお元気かしら?」
「はい、変わりなく過ごされております」
「それはなによりね。私も久しぶりにお姉様にお会いしたいわ?」
「え。ヒストリア様に? それは……」
シャーロットの提案に、俺は一瞬言葉を詰まらせてしまう。
ぶっちゃけヒストリアとシャーロットを引き合わせることはあまりしたくなかった。
なぜならば、シャーロット第一王女とヒストリア第二王女――歳近い二人の姫君の境遇は、残酷的なまでに対照的だから。
シャーロットは王妃ゲルダの庇護の下、多くの人からの愛を受けてあたたかな陽だまりの下、何不自由ない生活を送っている。
一方のヒストリアはその境遇から誰にも顧みられることなく地下の暗闇で孤独に暮らしている。
光と影――
それがシャーロットとヒストリアという二人の王女だ。
シャーロットと接することでヒストリアが自分の不遇な境遇を改めて思い知らされて、傷つくかもしれないのは想像に難くない。
「リグレット。案内してくれる?」
「かしこまりました……」
とはいえ、王族の提案を俺の一存で拒否することなどできるはずがない。
俺はシャーロットを連れて、ヒストリアの元に向かうことになった。
「リグレット……このままで済むと思うなよ……オヤジに言いつけてやるからな……」
去り際にダメディスが怨念めいた言葉を呟いたのを、俺の耳は聞き逃さなかった。
***
「ヒストリアお姉様! お久しぶりですわ!」
「その声は……シャーロット様……?」
王城の地下、ヒストリアの部屋に到着した途端、シャーロットは嬉々として部屋の中へと駆け込んだ。
薄暗い地下室に、シャーロットの弾むような声が響き渡る。
突然の来訪者に戸惑うヒストリアは、事情の説明を求めるように俺の方へ顔を向けた。
「先ほど俺がアシュケリオンの世話をしていたところ、シャーロット様がいらっしゃったのです。お嬢様に会いたいという話をされまして、こうしてお連れいたしました」
「そうだったのですか……シャーロット様、わざわざありがとうございます」
事情を把握したヒストリアは表情を和らげた。
「もうお姉さまったら。そんなに他人行儀にしないでっていつも言ってるでしょ。私たちは従姉妹とはいえ、ただ二人きりの血を分けた姉妹なんだから」
「いえ、私なんかが……シャーロット様と同じ立場にいるなんて恐れ多いです」
「またそんなこと言って。貴女のことをネズミとかモグラとか侮辱する貴族は多いけれど、私は本当に気にしてないのよ?」
(あえてそんなことヒストリア様に言うんじゃねーよ! 本人が気にするだろーが!)
俺は内心ひやひやしながらも、ただ二人の語らいを見守るしかない。
「それにしてもあいかわらず暗くて狭い部屋ね――お姉さまはずっとここにいて息が詰まらない?」
「はい、私は元々目が見えませんし、部屋の暗さは気になりません」
「ああ、そっか。そうだったわ」
シャーロットは自分の失言を気にした様子もなく軽やかに笑う。
「あーあ、お姉さまの目が早くよくなればいいのに。王城は素敵な場所で一杯よ? 煌びやかな夜会、素敵なドレス、美味しい食事……そしたらお姉さまと一緒に楽しめるのになぁ。そうそう、この前なんかね――」
彼女の口から次々と第一王女としての煌びやかな生活が語られる。
俺にはその語りが、自分がいかに周りから愛されているか、恵まれた生活を送っているかをマウントをとっているようにしか聞こえない。
シャーロットはダメディスのソレとはまた違う悪意をヒストリアに向けていやがる。
(いい加減にしろ。自覚があるのか無いのか知らないけど、その言葉がどれだけヒストリアを傷つけると思っているんだ!)
「シャーロット様……! そのあたりで……!」
俺はこらえきれずに彼女の振る舞いを諫めようと声を上げかけた。
しかし――
「リグレット」
俺の心を見抜いたのように、ヒストリアが俺を制する。
彼女は口元に穏やかな笑みを浮かべたままシャーロットの語らいに耳を傾け続けた。
***
「あー楽しかった。それじゃあ私はそろそろ行くわ。ありがとうお姉さま。リグレット、帰りは見送りは不要よ」
ひとしきりマウントを取って満足したのか、シャーロットは部屋を後にした。
廊下から響く軽やかな足音が聞こえなくなったタイミングで、俺はヒストリアに向かって謝罪する。
「申し訳ありませんでした。お嬢様……」
「なんでリグレットが謝るの? シャーロット様から、この目で見ることの叶わない世界のお話を聞けて楽しかったよ?」
「ですが……」
「シャーロット様のお話を聞いて私が傷つくかもしれないって心配してくれたんでしょ?」
「それは……」
「大丈夫。私は慣れてるから。気にしないでリグレット。やっぱりキミは優しいね」
ヒストリアのその言葉に俺は下唇をきつく噛んで、ただうつむくしかなった。
(慣れる必要がどこにあるんだ――!?)
ヒストリアは馬鹿じゃない。
人の感情の機微に敏感な人間だ。
当然彼女もシャーロットが胸の内に秘める悪意を理解していることだろう。
理解したうえで、それを受け入れている。
相手を赦しているのだ。
優しすぎるよ。
ヒストリアは優しすぎる。
こんな優しい子が不幸になるなんておかしいじゃないか。
そのために俺にできることはなんだってしなきゃいけない。
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