第4話 事件現場に向かう

 BLANCの文字型のネオンが灯された。夜七時ちょうどだ。

 夏ごろまでは明るかったこの時間も、秋の半ばとなるととっぷりと暗い。さいわい横丁の居酒屋やキャバレーやバーやストリップ劇場は、どこも華やかな光を放ち、客がどんどんと押し寄せてくる。昼とは大違いだ。

 建設関係らしい労働者の荒々しい会話。活気ある足音。女の子たちの楽しげに振舞う声。どれも味わい深い。

 ここBLANCも、なじみの客がダリルとの会話を楽しむためや目当ての女の子を口説くため、一人で飲むためと様々な目的で狭い店内に集まってくる。ダリルは昼間とは大違いにきびきびと働き、活気ある声で会話をする。

 アルコールの匂い。ダリルは後ろの棚から酒を選び、素早くシェイカーでかき混ぜてカクテルを作る。できたカクテルはレモンの輪切りを添えられ、なかなかうまそうに見える。

 この店はさいわい横丁では良心的なほうの店で、ぼったくりや酒を薄めるなどのルール違反は滅多にだがやらない。


 二階から福が降りてきた。さっきのようにゆっくりと靴を履く。


 福は三階建てのこの店の二階に住んでいて、事務所もそこだ。ダリルが借りているというこの建物全体の一部に間借りしているそうだ。

 ただ、僕は福とダリルの関係を知らない。姉弟なのかと思ったらそうでもなく、会話をしているところもあまり見ない。そもそもハチもここに住んでいるのだが、ハチと二人の関係も知らない。謎だらけだ。


「遊部さん、こんばんは。この間は、どうも」


 ダリルの客の一人が福に挨拶をした。何か含みを持たせた様子だ。福もにっこりと微笑み、


「その後の経過はいかがですか?」


 と訊く。客はにやにやと笑い、


「お陰さまで、いい調子だよ」


 と答えた。福は微笑んでいた。


「それはよかった」


 二人で店を出て、車に乗り込む。福は車を持たないから、僕の車に乗せるというわけだ。

 僕がいないときはバイクで調査に回っているという。福のスーツにオートバイというスタイルは目立つので、僕がついて行きたい事件のときだけ、僕が乗せて回る。


「さっきのは、何だ?」


 僕が訊くと、福は答えた。


「仕事の関係だ」


「それにしても変なやつだったな。いい服を着ていたし、立ち居振る舞いも上品だった。この界隈でうろついてるなんて何か変だよ」

「それはあんたも同じだろう」


 福は前を向いたまま言った。それもそうだ。僕はすぐに忘れて車を進めた。

 ここ渋谷区はかつてかなり繁栄を極めた自治体だが、今では戦争の影響で荒れ果てて、今もある食糧難をやり過ごすために、ところどころ畑すらある。

 地面は幹線道路だけはアスファルトで固めてあるが、それ以外は壊滅的で、タイヤがパンクしないように気をつけなければならない。

 もっとも、自分で運転するやつなんて派手な車に乗る僕のような富裕層くらいなもので、大抵の人々は自動運転のタクシーや公共交通機関に乗るものだ。


「相変わらずいい車を走らせてるんだな」


 福が目を合わせずに笑う。僕はうなずき、


「ランボルギーニの新作だよ。まだローンが残ってるけどものすごく気に入ってる」


 と答える。福は黙る。僕は構わず、


「犯行現場は同じ渋谷区内の道玄坂どうげんざか二丁目だったね。あの辺は戦争でも特にひどくやられた地域だったはずだ。住んでるのは荒くれ者や低所得者ばかりで、さいわい横丁と比べても相当の荒れた地域だって聞く」

「殺されたのは山田エリック。全身にタトゥーをしたタイプの威圧的いあつてきな男だ。あの辺りでは相当嫌われていた、暴力的なタイプの人間だ」


 福は煙を長く吐いた。僕は少し考えて、話しかける。


「じゃあ男の関係者に犯人がいるかもね」

「そうだな。まず、現場に行ってみよう」


 僕らは幹線道路に入り、真っ暗な街灯だけの街を進んでいった。渋谷駅が見えてきた。

 以前とは比べ物にならない小さな駅だ。鉄道はやはり重要で、多くの鉄道会社は戦争のときも線路を守ろうとした。多くの鉄道関係者が亡くなったということだ。その結果、線路は今でも残っている。


 渋谷駅近くの裏町に入ると、バラックばかりの街並みが広がる。山田エリックの家もこの一つだろうが、区別がつかないくらいどれも同じだ。

 道が狭いので、車を停めて歩き出した。


「ちょっとちょっと、ここは事件現場ですよ。何ですか。何者ですか」


 しばらく携帯式のライトの灯りで歩いていると、困惑したような声が聞こえ、禿げた壮年の小男がやってきた。後ろには大柄な若い男がいて、僕らを――いや、福を――睨んでいる。

 よく見ればバラックの一つに黄色い蛍光色のテーピングがしてあり、ここが事件現場らしい。


「柴田岩石がんせき刑事じゃないですか」


 福がにやりと笑って言うと、柴田と呼ばれた小男はびくっと肩を揺らして福を見上げた。


「あ、遊部……」

「柴田刑事と、三田みた刑事が今夜の番をされてるんですね」

「何をしているんだ……」

「依頼を受けましてね。竹原美津子さんに関することを伺いたいのですが」

「何もない! 言うことは何もないぞ!」

「へえ……」


 福はただにやにや笑いながら柴田刑事を見つめていた。柴田刑事は困惑したようにおどおどしていたが、やがて叫ぶように言った。


「わかった! 少しだけ教えてやろう」


 僕は驚く。いくら警察が腐敗ふはいしているからって、一般人の福に事件のことを教えるなんて。

 柴田刑事は福の元に来ると、ポータブルスクリーンを広げて福と、ついでに僕にその映像を見せた。

 後ろの三田刑事は変わらずこちらを睨んでいる。


 映像では、事件現場の3Dが様々な角度から映し出されていた。

 被害者は確かに全身タトゥーの荒くれ者らしい男だ。驚いた顔のまま死んでいる。

 心臓をシンプルに刺身包丁でひと突きにされたらしい。血液は血だまりとなって部屋の中のゴミ袋や衣類に染み込んでいた。


 もう一つ、映像が見せられた。どうやら被害者が撮った映像らしい。

 美津子だ。美津子はこの部屋に立ち、微笑み、被害者がカメラを向けていると気づいた瞬間にそこにあった包丁で襲い掛かっている。すごい形相だ。悪魔のような、鬼のような恐ろしい顔。

 それからすぐにその美津子らしい女の手により、映像は消えた。


「今のところ竹原美津子が容疑者として上がったままだ。これを見れば歴然としているだろう」


 柴田刑事が言う。僕は手が震えるのを抑えられなかった。美津子があのような顔をしうる、ということが、恐ろしくてならなかった。

 福はしばらく考え、柴田刑事に訊く。


「アリバイについてはどうでしたか?」


 柴田刑事は首を振り、


「確かにアリバイはあった」


 僕はホッとする。


「証拠は?」

「この映像以外にはない。髪の毛などの物品はないし、映像でもわかるように美津子は白い絹の手袋をしていて指紋がない」

「映像が加工された品という可能性もあるわけですね」

「そうだな。でも、鑑識かんしきや化学捜査班が詳しい調査をしているから、新しい証拠が出てくる可能性もある」

「近頃の事件は化学の力で多くのことがわかりますからね。三日後にはわかる?」

「多分な」


 柴田刑事はそう答えた。福は礼を言い、その場から離れた。僕も慌ててついて行く。


「あの映像、ぞっとしたな。やっぱり美津子が犯人なんだろうな」

「ころっと変わるじゃないか」

「だってあの顔を見たら……」

「まだ証拠は揃ってない。そのあとに言うんだな」

「そうか! ロボットの件があったしね」


 福は車に乗り込みながら煙草をふかした。僕もエンジンを効かせながら、考える。


「なあ、柴田刑事とはどういう関係なんだい? 何だかびくついていたけど……」

「子供のころからの知り合いでね。世話になったんだよ。今もね」


 それにしては変なやり取りだった。立場が逆のような。それでも、気にしないようにした。福は謎だらけだ。だからいいのだ。

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