探偵は喪服をまとう

酒田青

1.スペシャルな殺人

第1話 探偵の名は、遊部福

 黄色いスポーツカーを小気味よく停める。

 この辺りは戦争のころに焼夷弾しょういだんが多く落とされた地域で、きちんとした建物はまだまばらだ。黒い地面が広がり、バラックのような家や商店が群れを成して建っている。

 僕たちのすぐ近くにあるのはこの街の中心街に建て直されたビル群に挟まれた、あの悪名高き「さいわい横丁」。

 助手席の竹原美津子みつこは、僕の目を見るのを避けていた。僕は快活に笑って見せる。すると美津子は怪訝けげんな顔で僕を見、周りを見渡し、不安げに目を落とした。

 きっとおかしな場所に連れ込まれたように思えたのだろう。


「美津子さん、怯えないで。会わせたい人がいるって言っただろう」


 美津子は疑わしげな顔をしながら僕のエスコートを受ける。

 僕が開けたドアから体を出し、素敵なパールホワイトのクラッチバッグを手に持ち、上品なパンツスタイルで荒れた地面に降り立つ。

 彼女は全てにおいて上品だ。僕が今まで会った人間で一番の特別な美人。

 目は大きすぎず、夢見るような柔らかい目つきをしている。鼻は尖っていて鼻梁がすっと伸びている。唇。唇は特に特別だ。彼女の上唇は飛び出しそうに立体的な厚みがあり、下唇はそれを受け止めるようにしっかりとしたラインを保っている。

 体型は肉感的というよりは細身の柳腰やなぎごしで、それなのに特別な色気を感じさせる。

 彼女は舗装の剥がれた道、それもこの十五年で踏み固められた道を用心深く歩いて行くわけだが、その歩き方も弱々しくて庇護欲ひごよくをそそる。


「本当に、その人は私の助けになるのかしら?」


 美津子は転ばぬように地面を見つめながら歩いている。


「そうだよ。僕は彼のことをそりゃあもう頼もしく思ってるんだ。何だってわかっちまうんだからね。失くしたものだろうが殺人の犯人だろうが」


 びく、と美津子は肩を揺らして僕を見た。僕はにっこり笑ってうなずいた。


「殺しの匂いには敏感なんだってさ」


 美津子は遠い目をした。


 さいわい横丁は夜の街で、元々はヤミ市だ。

 集めた建材で何とか建ったような酒の店もあれば、しっかりと金をかけてできたキャバレーのような店もある。今は昼の三時なのでしんと静まり返っている。

 猫が歩いている。後ろ足を機械義足にしてあるから、飼い猫だろう。僕たちを胡散臭うさんくさそうに見て、先のちぎれた尻尾を立てて狭い道を歩いて行った。


「その……、こんなところに来ても大丈夫かしら? 私たち、悪い輩に殺されたり、強盗に遭ったりなんかしないかしら」


 美津子の言葉に、おやおや、彼女はずいぶんと箱入り娘らしい、と内心苦笑する。


「大丈夫。ここの連中はいい連中だよ。むしろ心配なのは戦争の影響だけど、この辺りは化学兵器の影響も少ないし、気にすることはない。ああ、クラッチバッグはしっかりと手に持っていてよ」


 美津子は不思議そうに僕を見つめ、その目によって僕はぞくぞくと背中を震わせる。特別な美人にこんなに見つめられるのは、心地よい。

 僕たちは静まり返ったさいわい横丁の、背が低くせいぜい三階建ての建物くらいしかない狭い通りを歩いていった。キャバレーや居酒屋だけでなく、カラオケ店、ゲームの店、雀荘じゃんそうもある。外れのほうには粗末なラブホテルも。

 一応新風営法にのっとって礼儀正しく法律を守ってやっているらしい店ばかりだから、店構えが派手でありつつも清潔に見える。

 美津子はきょろきょろと辺りを見回し、物珍しそうに店の看板を見ていく。僕としては夜のほうがここらの魅力を見せてくれると思うのだが、それは黙っている。


 目当ての店はさいわい横丁の真ん中、入り口からも出口からも遠い位置にあった。華やかにネオンを光らせていたバー「BLANCブラン」は、今眠りにつき、表の小さなドアにも夜の営業しかしていない旨の札が下がっている。

 僕はドアを開けてずかずかと中に入った。


「営業していないのではないの? 大丈夫?」


 そう心配して訊く美津子は、ドアの中を覗いてハッと息を呑んだ。中にいる人間が、こちらを見ている。


「やあ、ダリル」


 店のドアからすぐのカウンターに寄りかかる派手な身なりと化粧の女が、僕たちから目を逸らして彼女の目の前、こちらからは左手にあるテーブル席の壁のスクリーンを見つめ、「こんにちは」と口元だけ微笑んだ。

 三十歳ほどの、このバーの店主だ。スクリーンでは少し前のヒット映画が映し出されている。

 窓がないために昼でも薄暗い店は、四人が並んで座れる程度のカウンターと、あとはテーブルが二つだけで、シンプルな狭い造りだ。床は土間で、僕の靴の底が木製だからか時々削り取ってしまう。

 そこを用心しながら歩いてカウンターの椅子に座る。カウンターはよく磨かれているが、清潔をいくら保とうと努力しようがこの店からはねずみとゴキブリが絶えず、清潔な匂いは絶対にしない。


フゥ君は在宅かな?」

「多分」

「ハチは?」

「そこ」


 見ると汚い身なりの十歳ほどの少年がドアの陰にいて、美津子のクラッチバッグに狙いを定めて手を伸ばすところだった。僕は美津子からそれを奪い、


「クラッチバッグをしっかり持っていてと言っただろう、美津子さん? このさいわい横丁ではその点絶対に気を許しちゃいけないんだ。このハチはしょっちゅう人のものを盗むんだから」


 ハチと言われた少年が悪びれるでもなくバーの奥の椅子に座ってポータブルスクリーンのゲームを始めると、美津子は大いに戸惑ったように僕を見た。


「……本当に、本当に大丈夫なの? 私、騙されてないかしら、あなたに? 本当に私は問題を解決してもらえるのかしら、その人に?」


 美津子は女衒ぜげんでも見る目で僕を見た。ダリルがちらりと僕を見て、にやりと笑った。すぐにスクリーンの映画に戻ったけれど。

 僕は彼女をなだめ、


「信用できないというのはわかるよ。この横丁は悪名高いからね。でも大丈夫大丈夫。福君は信用できる男だ」

「そんなの信用ならないわ! 私は疑いをかけられているのよ。それを晴らしてもらえるっていうからついてきたのに、女たちが消えたり、薬物が売り買いされたりする場所で、何をされるっていうの?」


 美津子が興奮してきた。やはりこの通りの噂は知っているらしい。まあ、事実ではある。

 でも僕はあくまで微笑み、まあまあとなだめる。


「何もしないよ。君のために……」

「大体その男は何者なのよ!」

「探偵です」


 声が降ってきた。それは感じのいい、静かな声だった。

 男はゆっくりと階段を下りてきた。細身の体に喪服のようなスーツを着、ループタイを首から下げたその姿は何となく葬儀社の人間を思わせる。

 細面の白い顔に細い目、微笑みを絶やさない髭のない顔は、何歳なのかわからない。

 よっと、と階段の下の土間にある立派な代替革皮の靴を、靴ベラを使って履く。その時間は皆彼に注目しているわけだが、彼は頓着しない。

 終わると、微笑んで立ち上がった。誰もしゃべらなかった。遊部あそべフゥは不思議な人間だ。現に美津子も空気に呑まれて大人しくなっている。


「探偵……?」


 疑問符をつける美津子に福はうなずき、ポータブルスクリーンに自分のプロフィールを表示した。ソーシャルIDの一部に、顔写真、年齢は二十五歳、職業は探偵。


「遊部探偵事務所の遊部福と申します。福という字はフゥと読みます。名付け親が中国人でしてね。幸先のいい名前でしょう?」

「あなたが私のために調べ物をしてくださるのね?」


 福は僕をちらりと見、


「アランはそう頼んできましたが、私はできる限りのことしかできません」


 と言う。僕は焦って、


「君は何だってわかるじゃないか。失せ物は君に訊くと百発百中でわかる。百発のうち十発程度はハチがくすねてるんだけどね……」

「やれるだけのことはするよ、アラン」


 福はあまり乗り気ではないようだ。微笑んだ口元は変わらないが、何となく雰囲気でわかる。昨日概要は話したが、そのときから何だかそんな空気だ。


「私、私どうしてこんなことになっているかわからなくて……。話を聞いてくださる? それから、私の殺人の嫌疑けんぎを晴らしてくださる?」


 美津子は訴えるように、すがるように福に言った。福は、美津子をしばらく観察するような目で見、


「お名前は竹原美津子さんでしたよね。竹原さん、事件について、お話しください」


 え、と声が出る。だって僕が昨日話したじゃないか。そう言いそうになったが、福は僕を見て、


「アランから話は聞いていますが、あなたから直接聞くのが一番です」


 とうなずいた。美津子は用心深くテーブルの椅子に座ると、ゆっくりと話し始めた。福はカウンターの椅子に座り、うなずき、微笑みながら話を聞く。

 内容は、こういうことだった。

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