【完結】「僕はただ『綺麗』と言っただけだった」

まほりろ

第1話「それは天使か悪魔か」


僕は兄から大切な物を奪ってしまった。


僕はただ「綺麗」と言っただけだった。


兄の物を奪いたかったわけでも、兄を苦しめたかったわけでもない。


気がついたらいつも、僕が「綺麗」と言った物は、自分の手の中にあった。


僕はそれらの物がなぜ、自分の手元に来たのか考えもしなかった。


幼かった僕は父や母から与えられるものを、「ありがとう」と言って受け取り、無邪気にはしゃいでいた。


アメジストのブローチ、異国の金色の鳥、王位、そして銀色の髪に藤色の瞳の美しい少女……。


それらを奪われる度に、兄が身を切り裂かれるほどの痛みと苦しみに耐えていたなんて……僕は知らなかったんだ。




☆☆☆☆☆





兄エリックは第一王子として、僕より二年半早く生を受けた。


茶色の髪に緑の瞳、愛らしい顔立ちの健康な赤子、それが兄だ。


兄の顔をはじめて見たとき、父も母もたいそう喜んだそうだ。


世継ぎの王子の誕生に、国を上げてお祝いが行われた。


父と母はどうしてその時の、幸せな気持ちを忘れてしまったのだろう?


兄から遅れる事二年半、僕は第二王子として生を受けアンジェロと名付けられた。


金色の髪に青い瞳の赤子の誕生に、母上は胸を打たれたという。


金髪に青い目の子供は珍しく、それに赤ん坊だった僕はとても可愛らしい顔立ちをしていたらしい。


僕は生まれた時から病弱だった。


両親の関心は、二歳半にしては落ち着いていた兄から、手のかかる僕へと移った。


僕が三歳の時、僕は離宮で暮らすことになった。


人が多く出入りする城より、離宮で暮らした方が、病原菌に触れる機会が減少するという理由だ。


その時から母も離宮で暮らすようになった。


父も仕事の合間を縫って僕に会いに来てくれた。


僕の側にはいつも優しい両親がいて、父は僕が欲しがるものは何でも買ってくれて、母は寝る前に絵本を読んで子守唄を歌ってくれた。


僕にとってはそれが日常だった。 


だから本城で暮らす兄も、自分と同じ物を享受きょうじゅしていると思っていた。


兄が本城で厳しい王太子教育を受け、弱音を吐くことも許されていなかったことも、兄が父と母に会えるのは年に数回しかないことも、その数回も行事やお茶会など親子水入らずでは過ごせないことも、両親と兄の間には親子らしい会話なんて一つもなかったことも、僕は何一つ知らなかった。


兄にとって僕は、自分から両親の愛と時間を奪った憎らしい存在だっただろう。


それでもたまに会いに来てくれる兄は、僕に優しくしてくれた。


そんな兄から僕は全てを奪い去ることになる。




☆☆☆☆☆




兄が八歳、僕が五歳の春のこと。


とても天気が良い日、兄がお見舞いに来てくれた。


兄に会えるのは年に数回だけなので、僕はとても嬉しかった。


母は兄が僕に会いに来るたびに、

「エリックは王太子という身分上、多くの人間と会います。

 だからばい菌に触れる機会がとても多いわ。

 病弱なアンジェロにはなるべく会わせたくないの」

と言っていた。


兄をばい菌のように扱う母の言動を、幼い僕はおかしいとすら思わなかった。


歳を重ねた今ならわかる。


父や母だって、多くの人と接している。


僕が両親に会うのは良くて、兄に会うのを制限させるのはおかしい。


両親は僕のことを、宝石のように大切にしてくれた。


兄が両親の愛を独り占めにする僕に嫉妬して、幼い僕を傷つけることを両親は怖れていた。


両親にとって王太子教育を受け日に日に自分の意見を持つようになった兄より、離宮に隔離され何も知らない無垢の僕の方が扱いやすかったのだろう。


両親が僕に向ける愛情より、愛玩動物に向ける情に近かった。


当時の僕はそんなことには毛ほども気づくことなく、両親の愛を一身に受けて、物を知らないまますくすくと成長していった。







その日兄上の胸元には、真新しいアメジストのブローチが輝いていた。


「兄上のブローチ綺麗。

 紫の宝石がきらきら輝いてる」


無邪気な僕の発言に兄はとっさに胸元のブローチを隠し、僕と母から距離を取った。


母は鋭い目つきで兄のブローチを見ていた。


僕は美しい物を見て、素直に「綺麗」と口にしただけだった。


それが兄をどんなに傷つけるとも知らずに。


翌日、兄が身につけていたブローチは僕の物になった。


「エリックがあなたに譲ると言っていました」


母はそう言って紫水晶のブローチを、僕の手のひらに乗せた。


ずっと後で知ったことだが、そのブローチは兄の初恋の人が隣国に留学する前に、「このブローチを私だと思って肌身離さず身につけていてください」と言って、兄上に贈った物だった。


「病弱な弟にブローチを譲りなさい。

 嫌だと言うならこのブローチをあなたに贈った令嬢が、二度とこの国の土を踏めなくしてもいいのよ」


母はそう言って兄を脅し、兄からブローチを取り上げたのだ。


ブローチを奪われた兄の心はどれほど傷ついただろう……?


当時の僕はそんなことがあったとは知らずに、ただキラキラ光るブローチを「綺麗」と言って眺めていた。




☆☆☆☆☆





ブローチの一件以来、兄が僕の部屋を訪れる回数は減っていた。


それでも僕が「兄上に会いたいよ」と言うと、母は兄を離宮に連れてきた。


僕と接するとき、兄は前と同じく優しかった。


兄の笑顔が屈託のない笑顔から、作り笑いに変わっていたことに……幼い僕は気付きもしなかった。


僕の胸元で輝くブローチを、兄はどんな気持ちで見ていたんだろう……。





☆☆☆☆☆




それから一年が経過し、兄は九歳、僕は六歳になった。


ある麗らかな春の日、僕の部屋に一羽の鳥が迷い込んできた。


その鳥は人懐っこくて、部屋の中を一周すると僕の腕にとまった。


その鳥の羽は金色でとても美しかった。


「うわぁ、綺麗な鳥!」


僕は心に感じたまま、そう呟いた。


鳥が誰かに飼われていた可能性など考えもせず。

 

僕が「綺麗」と口にした物を、母がどんな手を使ってでも、僕の物にしていたことすら知らずに……。


翌日、金色の鳥は僕の物になった。


「迷い鳥のようだから、ここで保護してあげましょう」


そう言って母が鳥かごと、鳥の世話係を用意してくれた。


「ありがとうございます! 母上!」


その鳥は兄の初恋の人が隣国から帰国したおり、兄に贈ったものだった。


このときの僕はブローチに続いて鳥を奪われた兄の苦しみを知らず、「鳥の名前を何にしよう?」と呑気に考えていた。


結局鳥の名前は決まらなかった。


翌日から僕が体調を崩したからだ。








「ゲホゲホゲホゲホッ……!」


鳥を飼い始めた次の日、主治医が診察に訪れた。


鳥を飼い始めてからずっと、僕の咳は止まらなかった。


僕を診察した主治医は、「アンジェロ殿下は鳥アレルギーのようですね。鳥の糞や羽がアンジェロ殿下の容態を悪化させているようです」僕が眠っている時に、母上にそう話していたらしい。


「鳥を処分しなさい。 

 アンジェロを傷つける物はこの世に存在してはいけないのよ」


主治医が帰ったあと、母は冷たい口調でメイドに鳥の処分を命じたらしい。


こうして異国から連れて来られた珍しい金の鳥は、秘密裏に処理され、儚くこの世を去った。


全ては僕が眠っている間に起きた出来事。


どうして僕がこの日の出来事を知っているのかというと、数年後に僕に真実を教えてくれた人がいたからだ。


優しくも残酷なある人が僕に真実を告げる日まで、僕は「鳥は逃げてしまいました」という母の言葉を信じていた。


幼い頃の僕は、母は優しく思いやりのある人だと信じていた。


金色の鳥が殺されたと知った兄が「俺から奪うならせめて大切に扱ってほしかった! なぜ奪っておきながら、あっさりと命を奪うんだ!」悲しみと絶望と無力感に苛まれ涙を流していた事を、僕が知るのはずっとあとのこと。





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