第250話 屈折した想い

 夏の日差しを感じるアルナヴィスへの旅路――、


 カリュが、眉を寄せた笑みをアイカに向けた。



「なんだか申し訳ありません。わたしがアルナヴィスに寄りたいなどと申したばかりに……」


「いえいえ……、行きたいって言ったのは、むしろ私ですし」


「……妙な雰囲気にしてしまって」


「カリュさんのせいじゃないですよ~」



 とは言ってみるものの、アイカに従う一行の様子は、


 どことなく落ち着かない。


 特にバシリオスに付けてもらったヴィアナの騎士100名は、アルナヴィスが近づくにつれ表情は堅く、口数も少なくなっている。


 カリュが、アイカにそっと耳打ちする。



「王国主力の騎士団として、つねに警戒していた相手ですから……、アルナヴィスは」



 見ればカリトンとサラナの表情も堅い。


 ながく一緒に行動したカリュの故郷ということで、失礼にあたらないよう努力しているのは見て取れたが、


 やはり警戒感を隠しきれていない。



 ――なにを言っても気を遣わせてしまうんだろうな~。



 と思うカリュではあったが、一応ふたりには、



「父と事前に書状でやり取りをし、アイカ殿下と兵300で向かう旨、了承を得ておりますので、妙なことにはならないと思うのですが……」



 と、声をかけてある。


 サラナは赤縁眼鏡をクイッとあげて、明るい声で、



「そうですか! さすがカリュ様です」



 と応えてはいたが、アルナヴィス周辺の地図を丹念に読み込むことを止めない。


 こまごまとカリトンと打ち合わせも重ねている。



 一方で、ニコラエ率いるザノクリフ兵200は平然としている。


 もともと《山々の民》である彼らから見れば、アルナヴィスもテノリア王国の一地方でしかない。


 主将の気質を映すのか、職人集団のような寡黙な行軍であり、


 向かう先がアルナヴィスであることより、暑さの方が気にかかる様子であった。


 ヴィアナの騎士たちと、醸し出す雰囲気が違い過ぎて、カリュの苦笑を誘ってしまう。



 アイラは、同行することになったピュリサスと楽しそうに話しているが、


 チーナはいつになく、ふわふわした挙動を見せる。


 ヴールに生まれ育ち、根底にはアルナヴィスへの嫌悪感があるにも関わらず、ロマナから「わが目わが耳たれ」と命じられてもいる。


 近付くにつれ落ち着きを失っていき、


 プシャン砂漠に出自をもつジョルジュとネビが、なにかれとなく話しかけているが、どことなく上の空である。



 アルナヴィスに抱く距離感の違いから、アイカたち一行は、いつになくな雰囲気で進んでゆく。



 ――仕方ないか。



 と思うアイカであったが、


 カリュは申し訳なさもあって、アルナヴィスのことを話して聞かせた。


 それとなく皆にも聞こえる声のひびきであり、間諜として〈流言飛語〉の業でもあった。


 また、



 ――知られてないゆえ、恐れられる。



 ということも、よく分かっている。



「聖山三六〇列候が治めるどの街の主祭神も、たいていは〈聖山に住んでいる〉と信仰されています」


「はい、聞いたことがありますねー」


「しかし、実はアルナヴィスは異なるのです」


「へぇ~、じゃあ、どこに住んでるんですか?」


「主祭神〈盾神アルニティア〉は、アルナヴィスに住んでいる……と、アルナヴィスの者たちは考えています」



 それは、カリトンやサラナにとっても初耳で、地図から顔を上げ、耳をそば立てる。


 カリュは意味ありげに微笑み、ふわふわした表情のチーナに顔を向けた。



「チーナさん?」


「あっ……、は、はい! わたしですか?」


「ヴールの民はどこから来たと語り継がれています?」


「え……、それは、……主祭神〈狩猟神パイパル〉が聖山から獲物を追い、衡山こうざんまで駆けたのに従って移り住んだ……、と言われています」


「ほへぇ~~~~!!」



 アイカの素直な驚きと、まっすぐな興味のおかげでカリュも話がつづけやすい。



「そうですよね? たいていの列候領は、その起源の伝承を聖山か、その麓に持っています」


「へぇ~~! それは初めて聞きました!」


「ところが、アルナヴィスは違うのです」


「ほうほう」



 タロウの背に乗り腕組みしたアイカが、カリュに続きを促す。



「アルナヴィスは《聖山の大地》の南〈密林国〉から、よりひらけた地を求めて移り住んだという伝承を持ちます」


「へぇ~」



 に生まれ育ったチーナも初めて聞くという顔で、カリュを見詰めた。



「その際、現在のアルナヴィスを〈盾神アルニティア〉から指し示された……、というのがアルナヴィス誕生にまつわる信仰です」


「へぇ~! じゃあ、厳密には《聖山の神々》ではないんですか?」



 神話にまつわる話を先入観なく、まっすぐに聞くアイカの姿勢は、誰にとっても斬新だった。


 ちいさな動揺がうまれたが、アイカが気が付くほどではない。



「いいえ。どの《聖山の神々》も、聖山に住んでいて、求めに応じて自分たちの街に降りてきてくれると考えられています。が……、アルナヴィスでは、それが逆なだけです」


「逆?」


「アルナヴィスに住み、用事がある時だけ聖山に昇られるのです」


「あ、なるほど~」


「聖山神話に採用されていない伝承は、まだまだ各地に根付いているのですよ」



 と、微笑んでみせたカリュに、吟遊詩人のリュシアンが肩をすくめる。


 そして、カリュは視線を北――王都ヴィアナの方に向けた。



「ただ、恐れ多いことではありますが……、そのためにアルナヴィスでは〈参朝〉の意味が少し異なるのです」



 ふっとアイカは、最初の最初、リティアに侍女にしてもらったときに、


 クレイアたちから教わった王国の〈禁忌タブー〉を思い起こす。



 ――聖山戦争を収奪戦争と呼んではいけません。



 いまカリュが使った〈参朝〉とは、聖山戦争に敗北し、王国の家臣の列に加わったことを指している。


 その際、勝者であるテノリア王国は『聖山に帰す』として、


 列侯領が神代の時代から祀る神像を王都ヴィアナに召し上げた――。



「あっ、聖山は〈盾神アルニティア〉さんが帰るところじゃないから……」


「テノリア王族たるアイカ殿下が、ハッキリ口にされるのは、あまりよろしくありませんよ?」


「あ、そうですね……」



 たしなめるカリュだが、表情はやわらかい。


 言葉の意味するところは、アルナヴィスの領民たちが、他の列侯領以上に、



 ――大切な神像をテノリア王国に強奪された!!



 と、考えているということだ。


 バツの悪そうに頭をかくアイカに、カリュがウインクして人差し指を立てた。



「ところが、屈折した想いも同時にいだいているところが、ややこしいのです」


「屈折した想い……?」


「ひらけた地を求めて〈密林国〉から北上したアルナヴィスの民には、聖山、そして《聖山の大地》への憧れもあるのです」


「な、なるほど~」


「それゆえに《聖山の民》の古式礼法を遺し、大切に守っているのです」


「ああ! それでカリュさんから、テーブルマナーを教わりましたねぇ~」


「王都ヴィアナでの暮らしが長くなったわたしは、テノリア王家の砕けた気風に染まりましたが、故郷アルナヴィスはそうではないのです」


「はぁ~、なるほど」


「とはいえ、訪れた客人をもてなさないのもまた、古式礼法に反します。そう警戒されることもありません」


「……わたし、ナーシャさんに教わりはしましたけど、大丈夫ですかね? その、礼儀作法的に……」


「屈折した想いを抱えているとはいえ、テノリア王国に参朝してすでに20年以上。そこまで堅苦しくもありません」


「まあ……、でも、気を付けます……」


「ふふっ。……つよい反感を抱きながらも、アルナヴィスが王国に反乱を起こしたこともないのです」


「あ、そか」


「要するに、ややこしいのですよ。わが故郷は」



 そう笑うカリュに、アイカたち一行の緊張は和らぎをみせる。



 ――出身者からそう言われてしまっては、どうしようもない。



 という笑いが、肩の力を抜かせたのだ。




 数日して到着した、アルナヴィスの城門では、アルナヴィス候ジェリコをはじめ住民が総出で出迎えていた。


 歓迎の意思はみられない。


 ただ、礼儀に則って出迎えてくれたのだと分かる振る舞いであった。


 アイカはその謹厳な雰囲気に息を呑みつつ、アルナヴィス候に挨拶を述べる――。



   *



 アイカが、アルナヴィス候の堅い表情に緊張していたころ――、


 ヴールでは〈狩猟神パイパル〉への祭礼が無事におわり、ベスニクの帰還がひろく布告された。



「おのれ、あの馬車に乗っておったのか……、悪運の強いヤツめ」



 と、ほぞを噛んだペノリクウス候は、捕縛隊を率いた将の首を刎ねた。



 そして、ベスニク帰還の報せに、西南伯幕下六〇列侯が次々にヴールを訪れる。


 忠義の心からではない。



 ――囚われていたベスニクが生きて戻った。



 そのことに人知を超えた〈神秘〉を感じたのだ。



「おお、なんとおいたわしい姿に……。しかし、目の輝きにお変わりはない」



 と、叛逆を企てた父をロマナに誅殺されたエズレア侯でさえ、神を仰ぎみるような視線で膝をついた。


 痩せ衰えた体躯は列候たちの目に、より一層〈奇跡〉の度合いを増して映る。



 神の降臨に立ち会ったかのごとくに高揚してゆく列侯たち。


 自然と、リーヤボルク討つべし! ルカス討つべし! の声があがる。



 ――ヴールは神に護られている!



 ベスニクはそれを体現した存在として、崇拝の対象にさえなってゆく。


 虜囚の辱めをあたえたルカスとリーヤボルクを討たずにいることは、神の叡慮に背くとさえ説く、列侯まで現れた。


 もちろんベスニクも体力の回復にあわせ、復讐心が燃え盛っている。


 列侯たちの声は、まさに火に油となった。


 しかし、ロマナは、



「お祖父さま! ……まだ、体調は万全とは言えません。リーヤボルクを討つにしても、いましばらく休養の時間を」



 と、訴えた。


 だが熱狂的な列候たちの声をまえにして、ベスニクの心に届くことはなかった。


 それでも、どうにかベスニクを引き留めたいロマナは、なおも訴える。



「アルナヴィスが動くやもしれませぬ! ここは落ち着いて体勢を整えるべきです!」


「……ロマナよ。儂は草原で、あの桃色髪の少女の真価を知った。アイカ殿下が向かわれたからには、アルナヴィスは動かぬ」


「……されど」


「案ずるな。ヴールは強い。そして、祖父も強いのだ」



 やがて――、


 怒りに燃えるヴール全軍に、西南伯幕下六〇列候の兵も加わり、火の玉となって出兵に向け突き進んでゆく。


 しかし、そのときロマナは、


 自身とガラの従軍をねじこむだけで、精一杯であった――。

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