第239話 風にたなびく紋章は

 ヴール北方の原野に、アイカの咆哮が響きわたる。



「どっしぇぇぇぇぇ――――っ!!」



 と、実際に声にすることは一生ないと思っていた叫び声をあげながら、急旋回するタロウの背から矢を放つ。


 ペノリクウス軍が兵を分け、横合いから突然現れたのだ。


 相手は10倍の兵力。造作もなく別働隊を繰り出してくる。


 アイカの矢が敵の出鼻をくじくと、先頭のジョルジュが隊列を急角度に方向転換させ攻撃をかわす。


 サラナは次の進路を読む。


 すでに近辺の地形はすべて頭に入っており、なんども敵の目から隊列を見失わさせている。


 しかし、そのたびに展開する敵の偵騎に発見され、思うようにふり切れない。


 アーロンとチーナは、ベスニクが乗る馬車の両脇をかため、時折飛んでくる流れ矢を払い落とす。


 殿しんがりを指揮するカリトンの舞うような剣技が冴え渡り、鬼神の如き強さで敵を寄せ付けない。また、ヴィアナの騎士とザノクリフ兵も奮戦している。


 ネビの暗器は確実に敵を仕留め、


 ニコラエの職人のように正確な剣も着実に屍を増やす。


 だが、敵の数が多すぎる。


 カリトンの脳裏には、



 ――こちらも兵を二分し、敵の目をくらます。



 という策も浮かぶ。


 が、いかんせんアイカの桃色髪は目立つ。なにかかぶって頭を隠しても、二頭の狼までは隠せない。


 それにベスニクの馬車もある。


 アイカとベスニク、どちらか一方だけを救けるという選択肢もない。


 いまは、隊列を乱さず一丸となって逃げるほかない。


 頼りはサラナの異能だけだ。


 地形を見抜いて有利な戦場をつくりだす。できれば敵からアイカとベスニクを乗せた馬車を見失わせ逃げ切りたい。


 それが解っているサラナも、頭のなかにある地形と、目に映る地形から、地の利を得ようと目と頭を全力で回転させている。


 しかし突然――、



「わ、わ、わ……」



 と、アイカの身体が後ろにクンッともっていかれ、タロウがスピードを上げた。


 そして、ジロウと一緒に隊列の先頭まで出てから、グンッと右方向に地面を蹴った。



「アイカ殿下!! そちらは敵に有利! お戻りください!!」



 サラナが叫ぶ。


 が、間髪入れずカリュが声を上げた。



「サラナ殿! タロウとジロウには《道案内の神》の守護聖霊があります! カタリナ陛下の審神みわけにございます! われらも救われたことが何度もございます!」


「分かりました!!」



 と、サラナも《聖山の民》である。守護聖霊と聞けば切り替えは速い。


 隊列をグンッと曲げ、アイカのあとを追う。


 うしろから敵兵の『しめた!』と色めき立つ気配が伝わる。


 が、ここは《道案内の神》を信じ、やや上り坂になった行く手を駆ける。その間もサラナの頭脳は回転し続け、万が一の場合に挽回できる進路の検討がやまない。


 しかし、坂をのぼり切った瞬間――、


 サラナの鳩尾みぞおちに冷たいものが走った。


 行く手を埋め尽くす大軍勢が、真正面からこちらに向けて砂塵をあげている。



 ――最初から挟み討ちが狙いであったか。



 思わず親指を噛むサラナ。


 地勢を読むのに長けていても、軍事の専門家ではない。


 新たな敵の出現までは想定できなかった。前後をはさまれて隊列の足がとまり、白兵戦に持ち込まれたら万事休すだ。


 そのサラナの横で、


 落ち着いた物腰のジョルジュが、馬上で剣を払った。



「やむを得ません。斬り開きます。サラナ殿はうしろへ」


「しかし!」


「あとは頼みましたぞ」



 ここが死に場所と定めたのか、元賊の老将が発する声には淀みがない。


 グッと奥歯を噛みしめるサラナ。


 先をゆくアイカを止め、隊列の旋回を指示しようと息を吸ったそのとき――、



「あれは西南伯軍の軍旗!! お味方です!!」



 カリュの声に、ハッとしたサラナが赤縁眼鏡をクイッと上げて、眼前の軍勢を見定める。


 たしかにヴールの主祭神〈狩猟神パイパル〉に由来する紋章が風にたなびいていた。


 パアッと表情を明るくしたアイカが声をあげる。



「ガラちゃん!!!」


「アイカちゃ――ん!!!」



 青みがかった反射光を放つ銀色の鎧に身を包み、見違えるほどに凛々しい姿ではあったが、先頭を駆けるのはたしかにガラだ。


 リティアが王都を脱出する前夜、一緒に入浴し、食事を囲んで夜遅くまで騒いだ惜別の女子会以来の再会は――、


 お互い全速力だった。



「アイカちゃん!! とりあえず、奥へ――っ!!」


「わかったぁ――っ! ありがと――っ! 鎧、似合ってるよぉぉぉぉおお!!」


 

 ドップラー効果で、ガラの耳には低く届くアイカの声。


 ガラは率いる兵に道をあけさせ、ペノリクウス軍に追われるアイカたち約300を自陣に収めてから行軍を止めた。


 坂をのぼったペノリクウス軍も、西南伯軍の軍旗を認めて急停止する。


 ヴール軍2000と、ペノリクウス軍3000が高台で睨みあう。


 両軍に一触即発の緊張感が漂う。


 そんな中を落ち着き払ったガラが単騎、まえに進み出た。



「ペノリクウスの将に申し上げる! わたしは西南伯公女〈清楚可憐の蹂躙姫〉ロマナ様が侍女、ガラである!!」



 戦場には不釣り合いな、清らかでむらのないガラの声がこだました――。

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