第十章 虜囚燎原
第214話 義姉の気持ち
草原には深い霧がたちこめている。
漂う粒子に乱反射する早暁の陽がアイカの視界を白くふさぎ、目のまえに布陣しているはずのリーヤボルクの大軍を確かめることは出来ない。
ザノクリフ王国から《草原の民》の領域に入り、すでにひと月以上が経った。
初夏の夜明けの空気は生ぬるく身体にまとわりつく。
アイカがみずから総大将を務めざるを得なかった《草原の民》の軍勢も、かがやく白いヴェールの中で息をひそめているはずである。
両脇に寄り添ってくれるタロウとジロウ。
その背を、なんども撫でる。
右手に控えるカリトンの手に握られた
狩りに用いられてきた伝統の旗が振られれば、それが開戦の合図となる。
左に控える青年オレグが、小麦色の額をつたう汗をぬぐった。
この《草原の民》の若者に出迎えられ、アイカたちの怒涛の日々が始まった。
その純白のスクリーンに、アイカはオレグと出会った朝の情景を描いてしまう――。
* * *
「お待ちしておりました。桃色髪の少女よ」
と、平伏した青年に、アイカは戸惑った。
馬を降りた踊り巫女のイェヴァが青年のもとに駆け寄る。
「オレグか?」
「……おお、イェヴァ。それに、ラウラも。……祖霊の託宣のとおりだ」
どこまでも見通せるような晴れた草原。
オレグという青年は、アイカたちの来訪をひとり待ち受けていたようである。
タロウにまたがるアイカのそばに、ラウラが馬を寄せた。
「あやしい者ではありません。オレグといい、私たちと近しい部族のものです」
「そ、そうですか……」
「おそらく、祖霊からの託宣でアイカ様の来訪を知り、出迎えに来ていたのではないかと思います」
再会したラウラとイェヴァは、祖霊が『草原の民を救う者』と示したアイカに対し敬う姿勢をやめてくれない。
もちろん、アイカは総候参朝の頃と同様、気楽に接してほしかった。
しかし、ふたりの立場にたてば、それだけ事態が危機的で切迫しているのだろうと思い直し、無理にやめさせることはしていない。
タロウから降りたアイカが、オレグに近寄る。
すでにアイカの衛騎士のように振る舞うカリトン、チーナ、ネビも従う。
「こ、こんにちは……」
無限にひろがる草原のなかで、ピンポイントに自分を出迎えることができたのは、やはり『祖霊の託宣』のお陰なのだろうかと考えながら、アイカは青年の前に膝を折った。
「アイカといいます。テノリア王国第3王女リティアの
「アイカ様……」
「はい。ニーナさんをはじめ《草原の民》の皆さんには、
ナーシャに仕込まれた《礼節》。
それが人見知りのコミュ障を乗り越えさせる《ツール》なのだと理解したアイカは、丁寧に話しかけることで、青年に事情を話すよう促した。
そして、
――美形! これはいきなり、なかなかの美形!!
と、心の中は騒がしかった。
オレグという青年は、褐色の肌をした端正な顔立ちをあげ哀願するような視線でアイカを見た。
「……無法者たちの侵入を受け、《草原の民》は聖地コノクリアに集まり始めています」
「はい」
「祖霊から《東方の山岳より、桃色髪の少女、
詳しいことはコノクリアに集結している長老たちから聞いてほしいというオレグに従い、ふたたび草原を馬で駆けるアイカたち一行。
途中、ちいさな部族に遭遇すれば、
「託宣のとおり桃色髪の少女が現われた! 祖霊を仰ぐ《草原の民》はコノクリアに参集せよ!」
と、ふれ回るオレグ。
その言葉に従って、部族は丸ごと一行に加わってゆく。
アイカのとなりを走るイェヴァが《草原の民》の習俗を話して聞かせてくれる。
「部族といっても、ほぼ家族のようなものです。すくない人数で移動しながら暮らします」
「遊牧民……、ってことですよね?」
うしろを駆ける羊の大群に目をやった。
すでに一行に合流した《草原の民》は、人間だけでも一万人を超えそうである。
雲海のようになっているモフモフの羊の群れの中に「うわ~い!」と、飛び込んでみたい欲求を抑えながらイェヴァの話しに耳を傾ける。
そして、
――人を知り、地を知り、天を知る。さすれば、おのずから勝利を手に出来る。
ザノヴァル湖での《出張温泉》で聞かせてくれた、ヒメ様の言葉を振り返る。
日没から日の出までの長い時間、楽しい女子トークに華を咲かせていただけではなかった。
『
「えへへ……、ほんとですよね」
『まこと可愛らしい女王様じゃ』
「いやあ……、そんなぁ」
『しかし、王位にあれば避けられぬ
「えっと……」
『臆せば民の命を危険にさらす……、そのような戦は愛華の心持ちとは関係なく、むこうの都合で降りかかる。こちらが攻めねば、攻め込まれぬというような甘いものではない』
アイカの脳裏に、リーヤボルク兵に蹂躙されている王都ヴィアナのことが思い浮かんだ。
その前に脱出した自分は、その実情を肌で感じてはいなかったが、テノリア王国側がリーヤボルク王国にちょっかいを出したことはない。むこうが勝手にやって来たのだ。
『戦を避けるために手を尽くすのも王の務め。しかし、民の暮らしを護るため、兵を起こさねばならぬときもある』
「……はい」
『ゆえに、我が《用兵》の妙を教えてつかわすぞ』
「ようへい……?」
『兵を用いる術よ。……こう見えても、我も
「あ……、はい。別に疑っては……」
『戦は綺麗事ではない。正々堂々と真正面から立ち会う試合とは異なる。卑怯と言われようと、いかに相手の虚を突くか。これが肝心じゃ。そのためには――』
異世界とつながる《精霊の泉》から離れれば、ヒメ様と会うことは出来なくなる。
血なまぐさい戦争の話も、ヒメ様が自分に向けてくれている親心と解るアイカは、なんども頷きながら真剣に聞き入った。
そして、いま目にしている大勢の《草原の民》、さらに羊。
彼らには、なんの罪もない。
突然あらわれた人さらい――奴隷狩りの軍勢に怯えなくてはならない理由を、彼らの中に見付けることはできない。
――戦って、取り戻すしかない。
囚われたニーナを、羊を追う平穏な暮らしを――、取り戻すには武器を手に取るしかない。
アイカは、王都ヴィアナの奪還を志す
やがて、《草原の民》たちの首都ともいえる聖地コノクリアに到着し、額を地にこすり付けんばかりに平伏した13人の長老たちからの出迎えを受けた――。
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