第193話 殿下のお望み

 少しだけ、話がもどる――、


 西候セルジュは、アイカに深々と下げていた頭を上げると、切々と内戦の悲惨さを語り始めた。


 国王と王弟がともに果て、王位の正統がうしなわれたことで、長年にわたって沈殿していた矛盾が噴き出した。


 最初は王位を巡るような争いではなかった。


 領土の境界線について不満をためていた側が、取り返そうと攻め込む。しかし、調停者たる国王が不在で戦闘が泥沼化する。


 死者がでれば、怨みが重なる。報復にでる。


 親子兄弟は領土を隣り合わせることが多い。親戚も同様だ。必然、身内どうしで争いが起きる。戦局を有利にしようと他家と同盟を結ぶ。しかし、その相手にも争っている親子兄弟がいる。


 誰が敵で、誰が味方か。


 信じられるものを喪ったまま、争い続ける。たしかなのは「攻めてくる者は敵」ということだけ。攻められないように、調略を繰り返す。成功しても裏切った者に信頼を置いていいか分からない。ますます関係が不明瞭になっていく。


 セルジュ自身も弟を2人斬ったと、涙をこぼした。


 家老のパイドルが悲痛な笑みを浮かべて、主君に話しかける。



「……しかし、セルジュ様。イエリナ姫にお戻りいただき、これで国の軸が戻ります」


「おお、そうじゃ、そうじゃ……」



 セルジュは頬をつたう涙をぬぐうこともなく、アイカに笑顔をむけた。


 小太りで人の良さそうな中年――大人の、そのような表情を見るのは、アイカには初めてのことであった。


 胸が、締めつけられる。


 パイドルが、ズイッと進み出た。



「まずは、この慶事を、精霊に報告せねばなりません」


「もっともじゃ、もっともじゃ……」



 セルジュは感極まったように、おなじ言葉を繰り返す。


 パイドルは、アイカに向きなおって、優しげに話しかけた。



「……イエリナ様。カタリナ陛下からの書状によれば、反魂の秘法によって命をつながれたとか」


「あ……、はい……」


「ならば、ザノクリフ王国のことは記憶にございますまいが、我ら《山々の民》は精霊を尊びます」


「……き、聞いたことがあります」



 うんうんと、パイドルがうなずいた。



「この城でもっとも精霊に近いのは、我らが《聖塔》と呼ぶ、尖塔にございます。そちらにご案内いたします。どうぞで、精霊への帰還のご挨拶をなさいませ。王国和平のため、きっと精霊がお力をくださましょう」


「はい……、分かりました」



 アイカは目にたまっていた涙をぬぐった。


 その時、優雅な微笑みを浮かべたナーシャが、すっくと立ち上がった。



「アイカ殿下……、いえ、イエリナ姫。参られますか?」


「はい! ……国の神様にご挨拶は欠かせません」



 日本で、家庭の荒れ場を神社にこもってやり過ごしていたアイカには、信仰に対する基本的なリスペクトがある。


 見かけたら手を合わせる程度のことであったが、自分の魂をれてくれたイエリナ姫の国が大切にする精霊であれば、そこに足を運ぶのは自然なことであった。


 パイドルが、ナーシャに微笑を向けた。



「メイド殿。王族は、ひとりで精霊に向きあうのが習わし……」


「我らはイエリナ姫の直臣なるぞ」



 ナーシャも微笑をくずさず、パイドルを見据えた。


 しかし、全身から発する威厳はテノリア王国の王妃、いや、《ファウロスの嫁》としてのそれであった。


 気圧されて言葉に詰まるパイドルに、ナーシャが続けた。



「いま、この時まで、イエリナ姫の御身を護り育んできたのは《聖山の大地》である。そこでえにしを結んだ我ら直臣。そなたらが仰ぎみる精霊が、よもや、それを拒むような狭量な存在である訳があるまい」


「……しかし、カタリナ陛下からの書状には、その方らが第3王女の臣下とある」


「我とアイラは、イエリナ姫の直臣である。ともに精霊にご挨拶させていただき、末永くお付き合い願わねばならん。もちろん、姫の臣下に相応しくないと精霊に判断され、命を落とすようなことがあっても、微塵も悔いはない」



 アイカたち一行の中でも、もっとも末席に座るメイドが、有無を言わせぬ気迫を発している。


 その状況に困惑したパイドルは、セルジュの方に振り返った。


 セルジュは、ギラリとした目付きで軽くうなずいた。



 アイカは案内されて、ナーシャ、アイラと一緒にらせん階段を登る。赤いレンガづくりの壁は、ところどころに朽ちており、古い時代の余韻を感じさせられた。


 どこまでも続くような長い階段は、特別で神聖な場所であることを表しているようであった。


 やがて天辺てっぺんにある小部屋に入った。


 窓からは《バルドル》の街が一望でき、山々に囲まれた雄大な景色にも圧倒される。


 目を輝かせたアイカは窓に駆け寄り、ナーシャは澄ました顔でその背中を見守った。

 

 歴史の面影を感じる小部屋に、外側から鍵がかけられたことに、アイカはまだ気が付いていない――。



  *



「我らをアイカ殿下から引き離したかったのではないのか?」


「アイカ殿下の望まれたことです」



 声を潜めて尋ねるチーナに、カリュが平然と応えた。


 カリュ、チーナ、ジョルジュ、ネビ、カリトンの5人、そしてタロウとジロウには別室があてがわれた。城門からみて奥側にあるが、窓も大きく、幽閉されたという気配はない。


 納得できないチーナは、なおも言葉を重ねた。



「……あの者たちは、なにか企んでおるのではないか?」


「ええ、そうでしょうね」


「ならば、なぜ!?」



 カリュが立てた人差し指をそっと、唇にあてた。



「見張りはおらぬようですが、声の大きさにはご用心を」


「……申し訳ない」


「……アイカ殿下はザノクリフ王国の和平をお望みです。それを叶えるためには、いずれにしても西候陣営の内情を知る必要があります」


「むむっ……」


「殿下に危害を加えると決めていたなら、あの場で斬りかかっておりましたでしょう」


「それはそうですな」



 と、ジョルジュがモジャモジャの顎ひげをなでた。


 チーナは眉間にしわを寄せたまま、腕組みして立っている。


 カリュがタロウの背をなでながら微笑んだ。



「……アイカ殿下は、高貴な身分をとりまく《悪意》を、あまりにご存じありません」


「な、ならば、側に仕える者が支えねばなりますまい」


「リティア殿下が御義妹君おんいもうとぎみのために、私を選んだのは、王族として育てよということでございましょう」


「…………」


「さしあたって、アイラとナーシャ殿が側におれば不安はございません。それに……」


「……それに?」


「タロウとジロウが落ち着いております。アイカ殿下に危険が迫るなら、この子たちが連れ去っておりましたよ」


「むむっ……」



 チーナも、タロウ、ジロウと一緒に砂漠を渡って旅をした。アイカとの強い絆をよく知っている。



「しかし……、いざというとき駆け付けられぬのでは……」


「大丈夫ですよ」



 どこまでもアイカの身を案じるチーナのことを、カリュは好ましく思い、顔を上げた。



「すでに牢番は買収しております」


「なんと…………」



 チーナは、ついに返す言葉をうしなった。


 優れた間諜であるとは聞いていた。しかし、いつの間に、どのように、そんな芸当ができたのか想像もつかない。


 にっこりと微笑んでみせるカリュ。


 チーナの背筋に、ぞっとしたものが走った――。

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