第180話 王国の旗印
初老のジョルジュを除けば、アイカたち一行の中ではカリュが最年長にあたる。
だからとばかりは言い切れないが、ともかく、カリュが激しく感情を露わにする姿を見せたのは初めてであった。黒い布で片目を覆うロザリーの胸の中で、子どものように泣きじゃくった。
「ロザリー様、ロザリー様……」
残った瞳に慈愛の色を浮かべたロザリーが、優しくカリュの頭を撫でる。
総候参朝の前、アイカに付きっ切りでテーブルマナーを教え込んでくれた侍女長3人のうち2人が、旧都の高台で思わぬ再会を果たした。
先輩侍女長の名を呼ぶばかりであったカリュが、顔をロザリーの胸に埋めたまま、嗚咽交じりに悔恨の言葉を吐いた。
「……サフィナ様と、……エディン様を、……お守りすることが出来ませんでした。……侍女長の役を汚してしまいました」
「すべては、私の不覚が招いたこと」
穏やかながら苦しそうに絞り出されたロザリーの言葉に、カリュがハッと顔をあげた。
ロザリーはその両手でカリュの顔をはさみ、親指で涙を拭った。
「この事態を招いたのは、私がファウロス陛下を正しく支えられなかったがため。サフィナ様のお気持ちを汲み取れず、陛下に穏便にお繋ぎできなかった」
「……それは、私とて」
「カリュは、よくサフィナ様をお支えいたしました。そして、新しき主君を得たのは、エディン様の遺志を汲んでのことであろう」
「……はい」
「優しき御子であられた」
「……はい」
「主君あってこその侍女ぞ。……リティア殿下への、そして、
「……私は、……これで良かったと思われますか?」
ロザリーはカリュの顔から手をはなし、頭をポンポンッと叩いた。
「よい」
その短い言葉に、再び激しく嗚咽を漏らし始めたカリュを、ロザリーは柔らかく抱き止めた。
カリュが胸の奥からあふれ出させた懊悩に、目頭を熱くしていたアイカに、ロザリーが視線を向けた。
「アイカ殿下」
「はっ、はいっ!」
「リティア殿下と
「い、いえ……そんな……」
「リティア殿下を除いて、この王国の動乱を鎮められる方はいらっしゃいません」
王国の《白銀の支柱》と呼ばれた、その威厳を放つ一言であった。
初めてロザリーに対面したアイラやジョルジュでさえ、思わず背筋を伸ばさずにはいられなかった。
ただ、第2王子ステファノスが統治する旧都テノリクアで放つ言葉としては、いささか危うい。聞く者によっては、王位継承権を持つステファノスを蔑ろにしているとも受け取られかねない。
しかし、ロザリーは声を潜めることもなく続けた。
「……王位の行方がどこに向かおうとも、リティア殿下の帰還まで動乱が収まることはありません」
「ね、
「今の王国には、旗印がないのです……。あるのは男どもの野心と牽制ばかり。これでは《聖山の民》の心がひとつになることはできません。必要なのはリティア殿下の《天衣無縫》。かつて聖山戦争においてファウロス陛下が《聖山の大地》を包み込んだ笑顔こそが必要なのです」
ロザリーは胸にカリュを抱いたまま、よく晴れた青空を見上げた。
「……動乱を招いた私が言えた口ではありませんが」
「いや、そんな……」
「王家がリティア殿下、ペトラ殿下、アメル親王、西南伯公女ロマナ様、そしてアイカ殿下に代を替えるように、王国を支える侍女もまた、カリュ、アイシェ、サラリス、クレイア……、代を替えます。……私はただ残った片目で見守るばかり」
ロザリーが挙げた名前にアメル親王があったことが、アイカには不思議だったが、侍女長ではないクレイアの名前があったことは嬉しかった。しかし、自分の名前まで並んでいるのには違和感があった。
ただ、リティアのもとに行く気がないことを、やんわり伝えてきたことも分かった。
ふふっと、ロザリーが笑った。
「ロマナ様のもとには私もまだ見ぬ新しい侍女、ガラがおりました」
と、ロザリーが視線を向けた高台に登ってくる坂道に、アイカも見知った顔が2つ並んでいた。
先に声をあげたのはアイラだった。
「ピュリサス! それに、レオン!」
恥ずかしそうにはにかむガラの弟レオンが、シモンの若頭ピュリサスに手を引かれて立っていた。
互いの無事を喜びあうアイラとピュリサス。
ロザリーの足もとに駆け寄ったレオンは、頬を赤くしてアイカを見詰めた。
「……ひ、久しぶり。……アイカ」
「ひ、久しぶりぃ~」
人見知りがうつったアイカも、緊張気味に手を小さく振った。
ロザリーがレオンの頭に手を置いた。
「レオンを姉ガラのもとに連れて行く旅の途中なのです」
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