第145話 四旈の軍旗

 サミュエル配下の将ゴベールは、身を堅くして謁見の間に進んだ。


 幅広の廊下の両端には、重装鎧に身を包んだ兵士が抜剣して、剣身を立ててビッシリと並んでいる。


 サミュエルからは、


「西南伯ベスニクの身柄はこちらにある。しっかりと脅し上げてこい。脅しが通用しないようなら、むしろ煽りに煽って出兵させろ」


 と、指示を受けている。


 ヴールに到着して以降、屈する気配はまったく感じず、さりとて敵意をむき出しにしてくる訳でもない。至極丁寧に扱われ、待たされることなく西南伯の代行を任じられている公女への謁見も許された。


 サミュエルが率いる棄兵の軍の中では、ゴベールはである。



 ――これは、謁見の間に着いてから剣の切先に囲まれて、待たされるパターンか?



 と、祖国の長い戦乱で修羅場も数多く踏んできたゴダールは腹を据えた。


 あるいは斬られてしまうかもしれないが、それはそれでサミュエルの役に立ったことになる。


 しかし、謁見の間に入ると、西南伯の御座がある最上段の、一段下に席を設けたロマナが既に座っていた。


 それだけではない。


 その後ろには、四旈の軍旗が掲げられている。


 ロマナの右には第1王女ソフィアと第2王女ウラニアが席を並べてゴベールを見下ろしており、左には青ざめた表情の王太子妃エカテリニが座っている。


 軍旗には4人の紋章が鮮やかに描かれていた。



「ほう。突っ立ったまま口上を述べるのが、リーヤボルクの礼儀か?」



 ロマナの冷えた声に、ゴベールは思わず片膝を突いた。


 自らを『お喋り』と認めるソフィアにも、幼い顔立ちが『ロリババアの実在限界!』とアイカに評されたウラニアも、その表情に浮かべていたのは《ファウロスの娘》のそれであった。



 ――女が4人並んでいるだけだというのに……。



 ゴベールは、自分の首筋に冷や汗が伝っていることに気が付いて、内心、驚きを隠せなかった。



「いつまで黙っているつもりだ? 欠伸が出るぞ?」



 ロマナの威に押されたゴベールが、狼狽えたように声を発する。



「ヴィ……ヴィアナ候ルカス様の摂政……サミュエル公の使者としてまかり越しましたゴベールと申します……」



 返事も、通例による使者への労いの言葉もなく、謁見の間は張り詰めた静寂が漂う。



「あ……、主の言葉を申し述べます。西南伯ベスニク閣下におかれては、王都ヴィアナにご滞在……、その安全は保障いたす。お……愚かにも疑心を抱いた太子レオノラは誅殺したので……安心されるがよい……」


「左様か……」



 ロマナが短く応えた声の響きに、ゴベールは、鋭い短剣が脇腹に刺さったかのように感じられた。


 しかし、自らも戦場を渡り歩いてきた一軍の将であると、気力を奮い立たせた。



「ついては……、ベスニク様の下に《大権のえつ》を返還いただきたく」


「断る」


「ベ、ベスニク様のご意向にございますぞ」


「西南伯ベスニクともあろうものが、陛下より賜った《大権のえつ》の受け渡しに、自らの足を運ばぬような非礼を働くはずがない」


「そ……それは……」


「自らのご意思で発せられた言葉ではないのか、もしくは、使者殿の勘違いであろう」



 ロマナの祖母、ベスニクの妃である第2王女ウラニアが、穏やかながら抗しがたい威を含んだ声で口を開いた。



「他国のお方では聖山の民の礼をご存じないかもしれぬが、ロマナは既に聖山にて狩猟神パイパルに捧げる供物の狩りを行った。これは王家にも許されておらぬ西南伯家の特権であり、ロマナがヴールの正嫡であると聖山の神々に宣したものなのです。そのロマナの手に《大権のえつ》があるのは、まこと自然なこと」


「うっ…………」



 知り得ぬ他国の文化と伝統に、ゴベールは返す言葉に窮した。


 その姿を見下ろしながら、ロマナは総候参朝前、聖山で行った狩りのことを思い返していた。


 リティアがいた。


 アイカもいた。


 チーナが、アイカに負けぬ弓の腕前で西南伯軍の意地を見せた。



 ――アイカに授けた西南伯家の弓矢は、リティアを援けているだろうか?



 二頭の狼を撫でさせてもらって、飛び跳ねて喜んだ自分が遠い昔のことのように感じられる。


 王国の栄光が燦然と輝いていたし、西南伯の威光も轟いていた。



 ――リティアと同じく……、私も父を失った……。



 だが、リティアはきっと顔を上げて前を向いている。未来を切り拓くために歩みを続けているはずである。


 私も、下を向く訳にはいかん。


 ロマナは、その瞳から飛び出しそうな熱いものを押さえ、身を小さくして口籠る使者を見据えた――。

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