第120話 摂政正妃(1)
リーヤボルクの将サミュエルは、王都ヴィアナに入ってから初めて、落ち着いた午後を過ごしていた。紅茶の香りを楽しむ余裕を持てたのが、いつ以来であったか思い出せない。
ペトラとの婚姻を慌ただしく済ませた後、さっそく占領政策に取り掛かったが、初手から躓いた。
長年の内戦で混乱しているとはいえ、故国リーヤボルクは農業国であり、交易都市である王都ヴィアナの統治は、あまりにも勝手が違った。
ひとつ指示を出せば、10の問題を起こして返って来る。
リーヤボルク王家に連なり、子爵の爵位を持つサミュエルは、小さいながらも領地を持っている。それなりに領地経営に自信を持っていたが、たちまち打ち砕かれた。
上がってくる報告に目を凝らせば、そもそも住民が一定しないという、農業国では考えもつかない王都ヴィアナの特性に愕然とした。それどころか、人口の過半が一時滞在の隊商であると気が付いたときには、開いた口が塞がらなかった。
やむなく、テノリア王国の文官を起用したが、
「それは……、ヴィアナ騎士団の管轄でしたので……」
「ザイチェミア騎士団に問い合わせれば……」
「第六騎士団……」
「はて……? ロザリー様がどのように差配されておられたか……」
「サーバヌ騎士団が、どのように仕切っていたか……」
「たしか、アルニティア騎士団が受け持って……、ヴィアナ騎士団だったかな……?」
「バシリオス殿下の……ご一件以降は、サラナ様が……」
と、まったく要領を得ない。
頭を抱えたサミュエルは、マエルを呼んで、バシリオスと共に地下牢に幽閉している侍女長サラナの起用を相談したが、強く止められた。
「この国で、侍女と呼ばれる者たちを甘く見てはなりません」
「どういうことだ?」
「執政に関わらせては、あっという間に状況をひっくり返されかねませんぞ」
「まさか」
「あの者らなら、出来るのです。バシリオスが、ロザリーを除いていてくれたことこそ、我らにとっては僥倖。サラナ、カリュ、サラリス、アイシェ……、そういった者たちならば、造作もなくやってのけましょう」
サミュエルの知らぬ名前ばかりが並んだが、サラナだけは実際に対面したことがある。
――チビの小娘だったではないか……。
と、侮るサミュエルには、マエルの言い様を、俄かには呑み込めない。
しかし、老練の大隊商の険しい眼光が、深刻な脅威であることを伝えてくる。それを押し返して地下牢から呼び寄せるほどには、サラナのことを知らない。
リーヤボルクから連れてきた将は、蛮兵を統率するための武骨者しかいない。
サミュエルが王都の統治を諦めかけた頃、王宮低層階の王国政庁に姿を見せたのは、摂政正妃となったペトラであった。
「懸案は、すべて私のもとに寄越しなさい」
と、筆頭書記官オレストに命じたペトラは、次々と「摂政正妃令」を発し始めた。
懸案を仕分けし、王都に残るザイチェミア騎士団、ヴィアナ騎士団のうちスピロ万騎兵団、さらにはリーヤボルクの将たちにも振り分けていく。
――占領国から人質にとられた女が、なにを偉そうに。
と、リーヤボルクの将たちは不満の声を上げたが、
「我は、摂政正妃なるぞ。我が言葉に従えぬは、夫摂政サミュエルへの反逆。父ヴィアナ候ルカスへの反逆。なんとなれば、我自ら、ザイチェミア騎士団を率いて一戦お相手するが、その覚悟はあるか?」
身にまとう優美な気品を、鋭利な刃物に替えたようなペトラが放つ、堂々たる威厳の前に、屈強な男たちが次々とひれ伏した――。
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