第106話 制圧(3)


 ――怯えた……フリ?



 リティアの言葉に、アイカは目を大きく見開いている。


 見ると、ミトクリア候も目を丸くしている。



「私の初陣に、華を添えてくださっているのだ。分かりにくいだろうが、これも高貴な身分の者の礼儀だ。そうであるな? ミトクリア候よ」


「ははっ……。いや、なんとも……」


「それにな、アイカ」


「はい……」


「ミトクリア候は完膚なきまでに私に敗れなければ、まさにご令嬢の命を危うくする」


「え……?」


「私と裏で手を握り、示し合わせてのことではないかと、サヴィアス兄に疑いを抱かせてはいかん。今のあのお姿は、惨めに見えるかもしれないが、ご令嬢のことを想われるミトクリア候の、優しさと愛情の現れなのだ」



 アイカが改めてミトクリア候に目線を落とすと、身体の震えは止まり、せわしなく何度も髪をかき上げている。



「だから、私は勝ち誇り、地位も立場もある大の大人であろうと屈服させなければならないのだ」


「よ……余計なことを言って……」


「よいよい。ミトクリア候よ」


「はっ……」


「王都詩宴で披露させていただいた私の選定詩でご存知の通り、アイカは山奥で育ち王国のことは何も知らんのだ。ただ、貴候の心情を慮ってのことである。ご容赦いただけぬか?」


「いえ」



 と、ミトクリア候は胸を張った。



「殿下と、狼少女殿のご温情に感服いたしました。この上は首をはねるなりなんなりと」


「……話を聞いておったか? 私は、貴候とこれ以上争うつもりはない。貴候には貴候のお立場があろう」



 リティアは腰を起こし、アイカの肩に手を乗せた。ギュッと握り締められた肩は、痛いほどであったが、アイカは何も言えなかった。


 そして、リティアは、ミトクリア候にかすれ気味の声を向けた。



「既に王国では、正義が行方不明だ。皆が皆、自らが依って立つところを、自らで定めねばならん。ミトクリア兵の命を惜しまぬ奮闘の背後には、人質となった公女殿に寄せる敬愛があったであろう。ご令嬢をサヴィアス兄に近侍させ、人質にとらせたサフィナ殿の背後には、息子への愛情があったであろう。そして今、貴候はご令嬢への愛をもって、私に屈服して見せている……」


「殿下……」


「自ら定めるところに、命を賭けるほかない。なんと愚かで寂しいことか……。しかし、いずれ必ず王国の栄光は取り戻される。ミトクリア候。共にその日まで耐え忍ぼうぞ」


「……私の……負けでございます」


「うむ! 我が初陣に勝利を賜り、厚く礼を申し上げる!」


「いえ……」



 ミトクリア候は、恭しく誇りをもって額を地に打ち付けた。



「聖山の民の栄光を取り戻されるは、リティア殿下をおいて他にないと、確信いたしました。ミトクリアはリティア殿下に従いまする。どうぞ、一兵残らずお連れ下さいませ」


「ならん」


「殿下の深い温情に触れ……」


「ご令嬢をなんとする」


「それは……」


「あの、サヴィアス兄ぞ? なにをするか分からぬ。いずれ、時が来よう。貴候は野盗の一団も手なずけられる実力をお持ちではないか。領民を守り、臣下を守り、耐え忍んでくれ」



 しばしリティアの瞳を見詰めたミトクリア侯は、眉を顰めて唇を噛んだ。



「……もっと早く、リティア殿下のお心根に触れておれば……」


「今、知ったではないか!」



 と、リティアは明るく言ったが、ミトクリア侯は悔しげに俯いたままであった。


 もっと早くにリティアに接する機会を得ていれば、サフィナやサヴィアスに接近するようなことはなかった。その想いが、娘想いのミトクリア侯を苦しめていた。



「よし! 第3王女リティア、ミトクリア候に命じる!」



 明るくも厳然としたリティアの声に、ミトクリア侯は思わず顔を上げた。


 そこには、サヴァアスなどでは及びもつかぬ、テノリア王家の威厳を放つ第3王女が、凛と立っていた。



 ――華奢な少女であられるのに……、まるで、ファウロス陛下に面しているかのようではないか……。



 「ははっ」と、力強い声で応え、改めて平伏した。



「今日の所は、盛大に負けておいてくれ! 屈辱に身を震わせ、私への憎悪をたぎらせよ! 私が出立した後、すぐに、私への悪口雑言を書き連ねた書状を、サヴィアス兄に送るのだ! 卑怯にも夜襲によって敗れた。テノリア王家にあるまじき戦いぶりであった。次こそは必ずや捕えて献上すると書き送ってやれ! よいな!」


「はっ……」


「……それが、ご令嬢の身を守る。これ以上、私に悲しい思いを増やしてくれるな」



 最後にそう小さく呟いたリティアは、そのまま神殿を後にした。


 先ほどまでとは異なる、身体の芯から出てくる震えを抑えられないミトクリア候の背中が、リティアを追うアイカの目に焼き付いた――。

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