第87話 母親たち(2)

 車椅子に乗ったカタリナが、静かに近寄り、跪くアナスタシアの肩に手を置いた。



「悲しいのう、アナスタシア……」


「王太后陛下……」


「ここは、義母ははと呼ばぬか……?」



 と、カタリナは悪戯っぽい笑みを見せた。アナスタシアは数瞬、目線を泳がせた後、しっかりとカタリナの光を失っている瞳を見詰めた。



「義母上……」


「アナスタシア、私の娘よ。私の子が、孫に殺されてしもうた……」



 殺されたカタリナの子はアナスタシアの夫であり、殺した孫はアナスタシアの血を分けた息子である。



「今度は、孫同士が殺し合おうとしておる。なんと、悲しいことよのう……」


「ですから、私が止めて参ります。私を王都に行かせてくださいませ」


「止まるまい。兄弟とはいえ、王座を賭けた争い。我が故郷、ザノクリフでは兄と弟が争い、ともに倒れた。正統な後継者も行方知れずで、いまだ王国は2つに割れて殺し合いをしておる。それが、王座の重みというものじゃ……」



 カタリナの言葉は柔和で、思い遣りに溢れた口調であったが、反論を許さない厳粛さも保っていた。


 相次ぐ悲報に精神を削られ切っていたアナスタシアは、それ以上に抗うことができず、全身から力が抜けていくのを感じた。この場にいる誰もが自分の味方でありながら、その誰からも理解して貰えないことを、受け入れるしかなかった。


「義母上……」



 力なく呟くようなアナスタシアの声の方に、カタリナは顔を向けた。



「私はこのままここにいても、気が狂ってしまいそうなのです」


「分かる、分かるぞ……。アナスタシア」



 カタリナは肩に置いた手に軽く力を込め、アナスタシアを抱き寄せた。



「子を想う母の気持ち、私も同じじゃ。しかし、ファウロスは我が子である以上に、王であった。王として死んだ。……、だが、死ねば王でもなんでもない。私は、ただ悲しみ、ただ悼めばよい。死んでようやく、我が手に帰って来た……」


「バシリオスとルカスも、死ぬまで私の手には帰って来ぬと、仰られるのですか……?」



 アナスタシアは、今にも泣き出しそうな声を絞って、カタリナの膝に顔を埋めた。



「ともに祈ってはくれぬか?」


「祈る……?」


「そなたが持つ政治的価値を、今は考えることはできまい」


「私の……、価値……?」


「今行けば、そなたの価値を放棄することになる。我らの出番は、もう少し後になる。それまでの間、バシリオスとルカスが無事であることを、聖山の神々にともに祈ろうぞ」



 ステファノスが妻のユーデリケに目で合図すると、ユーデリケはアナスタシアの横に膝を突き、その手を取った。



「さあ、お義母さま……」


「ユーデリケ……」


「今晩は、私が一緒におります。ともに、祈らせてくださいませ」



 アナスタシアは小さく頷き、ユーデリケに手を引かれて天空神ラトゥパヌの正殿に向かった。


 その寄り添い合う背中を、ステファノスとカタリナが見送る。


 アナスタシアの背中が見えなくなった頃合いに、カタリナが呟くように口を開いた。



「悲しいことよのう……」


「ええ……」



 と、ステファノスは立ち尽くしたまま応えた。



「息子が孫に殺されたというのに、案じているのは王国の行く末ばかり。ただ悲しんでやることも出来ぬ。それが、悲しい」


「どこに行き着きますかな……?」



 というステファノスの問いに、カタリナの答えは意外なものであった。



「リティア次第であろう」


「リティア?」


「王座は、リティアが味方した者に渡る」


「それは……?」


「ステファノス。そなたは王座に興味はなかろうが、リティアのことは大切にせよ」


「はっ」


「部屋に戻る。少し疲れた……」



 と、その場をあとにした王太后カタリナの言葉の意味を、ステファノスは考え続けていた。

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