第81話 王女の誇り


「お、王太子殿下におかれましては……」



 と、カリトンの声は小さく震えている。



「君側の奸を討つ、義挙をなされました……。ち、誓って……」



 正面に立てた剣に手を置くリティアは、冷然とした表情で、カリトンの次の言葉を待った。


 アイカは、いつもであれば見逃すことのないリティアの表情には気付かず、その視線はカリトンに注がれている。



「……誓って、他意のあるものではなく、リティア殿下におかれましては、宮殿にて、ご静観下さいますよう……」



 語尾の歯切れが弱く、口上が終わったのかどうか判然としない。


 しばしの沈黙が流れた後、リティアが厳然とした響きを込め言い放つ。



「既に、我らが王宮に正義はない」



 カリトンはサッと表情を変え、頭を下げた。



「この上は、戦神ヴィアナが微笑んだ者にのみ、玉座と冠が授けられるであろう」



 カリトンは顔を伏せたまま、小刻みに身を震わせている。



「我が言葉、兄上に伝えよ」



 リティアの声は厳粛さを保っていたが、旧知の者にかける湿りを、ほんの少しだけ帯びた。



「はっ。しかと」



 カリトンは平伏し、顔を見せないままに立ち去った。


 アイカの青ざめた表情にリティアは気付いていたが、掛ける言葉は見付からなかった。ただ、危急のときにあって、自分に寄り添おうとしてくれている気持ちだけを受け取った。


 踵を返し執務室に戻ろうとしたとき、斥候から新たな報せが届いた。



「国王宮殿本宮11階、ヴィアナ騎士団が制圧! 戦闘は継続しています」



 そして、間髪入れず届いた次の報せは、リティアに天を仰がせた。



「側妃サフィナ様、第5王子エディン殿下。共に討たれ、お果てになりました」



 リティアは眉頭にグッと力を込めて一点を凝視し、眼球から飛び出そうとするものを押さえ込んだ。



 ――エディン。



 その柔らかな頬をこすり合わせたのは、つい先日のこと。


 温かく滑らかだった頬は、既に冷たく堅くなり始めているのか。



「エディンがいないと、おかあさまが、かなしくなっちゃうでしょ?」



 エディンの愛らしい声が、リティアの耳を襲う。



 ――母と一緒に逝けたか。



 リティアが冥府の王に死後の安寧を祈ろうとしたその時、アイカが強い力でリティアを抱き締めた。


 鎧越しでもそれと分かる強い抱擁を、リティアは天を仰いだまま受け止めた。



「泣いていいんだよ……」



 という、リティアの胸の高さあたりから聞こえるアイカの声には、既に嗚咽が混じっている。



「泣いてもいいと思うよ……。悲しいね……」



 リティアは喉の奥に流れるものを飲み込み、アイカの頭に手を乗せた。



「ああ。悲しいな」



 リティアは優しくアイカの手を解くと、腰を屈めて黄金色の瞳を見詰めた。



「可哀想な弟のために泣いてくれて、ありがとう」



 夕暮れ色をしたリティアの瞳も濡れている。


 が、滴を零すことは第3王女の誇りが押し留めた。



「アイカ、後で一緒に泣いてくれ。今は、やらねばならぬことが多い」



 と、優しく微笑みかけるリティアに、アイカは涙を拭いて頷いた。


 リティアは身体を起こし、次の指示を飛ばし始める。



「今夜はどうせ寝られぬ。女官や従者たちに飯をつくらせろ。出来るだけ多くの者に参加させるんだ。手を動かせば動揺を抑え込める」



 空が白み始める頃、国王宮殿が陥ちたとの報せが入った――。

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