第71話 無法者
――お腹がはちきれそうッス。
アイカは連日、宴に出席して愛想笑いも板に付いてきた。
『総候参朝』も開幕して既に4日が過ぎた。街には人があふれ、多数の露店が並び、大道芸人や踊り巫女や吟遊詩人が芸を披露して賑わっている。
この日も昼の宴を終えて、一度、リティア宮殿に戻ろうとしていた。
『総候参朝』の間は、煌びやかな姿を民衆に披露するのも、王族の務めとして徒歩で移動する。
涼やかな表情で時折手を振ったりしながら闊歩する、リティアの後ろに行列が続く。
人波は護衛の騎士に隔てられるが、リティアだけでなく、狼たちとアイカにも好奇の目線が向けられる。
――モブだったんスよぉ。ずっと、モブだったんスよぉ。なんなら、モブより存在感のない人生だったんスよぉ。
アイカは注目されることには慣れず、タロウとジロウの間で顔を伏せて歩く。
宴の度にお召し替えする絢爛豪華なドレス姿のリティアを、ゆっくり愛でる心の余裕もない。
と、人垣の隙間から見覚えのある流線が見えた。
あの、しなやかな腕の振りは踊り巫女ニーナのものではないかと、アイカが背伸びをしたとき、きゃあ! という、女性の悲鳴が聞こえた。
リティアの足が止まり、行列も停止する。
様子を見てくるよう指示されたクレイアに付いて、アイカも人群れを掻き分ける。
そこには、ニーナとイェヴァに抱きかかえられた、ラウラが倒れてた。
「ニーナ! 何があった?」
と、踊り巫女たちに駆け寄ったクレイアに、
「クレイア。……変な男が急にラウラに体当たりしてきて」
と、動揺を隠せないニーナが応えた。
ラウラは背中が痛むのか、顔を引きつらせて呻いている。
そこに、黄色い花のオーナメントが沢山あしらわれた白いドレス姿のリティアも、衛騎士たちを伴って加わる。
「ケガはないか?」
と、尋ねるリティアに、ラウラが呻き声まじりに応えた。
「あの……、許可証が……」
ニーナが慌ててラウラの持ち物を確認すると、街頭で芸を披露するための許可証がない。
体当たりした男が奪ったことは明らかだった。
むうと、眉を寄せたリティアが人波に視線を向けた。
この人出では、犯人の男を捕まえるのは容易ではない。新たな許可証の発行させるにしても、数日は要する。
男の消えた方角に随行の騎士を向かわせるか、リティアは逡巡した。
その頃、アイカは、
――う、美しかぁぁぁぁ。
と、厳しい表情で人波を睨むリティアに、数瞬、魂を奪われていた。
が、ふと気が付いて口を開いた。
「あの……」
「なんだ……?」
表情は厳しいが、リティアがアイカに向ける口調は優しい。
「タロウとジロウに追わせたら……」
と、躊躇いがちなアイカの言葉に、リティアは眉をパッと開いた。
「できるのか?」
「やったことないんですけど……、犬の仲間だっていうから、できたらいいなって……」
「よし。出来なくて元々だ! タロウとジロウに、ラウラの匂いを嗅がせてみよう」
と、リティアがいつもの勢いを取り戻すと、アイカはタロウとジロウを呼んだ。
タロウとジロウは、ラウラに鼻を寄せてクンクンしている。
グイグイ近付いて行く二頭の狼はニーナも押し退けて、ラウラを押し倒す形になって尚も匂いを嗅いでいく。
――えっろ。
アイカの目は釘付けになった。
ラウラは狼たちの鼻がくすぐったかったのか、敏感なところを刺激してしまったのか「あっ」と小さな声を上げた。
ニーナたちとお揃いの白いビキニのトップスに、濃緑色のロングスカート姿で、踊りで汗ばんだ小麦色のメリハリボディをよじって耐えている。
――あ。リティアさん、意外と初心。
アイカが目を移すと、ラウラの艶めかしい声と姿を見たリティアが、少し頬を赤らめている。
「も、もういいんじゃないか?」という、クレイアの言葉に我に返ったアイカが、
「よし! タロウ! ジロウ! 行くよ!」
と、号令をかけてタロウの背に飛び乗ると、人であふれる街路に向けて狼二頭が駆け出した。
割れる人波の間を、タロウとジロウが全速力で駆けて行く。人波からは悲鳴も聞こえる。
――ご、ごめんなさい〜。
数本先の角で、急旋回した狼たちが脇道の細い路地に入り、行き交う人々を避け、街路の壁を左右に別れて駆け抜ける。
さらに何度かの急旋回を繰り返し、地面と壁とを蹴りながら全力で風を切る狼たちの背中でアイカは――、ビビッていた。
――こんなことも、できるのね。ていうか、速過ぎだし、跳び過ぎだし……。
アイカが強い衝撃を感じて、狼たちの疾走が止まると、その足下に中肉中背の男を踏み付けにしていた。
ジロウが噛み付ついた男の右腕の先には、許可証らしきものが握られている。
「くっ、なにしやがる!」
と、苦しそうな声を上げる男は、狼たちから逃れようともがく。
が、タロウもジロウもびくともしない。
アイカは、男が手放した許可証らしきものを拾い上げ、タロウとジロウの後ろに回った。
そこに、追いかけてきたヤニスと騎士たちが到着し、一部の者には見覚えのあるその男を縛り上げた。
遅れてきたリティアが、アイカから渡された紙片を確認すると「間違いない」と言って、クレイアに渡した。
「さすが、道案内の神が守護聖霊にある狼。見事だった」
リティアはいつもの微笑を浮かべ、狼たちの頭を撫でてを労った。
――し、死ぬかと思った。
全速力の狼の背で揺られた疲労と、悪い男の人と向き合う緊張から解放されたアイカは、その場にへたり込んだ。
荒れた呼吸の中で、ラウラたちが返って来た許可証を握りしめ、涙しているのが見えた。
ひとつ大きく息を吸って、吐き、アイカは漸く安堵の笑みを浮かべた。
噂は瞬く間に王都を駆け抜ける。
『無頼姫の狼少女』が、守護聖霊のある狼と共に無法者を捕らえた、と。
多くは好意的に受け止めた。
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