第30話 秘密結社

「ありがとうございました」



 と、落ち着きを取り戻したニーナが、リティアに深くお辞儀をした。その後ろでは、ラウラとイエヴァも小さく頭を下げている。



「気にするには及ばない。クレイアの友人ならば、私の友人も同然だ」



 悠然と語りかけるリティアの言葉に、イエヴァは改めて、今日初めて会ったばかりの細い首が印象的なニーナの友人に視線を送った。


 噂に違わぬ隆盛を誇る王都――。


 そこに君臨する王族をしてここまで言わしめる、自分とそう歳の変わらないクレイアに、イエヴァの胸の内には微かな憧れの念が湧いた。


 リティアはいつもアイカに見せる笑顔に戻しながらも、西域の大隊商マエルの従僕たちが示した、権威を恐れない振る舞いが気にかかっていた。


 西に国境を接するリーヤボルク王国で内戦を収めた新しい王は、西域中から兵を集めたと聞いたばかりだ。


 相当に質の悪いゴロツキが、西の隣国に集まっているのではないかと、眉を顰めた。



「それにしても、どこで目を付けられたんだ? 心当たりはあるか?」



 と、災難に遭った動揺を労わる響きで尋ねるリティアに、ニーナは答えることを躊躇った。


 マエルは実力者であり、目の前の第3王女もまた、本来であれば雲上人である。自分の言葉が何を招くのか、想像も出来ない。


 ニーナの戸惑いを見てとったアイラとクレイアが、そっとニーナに寄り添った。



「リティア殿下は、ああ見えて、無駄に事を大きくされるような方ではない」


「意外なことに、穏便に済ませられることは、穏便に収めてくださる方だ」



 はっ! と、リティアがよく通る笑い声を短く上げた。



「お前たち。もうちょっと、言い様というものがあるだろう?」



 アイラとクレイアは、真顔で反論する。



「いえ、『天衣無縫の無頼姫』の実像に迫る、優れた言い様でした」


「つい先程、即座に首を斬り落とそうとしたばかりじゃないですか」


「下げる頭がなくなるって、マジ怖いです」



 配下の侍女に加えて、無頼の娘とも掛け合う第3王女の明るい苦笑いに、ニーナの心の防御が解かれ、重い口を開いた。



「あの……」



 リティアは微笑みで受け止める。



「昨年なんですが、ブローサ候の宴で舞わせていただき……。マエル様も同席されていたので、その時ではないかと……」



 ブローサは王国の西端に位置する街で、西域からの入口にあたる。マエルも拠点を設けているはずで、宴に同席していても不審はない。



「3日前に王都に入った途端、しつこく使いが来て……。気持ち悪いから放っておいたんですけど……」



 ――執念深いヤツだ。



 リティアは片目を細めた。昨年の『総侯参朝』で目を付け、一年後に攫おうとするとは。


 王都を訪れる踊り巫女は春をひさいで、そのまま嫁ぐこともある。他の男に獲られる前に自分のものにしたいという強欲さを感じる。



「昨年の宴席で、他に目ぼしい者はいたか?」



 と、リティアは、念を入れて尋ねた。



「あの……。ブローサ候のお身内の方々の他には、第3王子様が……」



 ふむと、リティアの返事は曖昧になった。


 ブローサ候の娘は、リティアの兄である第3王子ルカスに嫁いでおり、ペトラ姉内親王とファイナ妹内親王の母である。つまり、姻戚関係にあって、宴に招かれたとしても不思議ではない。


 が、豪傑肌で人懐っこい笑顔を見せる兄ルカスが、陰湿な企みに関わっていると、このときのリティアには想像出来なかった。



「分かった。同じことが起きないよう、それとなく取り計らおう」



 ニーナの瞳から、思わず涙がこぼれた。


 それとは見せなかったが、自分より年若の2人を引き連れ、重圧に押し潰されそうな思いを抱えていたのだ。もう大丈夫だと、クレイアが頭を撫でると、ニーナはクレイアの胸に顔を埋めて小さな嗚咽を漏らした。


 ニーナを中心にリティアやクレイアが、慰め励ます談笑の輪をつくるのに、アイカが熱い視線を注いでいる。


 そのアイカの肩が、不意に掴まれ、背中に柔らかな圧力を感じた。



「お前……」



 耳元で囁くアイラの大きな胸が片方、背中に押し当てられている。レザーのジャケット越しにも弾力が伝わる。



 ――お、お、お、お……。



「背神者だな?」


「え?」


「お前は、『美麗神ディアーロナ』を冒涜する者だな?」



 アイラの強い視線が、アイカの金色の瞳に注がれる。


 『聖山の民』は『美麗神ディアーロナ』の嫉妬を恐れて、心の内でも人の容姿を褒めない。


 が、アイカは、今自分を見詰める、渋い紫色の髪をした無頼の娘に対しても、その美貌への賞賛の言葉が自然と湧いて出る。



「美の女神の呪いを受けることも、呪いをかけることも恐れぬ、背神の者だな?」



 ――ば、バレてる。



 髪色と同じ黒に近い紫色で、陽光が当たると黄色く透ける瞳で見詰められ、アイカは視線で認めざるを得なかった。


 あのとき、リティアは笑って許してくれたけど、一般の『聖山の民』はどうなんだろうか?


 追放されたり迫害されたりするのだろうか?


 不吉な妄想がいくつも脳裏を走る。


 アイカの肩を掴む手の力と、背中に感じる圧力が一段と増した。


 耳に荒い吐息が吹きかかる。



「私もだ」



 アイラの思わぬ告白に驚いて振り向くと、唇が触れそうな距離だった。



「美しいものは、褒めたい」



 二人の交わる視線が熱を帯びる。どちらからともなく、固い握手が交わされた。



「近々、語り合おう。同志よ」



 アイラは、やや高揚した表情を見せ、アイカから離れた。


 第3王女と踊り巫女たちが談笑しているすぐ側で、王都ヴィアナで――最も無駄な――秘密結社が誕生した。

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