第12話 白い楽園(2) *アイカ視点

「ふ……、ふぁ、あぁぁぁ」



 自分の口から自然と漏れる、おっさんのような声にちょっと引いた。


 だけど、7年ぶりに浸かる熱いお風呂に、身も心も温められる。


 日本で私が『愛華』だったときとは別の身体になっているけど、今のアイカの身体が、冷え切っていたんだと訴えてくる。息を抜いて肩のこわばりを緩めると、あっという間にお湯が身体に馴染んだ。身体は違っても魂が覚えていたような入浴の感覚。


 美人や美少女の皆さんが、浴槽の湯を切って移動するシャバシャバという響きも、硬く絡まり切っていた神経を解きほぐしてくれるよう……。


 突然、両頬をザラリとしたものに撫で上げられた。


 いつの間にかタロウとジロウが私を挟んで頬っぺたを舐めていた。


 心配してくれたの? 私、険しい顔してたよね。そうか、君たちには見せたことない顔だったかもね。お湯が気持ち良かっただけなんだよ。



「大丈夫だよ」



 タロウとジロウの頭を両脇で抱えるようにして撫でてやった。君たちもお疲れさまでしたね。



「本当に仲が良いんだな」



 リティアさんの明るく呆れたような声色で、皆さんがいることを思い起こした。完全に自分の世界に浸ってた。



「あ、はい……。へへっ」



 途端に全体の景色が目に入ってくる。衛騎士のクロエさんと千騎兵長のドーラさんが、リティアさんの両脇を護るように身構えてる。


 あ、そうか。タロウとジロウが、急に動いたから警戒してるんだ。


 シャバシャバと浴槽の中を移動する音がしてたのはこれか。



「よいよい。皆も湯に浸かろう」



 リティアさんが私の向かい側でお湯に身を沈めると、皆さんもそれに続いた。驚かせてしまった。申し訳ない。


 タロウとジロウにも申し訳ない。


 もう一度、頭を撫でてやった。



「湯はいいな」



 リティアさんが、ほぐれた笑顔で反対側の縁に背中を伸ばした。



「数年前に西域の隊商が西街区に大衆浴場を開いた。それまで我がテノリア王国には、皆で風呂に入るという習慣はなかったのだが、私はいたく感動してな。自分の宮殿を持たせてもらうときには、大浴場を作ろうと心に決めていたんだ」


「お湯というか、水はどうやって汲み上げてるんですか……?」



 気になっていたことを、恐る恐る聞いてみた。


 ここ8階だ。3階くらいの高さがある8階で、普通のビルなら24階くらいの場所。私がこれから暮らしていく世界の、文明レベルや技術レベルが測れる気がした。



「ふむ。仕組みそのものは私も知らないが、大層な装置が前宮いっぱいに設置されている。ああ。王宮は中庭を囲んで正面が前宮、奥の本宮、右側の北宮、左側が今私たちのいる南宮だ。前宮はなんて言うんだ……」



 ゼルフィアさんが言葉を継いだ。



「機関室ですね」


「そう機関室だ。王都に張り巡らされてる地下水路の中から水も汲み上げるし、湯も沸かす。滞りなく排水もする。確か各階ごとに設けられてたはずだが……」


「その通りです」



 と、ゼルフィアさんが頷いた。若く見えるけど王女さまの先生か家庭教師的なポジションなんだろうか。頷く動きに合わせて揺れたのに、思わず視線を持っていかれてしまうけれども。



「前宮では沢山の技師たちが働いてくれているはずだ。普段、私たちが立ち入るところではないが、興味があるならクレイアに案内してもらうといい」


「いつでも言ってね」



 クレイアさんがクールビューティな美しいお顔で微笑みを向けてくれる。ブラウンに光る長い銀髪を、お湯につけないようにタオルを巻いたお姿も素敵ですね。



「王都ヴィアナには、世界の富の半分が通る」



 リティアさんは、湯の中で自分の指を伸ばし、上気した正統派美少女フェイスを向けた。



「南には【海の道】があるが、我がテノリア王国領内を貫く【三大路】ほど安全ではないし整備もされていないと聞く。交易とは結局、賭けなんだ」



 リティアさんがお湯の水面に線を引くように指を走らせながら話を続けた。


 私は頭の中でぼんやりと異世界こっちの世界地図を描いてみる。



「東のモノを西に、西のモノを東に運べば莫大な利益を生む。が、野盗に襲われることもあるし、嵐に見舞われることもある。そうなると全てを失い、賭けは負けだ」



 リティアさんは手の平を開いて見せた。



「だが、我が王国の統一によって、街道が整備され騎士団による警備で野盗からも守られるようになった。通行税を納め、護衛料を支払っても、全てを失うようなことは避けられる。だから、西の者も東の者も北の者も王国を貫く【三大路】を交易路に選ぶ」



 と、不意に私の両脇が持ち上げられた。タロウとジロウが立ち上がって浴槽の外に向かう。



「ははは。タロウとジロウは充分に温もったか」



 あ! これ!


 思うや否や、タロウとジロウが身体全体を震わせて、私たちの方まで激しく水滴が飛んできた。



「ははっ! 気持ち良さそうだな」



 良かった。リティアさんが笑ってくれてる。皆さんも苦笑いという感じだ。タロウとジロウは浴槽から離れた洗い場で寝そべった。マイペースな子たち。順応早いし。



「タロウとジロウにも、私自慢の大浴場を気に入ってもらえたようでなによりだ」



 リティアさんは満足げに、私の目を見て微笑んだ――。

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