第10話 私の狼少女

 時は少し遡る――。


 郊外の森から自室に戻ったリティアの騎士服を、女官たちが手際よく脱がせていく。着替えには髪色に合った薄い夕暮れ色のキャミソールワンピースを選んだ。


 アイシェ、ゼルフィア、クレイアの侍女3人は既に部屋の片隅に控えている。


 女官長のシルヴァが、リティアお気に入りの紅茶を載せたティトレイを手に、静かに部屋に入ってきた。



「シルヴァ。事情はクレイアから聞いたか?」 


「はい。あらましは」



 栗色の髪をお団子にまとめたシルヴァは、25歳という若さを感じさせない落ち着いた手つきで、紅茶をポットからカップに注ぎながら答えた。


 憂い顔に見えなくもないが、リティアの思考を邪魔しない佇まいは自ら訓練して身に着けたものだった。



「アイカは言うなれば生まれたばかりの子供と一緒だ。例えば我が王国で『侍女』と『女官』の意味が異なることなど、今教えるには複雑過ぎる」


「はい」


「どうやらアイカは昨日まで狼たちとだけ暮らしてきたようだ」



 着替え終わったリティアは窓辺の椅子に腰かけ、下がろうとする女官たちをそのまま控えさせる。


 シルヴァから手渡されたカップに口をつけ、止まることなく話し続けた。



「私の宮殿だけでも侍女、女官、侍従、従者、騎士、文官、儀典官、技師、諸々合わせて300人は暮らしている。王宮全体となると1万人はいるだろう。そんなところに、いきなり引き合わせても、アイカが混乱するだけだ。今日のところは侍女と護衛以外をアイカの目に触れさせるな」


「かしこまりました。皆に申し伝えます」


「それにこれは全部、私のせいではあるのだが……、アイカは王宮の中でもひときわ特殊な立場になった。陛下より格別の勅命が下ったことで、狼たちは【陛下の狼】となった」


「はい。うかがっております」


「それによってアイカは、私の侍女であると同時に【陛下の狼】専属の『御者』にもなった。狼の『御者』など、さすがに他の誰も代わりを務められない役目だ。さて、そこでだ……」



 リティアは、悪戯っぽい笑みを浮かべて、シルヴァの方を見た。


 シルヴァは、いつもの憂い顔を崩さない。


 けれど、リティアがその笑顔を見せるときは、だいたい王宮の礼則を破るようなことをしでかすのだと、彼女は知っていた。



「歳は13らしいが、生まれたばかりの赤子と同じようなアイカに、自分の立場を理解して、つつがなく務めを果たすことは出来るだろうか?」


「すぐには無理かと」


「そうだ。すぐには無理だ。丁寧に繊細に扱いながら、複雑怪奇な王宮暮らしに馴染ませていく。陛下の面目を潰すことがないようにな」


「はっ」


「いきなり特別で特殊な立場になった娘だが、今言ったことを女官たちによく言い聞かせてくれ。決して、アイカに嫉妬するようなことのないようにな」


「かしこまりました」



 リティアは着替えを手伝っていた女官たちにも微笑みかけて念を押す。



「お前たちも、よろしく頼むぞ」


「はっ」



 女官長としてのシルヴァを信頼してない訳ではないが、少しでも多くの者の耳と口から自分の意向が伝わるように、下がろうとする女官たちを引き止めていたのだった。


 シルヴァをはじめ女官たちが下がり、選び抜かれた調度品が並ぶ第3王女の自室に、リティアと侍女3人だけが残った。


 手早く行った話し合いで、いくつか段取りと手配を確認して指示を出す。貧民街から侍女に取り立てられ急激な立場の変化を経験したクレイアが、主にアイカに付き添うことも決めた。



「よし。では、一人で不安にさせないうちに『私の狼少女』に会いに行こう」



 リティアは笑みを浮かべ、少し遠くを見つめるような視線で立ち上がった。


 新しいものや知らないものに向き合うとき、主君がこのような表情になることを侍女たちはよく知っている。そして、明るく快活な振る舞いに、気が付いたら周囲も巻き込まれている。


 父王ファウロスから、リティアが最も色濃く受け継いだ、明るくはた迷惑に人を動かしてしまう性情だった。

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