そうして前提は崩壊する
上空には分厚い雲が広がり、まだ朝だというのに随分と周囲が薄暗い。天気予報のお姉さんによると、どうやら今日は午後から雨が降るのだとか。そんな天候に負けないくらいどんよりと濁った瞳をした幼馴染が、不安そうにわたしのことを見つめている。
「ねぇ、凜ちゃん……昨日の子とは本当に何もないんだよね? ね?」
「綾佳ってば、しつこいよ〜。わたし何度も同じこと言っていると思うんだけど、昨日まで須藤さんとは顔を合わせたことすらなかったんだから」
なんだか浮気を疑われているカップルの会話みたいだ、と心の中で苦笑いする。登校中の話題としては些か重すぎるような気がするのだけれど。
綾佳は昨日からずっとこんな調子。恐ろしきヤンデレヒロインじゃないんだから、とりあえず目のハイライトは取り戻した方が良いと思うよ?
「でもでも、初対面っていう割には須藤さんのこと以前から知っていたように見えたんだよね。向こうから自己紹介をされたわけでもないのに、いきなり名前で呼んでいたしさぁ」
「そ、それはまあ、友人の友人なんだから名前くらい覚えていても不思議じゃないでしょ。しかも、同じ学校に通っている同級生なのよ?」
「う~ん……そう、なのかなぁ?」
いまいち納得しきれていない様子の綾佳。
だけど、さすがに「実は原作に登場したキャラクターだから知っていたの。てへへ」なんて馬鹿正直に答えるわけにはいかないからね。この世界で須藤さんとの交流がないのは事実なわけだし。ま、そのうち折れて諦めてくれるようになるまで適当に誤魔化し続けるしかないだろう。
幼女フェイスのツンデレ少女、須藤香苗。
彼女は原作『エタニティ・ハート』で戸ケ崎姫乃の友人キャラとして登場する。
ゲーム本編での出番は少なく序盤に数回登場する程度の脇役なのだが、戸ケ崎さんから赤子のような扱いを受けてドロドロに甘やかされるシーンはなかなか刺さるものがあった。
まあ、ストーリーを進めていくうちに、戸ケ崎姫乃ルートの「一生お世話してあげるからねエンド」を匂わせる目的で描かれたフラグ的なシーンだったと気づかされるわけだけど……。
それはともかくとして今重要なのは、須藤さんがわたしと同じ非攻略対象キャラであるという事実一点のみ。メインヒロインでないということは、即ちヤンデレ化する心配もないということで。昨日の「結婚」発言も真に受ける必要はなかったわけだ。
思い込みが激しかったりと少々変わった子ではあるみたいだけど、仮に今後彼女との親交を深めたとしてもバッドエンドの引き金となることはないだろう。
「あのさ、りんちゃん……これなんだと思う?」
「えっ?」
下駄箱の前に着いて上履きに履き替えていると、戸惑いを隠しきれていない呟きが綾佳の口から漏れる。何事かと思い横を向いてみれば、彼女の手には一通の封筒が掴まれていた。
「何って……封筒の表面に分かりやすくラブレターって書いてあるけど」
「あっ、やっぱりりんちゃんの目にもそう見える?」
「……うん、そうとしか見えないね」
とてつもなくデジャヴ感のある封筒。もっとも、わたしの場合は脅迫状だったわけだけど。
で、何? この世界では堂々と封筒にジャンルを明記するのが常識だったりするのかしら? しかも今度はラブレターというね。そう、ラブレ……ん?
「…………待って!? まさか綾佳、幼馴染であるわたしに無断でラブレターなんて受け取ったの?」
「受け取ったもなにも、下駄箱に入っていただけなんだけど……。というか、ボクがラブレターを受け取るのにりんちゃんの許可はいらないでしょ」
「ねぇ、なんでそんな悲しいこと言うの?」
「ごめん……って、いやいやいや。どうしてボクが酷いこと言ったみたいな空気になっているのさ!?」
ホント信じられない。もしそれがヤンデレ化したヒロインからの手紙だったとしたらどうするのか。戸ケ崎さんや日下部さんが急にヤンデレ化したとは考えづらいけど、学園内には他にもまだ何人か原作のヒロインが潜んでいるわけで。この
「というわけで、そのラブレターはわたしが責任を持って処分しておくから。さ、渡しなさい」
「どういうわけで!? 人として、それはさすがに良くないって!」
……えっ、わたしの提案が拒まれた? 嘘でしょ?
頑なにラブレターを手放そうとしない綾佳にわたしは困惑を覚える。まさかとは思うが、内心ではラブレターをもらって喜んでいたりするのだろうか。
「綾佳ぁ……」
心がぎしりと軋んだ気がした。
♢
放課後のチャイムと同時に、綾佳が教室から飛び出していく。どうせわたしにラブレターのことを追及されるのが面倒だから逃亡したに違いない。今朝は綾佳の方が疑惑の眼差しを向けてきていたくせに……。
そんなこんなで幼馴染の態度に不満を覚えてはいたのものの、この世界で彼女をひとりにするのは危険だ。万が一の事態に備えて、綾佳の後をつけることにする。わたしは後を追うように教室を出た。
あぁ、べつにわたしは幼馴染を盗られるんじゃないかとか想像したりして不安を覚えたわけではないからね? ……ホントだよ?
校舎裏にいる綾佳を見つけ、とっさに影へ隠れるわたし。なんだかストーカーになった気分。
綾佳を守るために警護してあげているだけなのに、なんでこんな後ろめたい気持ちにならないといけないんだろうね、まったく。
このまま隠れているのも馬鹿馬鹿しいので綾佳に声をかけようと半歩踏み出す。が、反対側から駆けてくる須藤さんの姿が目に入り、再び下がって身を隠した。今朝、綾佳から須藤さんとわたしの関係について疑われていたことを思い出し、今ここで三人が顔を合わせると面倒なことになる予感がしたからだ。
須藤さんが通り過ぎてから声をかけよう。そう考えて暫く息を潜めていたが、一向に誰も通り過ぎない。というか、足音から察するに須藤さんは綾佳の近くで立ち止まった様子。何で?
「冬目さん! あぁ、良かった。昨日の今日だから来てもらえないかもって不安だったの」
「待っている人がいるって分かっているのに無視して帰るほど薄情な人間じゃないからね、ボクは」
何やら会話し始める二人。その口ぶりは、まるで待ち合わせでもしていたかのようで……。不愉快な胸騒ぎがわたしを襲う。
「それで、一体何のつもりでボクのこと呼び出したのかな? あの手紙には、放課後ここに来てほしいとしか書いてなかったし」
「それはもちろん――」
「ボクの推理ではね、本当はりんちゃんに渡すつもりの手紙だったんじゃないかなって。で、うっかり下駄箱の位置を間違えちゃった、みたいな」
「んええ!?」
「だから、りんちゃんを撒いて一旦ボクひとりで来たんだけど……。う〜ん、さっきの反応から察するに、この予想は外れていたっぽいなぁ」
いや、全く撒けていないんだけど。というか、わたしと綾佳の下駄箱は位置的に間違わないでしょ、普通に考えて。あまりにも頓珍漢な推理だったもので、陰からひっそりと覗いていることすら忘れてズッコケそうになる。
ともかく、綾佳が頭の中で考えていたことはなんとなく理解した。なるほど、それで教室に着いてから態度がおかしかったのか。わたしはてっきり、ラブレターの中身を読んで気持ちが揺れているもんだとばかり思っていたのだけれど。実際は、昨日の疑惑と結びつけて明後日の方向に勘繰りをしていたわけだ。
ふふっ、綾佳ってば、可愛いところもあるじゃないの。わたしの中に渦巻いていたモヤモヤとした感情が薄れていく。けれど、そんな心の平穏はすぐに吹き飛ぶことになる。
「間違えたりなんてしていないわ。わたしが話したかったのはイッチさ……いえ、冬目さん。貴女よ!」
「あっ、うん。そうみたい……だね?」
このときのわたしは、肝心なことが頭から抜け落ちていた。そう、ラブレターという形で呼び出しを受けた以上、この先の展開なんて限られている。
「これが難しい恋だってことは理解しているわ。だけど、この出会いは運命だって、そう思ったから。わたし、まどろっこしいことは嫌いなのよ」
「えっと、何を……」
それはきっと必然の展開。けれど、そこにいるのは須藤さん。所詮ヒロインの友人キャラにすぎない彼女が、綾佳に対して恋愛感情なんて抱くはずがない。だって綾佳は、この世界のメインステージに立つ主人公なのだから。そう信じ込んでいたからこそ、続く台詞がわたしの脳を叩き壊した。
「冬目さん、貴女のことが好きで好きで堪らないの。だから……わたしの恋人になってください!」
瞬間、驚いたように目を見開くわたしの幼馴染。ほんのひとときの沈黙を挟み、彼女は「あっ」と声を漏らすと真っ赤に頬を染め上げた。
えっ、何それ……?
イミワカンナイ
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的確に地雷を踏み抜いた模様。
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