幼馴染は主人公を守りたい
わたしはその日、自身の考えが果てしなく甘かったことを思い知った。
忘れ物を思い出し教室へ戻ってきたわたしの目に映り込んだのは、うつろな目をした無抵抗な幼馴染が今まさに襲われそうになっている光景だった。しかも、襲っているのは原作で綾佳をバッドエンドへと引き摺り込んだヤンデレヒロイン、日下部白夜。
瞬間、わたしの視界は真っ白に染まる。
正体不明の脅迫状を手にしたそのときから、周りにいる友人のうちの誰かが既にヤンデレと化してしまっている可能性は頭に入れているつもりだった。
しかし同時に、良き友人として接してくれている彼女たちがまさか原作と同じように綾佳を傷つけるわけがないと、どこか油断していた部分もあった。
だからこそ、今日のように少しくらい綾佳と離れて行動したって、何も問題はないと油断してしまっていたわけで。
けれど、現実はそんなに甘く優しいものではなかったらしい。ショックのあまり暫く立ち尽くしていたものの、ハッと正気に戻るや否や慌てて綾佳へと駆け寄った。
「綾佳っ! ねえ綾佳ってば、しっかりして」
「いや、あの、これは違うの……っ」
「日下部さんはちょっと静かにしてて!」
とんでもない現場に遭遇して切羽詰まっているわたしは、何か言い訳を口にしようとした日下部さんをギッと睨みつけ小さく叫ぶ。そんなわたしの剣幕に慄いて、日下部さんは一歩二歩と後ずさった。
もう二度と
「あ、綾佳、一体どうしちゃったの? って、嘘っ……気を失っているじゃない!」
「気を失っているというか、さいみ……なんでもないですっ」
……さいみ? 彼女が何を言い淀んだのか、わたしには分からない。が、今はそんなことどうでもいい。
つい先ほどまで虚ろな目をして惚けていたはずの綾佳は、その瞼を下ろして完全に意識を喪失していた。わたしが助けに入ったことで、緊張の糸が切れたのだろうか。確かめるように軽く肩を揺すってみるが、わたしの大切な幼馴染は椅子に身体を委ねたままぴくりとも反応を示さない。ただ、微かな呼吸の音だけが規則正しく耳に届く。
どうしてこんなことになる前に助けに来てあげられなかったのか。それ以前に、どうして綾佳と日下部さんを二人きりにしてしまったのか。激しい後悔がわたしを襲う。……いや、後悔するのは後からで十分だ。わたしは急ぎ綾佳の全身を見渡した。大丈夫、制服に乱れは見当たらない。何か乱暴されたような痕や傷なんかもなさげ。そこまで確認して、わたしはようやく息を吐いた。どっと全身から力が抜ける。
日下部さんが綾佳に何をしようとしていたのか、そもそもこの状況はどのような経緯で生まれたのか、本来であれば問い詰めたいことは山ほどある。そんな中でただひとつ分かったのは、綾佳の身に取り返しがつかない事態は未だ起きていないということ。とにかく今はそれだけ分かれば十分だ。というか、それ以上のことを考える余裕は正直ない。
「寝ちゃっただけだと思うから……大丈夫、だよ?」
「綾佳にまた何か変なことしようとしたら、わたし絶対に許さないから」
「えっと、いや、その……」
わたしが一言そう呟くと、日下部さんは気まずそうに視線を逸らした。その挙動を見て、彼女の中に何かしらのやましい気持ちがあったのだということを確信する。やはりヤンデレヒロインは危険だ。わたしはそれを改めて心に刻みつけた。
「ほら、綾佳……帰ろっか」
尚も目覚めない綾佳を背中に乗せて、わたしは慎重に立ち上がる。背中に綾佳の温もりと柔らかさを感じ、何故だか妙に胸が苦しくなった。それを振り払うように首を振り、廊下へ向かって歩き出す。背中に日下部さんの視線が刺さるのを感じたけれど、わたしは一度も振り返らなかった。
♢
「りんちゃん、あのさ……なんだか最近おかしくない? 絶対何かあったよね?」
あの事件から早一週間。いつものように二人で昼食をとっていると、不意に綾佳がそう切り出した。
「その台詞、いっつもおかしい綾佳にだけは言われたくないわね」
「うそん。幼馴染のこと心配しただけなのに、何故か真顔でディスられたんだけど!? ……って、そうじゃなくって!」
ディスったつもりは全くない。ただ単に本音が漏れたというだけで。
「待って待って、さっきのホントに本音なの!? せめて冗談であってほしかった……!」
「まあまあ、綾佳は何も心配しなくて大丈夫だから。これまでもこれからも、ずっとわたしの側にいるだけでいいの。わかった?」
「しかも微妙に会話が噛み合っていない! うぅうう、りんちゃんがやっぱりおかしいよぉ」
失敬な。わたしは至って正常だ。
というか、寧ろ今までの方が異常だったと言ってもいい。何せ、ヤンデレヒロインがすぐ側にいると分かっていながら、その状況を甘んじて受け入れていたのだから。
「凛さん、まるでわたくしと白夜さんがいないかのように振る舞うのはやめてくださらないかしら」
「あっ、その線を超えてこっちに来たら、今度こそ綾佳をつれて場所移動するから」
「扱いがあんまりですわ!?」
もう綾佳には関わらないでほしい。そう主張してヤンデレヒロインたちに絶縁を突きつけたいというのが本心ではあるものの、なかなか簡単になかったことにはできないのが人間関係というものだ。学校という狭いコミュニティーの中では尚更に。あぁ、なんとも厄介な話である。いっそのこと、綾佳を籠の中にでも仕舞って保護しておけたら安心なのに。
「……なんか物騒なこと考えてない?」
「ん? わたしはいつだって綾佳の味方だよ?」
「おっかしいなぁ……ボクはただ言葉のキャッチボールがしたいだけなのに。全然噛み合わないや」
「もしかして今『この場でキャットファイトがしたい』って言った?」
「言ってないし言うわけないよ!?」
バッドエンドを回避する為とはいえ、綾佳の自由を多少なりとも制限してしまっていることは事実。その代わりというわけではないけれど、彼女の望みはなるべく叶えてあげたいというのが幼馴染であるわたしの想いだ。それに、綾佳を真に幸せにしてあげられる人間はこの世界でわたしひとりだけなのだもの。故に、キャットファイト程度のことは造作もない。
「さあ、いつでもかかっておいで」
「今さっきボクの味方って言ったばかりなのに、この人さも当然のようにファイティングポーズをとっちゃったよ……!」
「珍しく綾佳さんが圧されていますわ……」
「はわわわわ」
ふむ、どうやらキャットファイトは所望でなかったらしい。構えていた腕を下ろすと、わたしは残りのおかずを口に放り込み、空になった弁当箱を片付け始める。そんなわたしを見定めるように、戸ケ崎さんがじっとこちらを見つめていた。
「凜さん、このあと少しだけお時間いただけます?」
「ごめん無理かな」
「即答ですわね!?」
当然だ。わたしはほんの一時たりとも綾佳の側から離れるわけにはいかないのだから。けれど、戸ケ崎さんはいつになく神妙な面持ちで食い下がり続ける。
「貴女と二人でお話したいことがございますの。もちろん午後の授業が始まるまでには済みますから、無理だなんて仰らずに……」
「いいじゃん、ちょっとくらい付き合ってあげなよ? 昼休憩の時間はまだ残っているんだし。ボクは先に教室へ戻っとくからさ」
「えっ、でも」
「でも、じゃないの! ひめちゃん、すごく真剣な表情しているし、きっと大事な話なんだよ」
何を思ったか、綾佳までそんなことを言い始めた。
いや、だけど、と更に何度か抵抗を試みるが、珍しく綾佳が折れてくれない。そこでわたしは、改めて最善手を考えてみることにした。
このまま言い争い続けて、喧嘩のような状態に発展したと仮定しよう。最悪の場合、綾佳は暫くの間わたしから距離を取ろうとするかもしれない。しかし、それでは何かあったときに直ぐさま綾佳を助けることができなくなってしまう。それはマズい。
であれば……ここは素直に折れるべき、か。
「……わかった、綾佳がそこまで言うなら」
「よしよし。それでいいんだよ、りんちゃん」
仕方がない、ちゃっちゃと戸ケ崎さんとの用事を済ませて綾佳の側に戻るとしよう。ほんの数分程度であれば、さすがに真昼間の校内で襲われることもないだろうし。……ない、よね?
念のため、綾佳に釘を刺しておく。
「綾佳、寄り道せずに真っすぐ教室へ戻るんだよ?」
「ボクは幼い子どもか何かなのかな!? 言われなくても普通に戻るってば」
「誰かに声を掛けられてもホイホイついて行っちゃダメだからね?」
「ここ、学校の中だよ!?」
その学校の中で襲われかけていたのは貴女でしょうよ。そんな言葉が喉まで出かかるが、グッと堪える。
戸ケ崎さんに視線で誘われ、わたしは気が進まないながらも重い腰を上げた。
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溜め込んでいたものが一気に爆発しちゃった感。
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