第115話

 九馬水月――【勇者少女なっくるナクル】という物語において、ナクルの悲劇の一つに数えられるメインキャラの一人。


 今はまだどこにでもいる普通の少女でしかない彼女ではあるが、物語が進むと突然彼女に焦点が当てられるストーリーへ発展する。

 彼女の家は言葉を飾らないのであればとてつもなく貧乏である。母子家庭ということもあるが、何よりも彼女を長女として、他に三人の弟がいるのだ。しかも三つ子。


 親一人、子四人という生活は、一般家庭の水準を保つのはなかなかに困難である。そのため母親は寝る間も惜しんで毎日働き、その代わり水月が家庭内のあれこれに従事する。家事もそうだがまだ幼稚園に通う三つ子の世話も水月が率先して行っていた。


 毎日大変ではあるものの、いろいろ切り詰めて何とか乗り越えていたのだが……が、ある日のこと、母親が仕事先で怪我を負って入院することになるのだ。

 しかもその怪我の原因が、仕事とはまったく関係ないところで負ったこともあり、労災保険適用外とされて手当てもつかない。さらに不幸は重なり、病院での検査の結果で母親に癌があることが分かってしまうのだ。


 幸いにも今すぐどうということではないし、早期発見ということで手術により命を繋ぐことは可能だが、治療費や労働時間など、九馬家にとっては致命傷に成り得る大ダメージを受けることになる。


 故に母親は痛む身体を押して病院から抜け出し仕事に勤しむことになる……が、そのような状態が長く続くわけもなく、とうとう最悪な事態を招くことになってしまう。

 フラフラ状態で深夜に帰宅している途中、足を滑らせて階段から落下したことにより死亡してしまうのである。


 不幸の中、さらに支柱を失うことになった水月たちは途方に暮れることになる。何でもすでに他界している父親とは半ば駆け落ちのような形で結婚したことで、親戚に頼ることもできない状態。


 故にそのままだと彼女たちは施設送りになるわけだが、施設の事情により全員が同じ施設に行けないと分かりこのままでは家族がバラバラになってしまう。

 そんなどん底で嘆いていた中、彼女の目の前にダンジョンへの入口である亀裂が出現する。そこである人物に遭遇することになった。


 その人物に、ダンジョンに存在する素材を手にすることができれば金持ちになれると吹き込まれ、藁にも縋りたい水月は、そんな甘言に飛びつくことになる。

 金さえあれば、家族が離れ離れにならなくてもいいと彼女は考えたのだ。


 そして幸か不幸か、彼女は勇者として覚醒することができ、ダンジョンで素材を手にし、それらを教えてくれた人物のもとへ届けて代わりに金という対価を得る。

 そうして水月は、謎の人物の教えのもとにダンジョン探索を続けていくが、そこでナクルと出会うことになるのだ。


 水月にとって他の勇者は、自分の仕事の邪魔をする存在だと謎の人物に教え込まれていた。だから当然ナクルと敵対することになってしまう。

 ナクルは同じ勇者として分かり合えると言葉を届けようとするが、何の不自由もなく幸せに暮らしているナクルの言葉が水月の心を捉えることはなかった。


 だがある時、またダンジョンで二人は遭遇することになったのだが、そのダンジョンはいつも攻略してきたようなダンジョンではなく、いわゆる〝ハードダンジョン〟と言われるランクが一つ上のダンジョンだった。


 そこに現れる凄まじい強さを持ったダンジョン主を相手に、ナクルと水月は苦戦必至。このままでは殺されると判断した二人は一時的に手を組むことになり、それがきっかけで徐々に距離が縮まっていく。 


 しばらくして水月は、ナクルに自分の境遇を伝えた。対しナクルもまた、自身の歪すぎる家庭環境を告白し、互いがそれぞれ抱える苦痛を共有した結果、確かな情の繋がりが生まれることなる。

 しかしそれを快く思わない謎の人物が、水月をかどわかして再びナクルと敵対する道に歩ませてしまう。


 そんな状況で、九馬家の三つ子に出会ったナクルは、彼らから姉である水月を助けてほしいと願われナクルはそれを了承する。

 そしてダンジョン内で対面する両者は、互いに譲れないもののために戦うことになり、結果的にナクルが勝利を得る――が、そこへ謎の人物がけしかけた刺客の攻撃がナクルへと放たれる。


 ナクルが深手を負い戦闘不能になるが、彼女を守るために水月は奮闘し、勇者としてのすべての力を使い果たして何とか勝利を得る。

 ナクルと水月は揃って病院へと担ぎ込まれるが、両者ともに命は何とか繋ぎ止められた。

 しかし目覚めたナクルは、衝撃の事実を聞くことになる。 


 それは水月が――――――植物状態になってしまったということ。


 最後の戦いで無理を超えたことによる反動で、脳に多大なダメージを負ったのではないかという見解だった。

 いつ目覚めるか、回復するかも分からない。ナクルにとって初めて心を開けた同い年の友人。そんな大切な存在の時間を奪うことになってしまったのだ。


 姉に縋りながら泣きじゃくる三つ子を見て、ナクルの心に浅くない傷が入る。

 自分がもっと強ければ、きっとこんな悲劇は起こらなかった。

 それからナクルは、前にもまして強さに貪欲になっていく。強くなれば悲しさなんて吹き飛ばすことができるとでも言うかのように、毎日毎日ボロボロになるまで修練を積む。


 そんなナクルを心配して修一郎たちが寄り添おうとするが、心の距離がある家族との不和は治らずに、ナクルはただ一人強さを追い求めるようになっていく。


(まさかそんな悲劇のヒロインの一人とここで会うなんてな)


 この学校にいることは知っていたが、クラスも違うし接点はなかった。それがまさか向こうから接触してくるとは思ってもいなかったので驚いている。


「あのさあのさ、札月くんってすっごく料理が上手いけど、もしかして将来の夢は料理人とか?」


 これから起こる悲劇なんて欠片も感じさせないほどの屈託のない笑顔で尋ねてくる水月。


「えっと……興味はないこともないけど、どちらかというと趣味みたいなものかな」

「ふ~ん、つまりは料理男子ってことだね! うんうん、それってばモテ要素だよ! あ、もしかしてそういうつもりで料理してるとか?」


 早口で捲し立てるように聞いてくる。お喋り好きであろうことは、このやり取りだけで十分伝わってきた。



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