第81話
「何じゃ何じゃ? ……む? バスジャックじゃと?」
思考が止まり身体も硬直してしまっていたようで、こちらに近づいてきて覗き見していた千疋に気づくのが遅れた。
慌てて後ずさって距離を取るが、すでに紙に書かれた文字は見られてしまっている。
とはいえ彼女に見られても問題はないとは思うが……。
その証拠に千疋は可愛らしく小首を傾げ、
「バスジャック……どういう意味じゃ?」
と尋ねてきていた。その表情に偽りはないと思われる。
もっともこの文字を見てある事実を思い描く者は限られるからだ。
「ふむ、その反応は心当たりがあるのは確かなようじゃが……はて」
顎に手をやりつつ、沖長をジッと観察してくる。今は彼女を気にする必要はない。どうせ正解に辿り着くことなどできないからだ。
今沖長が考えるべきは、この封筒の……いや、紙に文字を記した張本人のこと。
(バスジャック……間違いないな。そうじゃなきゃピンポイント過ぎる)
あまりに突然だったため動揺してしまったが、徐々に心は落ち着いてきた。そして改めて考察していく。この文字が意味するもののことを。
沖長にとってこの世界が、二度目の生なのは揺るぎない事実だ。しかしそれは唐突なものではなく、記憶にもしっかりと刻まれている過程が存在する。
前世で死に、気づけば神と名乗る者がいる空間に立っていた。そこで転生し、『勇者少女なっくるナクル』の世界に生まれ落ちたのである。
何故沖長が死ぬことになったか。それもまた唐突な出来事であった。
乗っていたバスが事件に巻き込まれ、その結果命を落としたのである。
その事件こそ――バスジャック。
だからこの言葉を目にすると同時に、あの事件が瞬時に脳内に再生されるのは当然だ。
転生してからバスジャックに遭遇したことはない。仮に沖長がイレギュラーでもなんでもないこの世界の存在だったら、この文字を見ても意味不明だ。それこそ今の千疋のようになるだろう。
しかし送り主は、明らかにこのバスジャックという文字だけで、沖長に意味が伝わると確信を持っている。それを知る人物は限られており、こんな〝挑発〟ができるなんて沖長が知る限りは長門だけだ。
ただ長門がそのようなことをする理由はないので間違いなく送り主ではない。
それでも絶対に揺るがない真実だけはある。
(…………転生者だな)
わざわざこれほど分かりやすい文字はあるまい。これだけで沖長が転生者であるということも、送り主もまた同類であることの証になっている。
(でも何で俺が転生者だって……いや、ナクルと一緒にいるんだから疑われるのも当然か。ということは送り主も原作を知ってるわけだ)
そうでなければ沖長がイレギュラーだと判別はできないだろうから。
なら次に気になるのは、何故自分だけなのか。
「……なあ十鞍」
「む? 別に千疋って呼べばよい。ああでも、できれば千ちゃんとか千姉ちゃんの方がワシ的には――」
「十鞍、聞きたいことがあるんだけど?」
「…………可愛くない奴じゃのう。……して、聞きたいこととは何じゃ?」
「俺の他にその雇い主が会いたがっているヤツはいるのか?」
「さあのう。少なくともワシが頼まれたのはお主だけじゃ」
「俺以外に、こんな感じで他の誰かにコンタクトを取った?」
「お主が初めてじゃよ」
ということは、同じ転生者であるはずの金剛寺や赤髪にはコンタクトをしていないということか。
「…………十鞍の他に、その雇い主が雇って動かしてるヤツっているの?」
「何故そのようなことを気にするのか分からぬが、そういう連中はいないはずじゃぞ」
「……そっか」
ということは、千疋以外が誰かを雇って、今頃金剛寺たちに接触している可能性は薄い。あくまでもゼロではないが。
(仮に俺だけってことにして、なら何で俺だけなんだ?)
同じ転生者と接触したいと考えたなら、沖長だけでなく金剛寺たちにも同じような手順を踏んでいるはずだ。しかしどうも送り主の目的は沖長との会合だけ。
(…………ふぅ。考えても答えは出ないか。さて、どうしたもんかなぁ)
相手が転生者だというなら、猶更警戒が必要だ。長門のように話が通じて手を組める人物なら歓迎できるが、あの迷惑コンビのような思考の持ち主だったら距離を取りたい。
それにこういうコンタクトの取り方をするということは、多少頭も回る輩でもある。
別にここに書かれた文字は〝転生者〟などといったストレートなものでも良かったはず。その方が間違いなく曲解しないし伝わりやすい。
しかし他の者に見られた時、少し面倒な状況にもなりかねる可能性を秘めているのも確か。特に千疋のような油断のならない人物に転生者という文字で動揺したところを見られれば、その人物の中に、沖長は転生者というものに対して異常な反応をした存在だと認識されてしまう。
すぐに沖長=転生者という方程式に辿り着きはしないだろうが、それでも僅かでも余計な疑惑を持たれるのも面倒なのだ。
だがバスジャックならば、そんな面倒事も避けられるだろう。この言葉から連想されるものが、今の沖長に害をもたらすことは絶対にないのだから。
つまりこの文字ならば、転生者(沖長)だけに伝わるという策を弄せる程度には賢い人物だ。だからこそ慎重にならざるを得ない。
こちらの手札――《アイテムボックス》の能力を知られていることはないだろうが、千疋からダンジョン内で起きたことを聞いているだろうし、沖長が転生者で何かしらの特典を有していることは理解しているはず。
ただこちらも相手の能力は分からない。対面した瞬間に、こちらに害のある攻撃をされる危険性だってある。
(やっぱり断るか? けどこれ……脅しでもあるんだよな)
お前が転生者であることを知っていると言っているようなものなのだから。
それでも一応確かめておく必要があると思い千疋に尋ねた。
「えっと、この話を断ったら?」
「ふむ。断るのかえ? ならそうなった時に伝えろと言われたことを伝えるとするかのう」
一息の間を開け、そして千疋がニヤリと口角を上げながら口にした言葉に衝撃が走る。
「断られたその時は――――――日ノ部ナクルをターゲットにする」
思わず表情が強張ってしまう。どうやら送り主とやらは、沖長の弱点を正確に把握できているらしい。ナクルの名を出されてしまえば、沖長が選ぶことのできる選択は一つしかなかった。
「っ……………分かった。会おうじゃないか、その雇い主とやらに」
こうして沖長は、新たな転生者と会う覚悟を決めたのであった。
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