第18話

「もっとも当初は武術というよりも忍術と呼ばれていたものだけれど」

「に、忍術……ですか? それってあの忍者が使う技の?」


 沖長の戸惑いの質問に蔦絵は「ええ」と頷いて続ける。


「創始者の一族は、代々忍びの家系で時の権力者たちの影となって動いてらしいわ。まあそれも伝わっている文献から紐解いたもののようで、本当に忍者として活動していたかは私は分からないけれどね」


 これは驚いた。忍者といえば男子が憧れる存在でもある。だって格好良いではないか。

 闇に潜み闇に殉じる生き方。決して表舞台には立たず、主という存在のために支え続ける。つまりは縁の下の力持ち。そういう存在に沖長も憧憬を向けていたものだ。


「だから私たちが学ぶ古武術は、忍びの技の系譜を受け継いでいるから、動き方や戦い方もまた忍びに近しいものになるわね」

「そ、それって手裏剣とかクナイとか!?」

「ふふ、やはり男の子ね。もしかして忍者とか好き?」


 つい興奮気味に尋ねてしまったことで蔦絵は微笑ましそうな眼差しを向けてきた。そのことにハッとなり、少し気恥ずかしくて目を逸らしてしまう。


「確かに少し前までは、手裏剣術やクナイ投擲なんかも教えていたのだけれど、今はどちらかというと〝コレ〟ね」


 そう言って彼女が懐からあるものを取り出して見せてきたのは……。


「…………針?」


 それは細長く、長さにして十五センチメートルから二十センチメートルといったところか。加えて両端が鋭く尖っている。


千本せんぼん……って聞いたことあるかしら?」

「! あ、確か忍者の隠し武器でしたよね?」

「良く知っているわね。その通りよ。手裏剣やクナイよりも殺傷能力は劣るけれど、何よりも軽く扱いやすい武器として重宝されてきたの。特に暗殺用にはもってこいよ!」


 そんなことを満面な笑みで言わないでほしい。ちょっと怖いから。


「とはいっても千本の扱い方なんてまだまだ先になるから、今はこういう武器があるということだけを伝えておくわね」


 なるほど。手裏剣とかクナイではないのは少し残念だが、あれはあれでカッコ良いので習うのが楽しみである。


「そういえば古武術には流派……名前とかあるんですか? 日ノ部流古武術ってさっき言ってましたけど」

「あ、いけないわ。肝心なことを言い忘れてたわね」


 ペロッと舌を出してあざとい感じを出すが、それがまた可愛いのでドキッとする。同時にナクルが横から不満そうな顔を向けているが気づかなかった。

 蔦絵は咳払いを一つした後、その名を口にする。


「私たちが学んでいるのは――〝忍揆にんき日ノ部流〟。覚えておいてね」


 彼女から教えられた言葉を心に刻み込むように、胸中で何度もその名を繰り返す。


「ではさっそく修練を行うとしましょうか。とはいっても、先ほども言ったように、最初は身体作りが基本。ということで……まずは柔軟からしましょう」


 何事においても柔軟は必要らしい。当然だ。スポーツなどでも柔軟を行っていたら簡単に怪我に繋がるから。

 三人一緒になって、その場で体操に近い動きや前屈などの柔軟をし始める。


「うわぁ、ナクル凄い……めちゃくちゃ柔らかいね!」


 見れば、ナクルが股を百八十度開いて上半身を畳にべったりとつけていた。


「えへへ、オキくんもそのうちできるッスよ!」


 それでも褒められたことが嬉しいのか、こんなこともできると言いながら、まるで中国雑技団の一員かのような柔軟さを見せてくる。

 それにナクルのようにはしゃぎはしないが、蔦絵もまた同様に柔らかい。対して沖長はというと、さすがにナクルたちのようにはいかないが、それでも立ったままの前屈で、畳に両手が辛うじてつくくらいまでの柔軟さはあった。


 今はこれでも、一カ月も毎日柔軟していれば驚くほどの成長が期待できると蔦絵に言われ、習い事が休みの日も続けようと心に決めた。


「よし、次は軽く準備運動をしましょうか」


 次に行うのはいわゆるウォーミングアップ的なものらしく、前転したり後転したり、匍匐前進などを行っていく。次第に身体が温まっていく。


「……ねえ沖長くん、もしかして運動とか得意?」

「へ? えっと……ちょっと前に父がやっているスイミングスクールには通ってましたけど」

「なるほど。だから体幹も良いし、体力もあるのね。普通なら前転や後転が真っ直ぐできない子も多いのよ。それに運動不足の子は、これだけ動けば息が切れるものだし」


 なるほど。確かに今行った前転などでは傾いたりしなかった。自分としては意識してやったわけではないが、蔦絵から見ればとても綺麗な形をしていたらしい。


(けど言われてみればそんなに疲労感もないかも)


 昔なら、柔軟体操の時点で息が切れていてもおかしくはない。しかし今は、身体こそ熱を持っているものの疲れは感じない。


(これってもしかして神様がくれた丈夫な身体のお蔭?)


 だとするなら嬉しい。これで目一杯身体を動かしても、前世みたいに倒れたりしないということだから。

 神に再度感謝を述べつつも、蔦絵の指示通りに動いていく。


 そうしてアップが終わった次に行うのが、いよいよ本格的な身体作りである。

 とはいっても最初は本当に基礎的なもので、道場内を走ったり、柔道の時のような受け身の練習をしたりを繰り返す。ハッキリ言って地味でしんどいものばかりだが、それでも沖長は楽しかった。


 何故ならこうして誰かと一緒に運動に興じるのは久しぶりだったから。たとえ地味でも、傍目から見て面白くないようなことでも、沖長にとっては最高の娯楽に等しい快楽を与えていたのである。


(うぅ~! 身体動かすの、たっのしぃ~!)


 自然と表情には笑みが浮かび、疲れも知らずに運動し続ける。

 するとしばらくして「そこまで」という蔦絵の声が響いた。次は何をするのだろうかとワクワクしていると……。


「今日はここまでにしましょうか」


 思わず「え?」となるようなことを言ってきた。


「あ、あの……もう終わりですか?」

「ふふ、物足りないかしら? けれどほら」


 そうして彼女が指差したのは、壁時計。


(嘘……もう二時間も経ってる?)


 体感ではまだ始めたばかりのような感覚ではあるが、よく自分の身体を観察してみれば、それなりにかいた汗が時間の経過を物語っていた。


「初めてで休憩も無しに最後までついてきたのは沖長くんが初めてよ。ね、ナクル?」

「そうッス! すごいッス、オキくん!」

「え? ああいや……楽しくて夢中だっただけだって」


 嘘ではない。気づけば終わっていたのだから。


「じゃあ最後に柔軟をして終わりましょうか」


 そうしてどこか浮足立ったまま、初日の修練は終わりを告げたのである。



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