第9話 由加ちゃんと家庭の事情

(由加ちゃんと家庭の事情)


 部屋に帰って、ベットに飛び込んで、横になって、美晴に電話する。


「美晴、いいペンション見つけたわよー。今、そこで泊まっているのー!」


「男と一緒に、……?」


「いないわよっ! 私一人よ……」


「良く一人でペンションなんか泊まれるわねー、私は男がいませんって看板しょっているようなものじゃないっ!」


「一人じゃないもんっ! お母さんと一緒だもん……」


「はいはい、分かりました。にぎやかでいいわねー!」


「それに、ツインの部屋なのよー、美晴もこない? 大きな岩風呂でねー、星が見えるのよ。一緒に入ろうー!」


「幸子、その誘うような言い方……、何かあるねー?」


「何もないってばーあー、それに、男のいない女同士、二人で慰めあって一緒のお布団で寝ましょうー、私、子守唄歌ってあげるから……」


「私、子守唄より、幸子のあえぎ声のほうが嬉しい……」


「なんちゅう友達だっ! 本当いうとねー、飛び込みで理想のペンションに入っちゃったんだけど、値段も確かめずにねー! ケーキも料理も半端じゃなく美味しいのよー、出てくるもの全てワンランク上って感じ……、だから、当然料金も高いと思うのよー、だから、お金持ってきてーえー、私、もしかして無銭飲食で捕まるかもしれないからー!」


「なにやってんのかねー、お金もバイトも彼氏もない身分で……」


「また、それを言う……」


「そんな高級ペンションなんか早くおん出なさいっ! それで、身分相応なところに泊まるのね。あんた『友愛の里』に行くんじゃなかったの?」


「駄目よっ! ここでお母さんの絵を描くんだから……、私の思い描いていた理想の高原の宿なの!」


「何いってんのよ貧乏人が、彼氏もバイトもお金もなくて……」


「また、それを言う……」


「いいわっ、そこにいなさい。ずーといなさい。私が行くまでー!」


「本当、来てくれるのー?」


「もちろんよっ! それで幸子の分くらい私が払ってあげるから、でも、ただという訳にはいかないけど、お金を取ろうなんて野暮は言わないわ……、分かるわねー」


「え、分からない?」


「もちろん、体で払ってもらうってことよっ、いい子ねー!」


「え、そんな……、体で払うの? 痛いことしちゃ嫌よー」


「でも、明日もバイトあるし、雑誌の入稿もあるし、行けるのは、二、三日後よ……」


「もちろん、いいわよー。私も絵が描き終わるのに、そのくらい時間、かかるから、じゃーまた電話する……」


 美晴も来てくれると聞いて、少し安心した。

 楽しい夏休みになりそうだ。


「お姉さんたち、面白いねー」

 ベットの足元で由加ちゃんが座って、私をじっと見ていた。


「由加ちゃん聞いていたの?」


「もちろんよー、痛いことって何するの?」


「あ、あー、何でもないのよ、冗談だからねー、信じちゃ駄目よー」



 

 翌朝、その静けさと、鳥たちのさえずりで目が覚めた。

 東京の自分の部屋とは違って、エアコンの回る音がしない。

 私は起きて、窓を開けてみた。

 爽やかな少し冷たい空気が入って来る。

 ここは北軽井沢、そう思うと何か元気が沸き起こって来る。


「外は青空、今日もいい天気だっ!」


 食堂に降りて朝食を待っていると、昨日とは違って赤いズボンと黄色のTシャツの軽い服装の由加ちゃんが、私の前を弾みながら通りすぎる。


「由加ちゃん、今日はニコニコ嬉しそうねー?」


「昨日いったでしょうー、バス停でお父さんが来るのを待っていながら、私が見える人を探すの……」


 そう言うと由加ちゃんは、また弾みながら玄関を出て行った。

 由加ちゃんと声をかける暇もなく……


「元気がいいなー」


「えー、私ですか?」

 ちょうど朝食を運んできてくれた遥さんに聞かれてしまった。


「いえ、違うんです……」

 ごまかす言葉が見つからなかったので、話題を変えた。


「すみません、ちょっと訊き難いのですが、別れた由加ちゃんのお父さんには知らせたんですか?」


「えー、本当に良くご存知なんですねー」

「いえ、そんな、ちょっと昨日の女の子がいっていたもので……」


 確かに昨日あったばかりの通りすがりの旅行者が、余りにも家庭の事情を知っていては気味が悪い。


「知らせてないのです……、離婚届に判を押して出て行ったっきり、私の場合、不倫というやつですから、相手がいるんです」


「……、不倫ですか? 悔しいですね、私も……」

 私も、彼氏を女子高校生に盗られたばかりです、とは言わなかった。


 遥さんも、私と同じだ。


「私が東京でコックの見習いで仕事をしていたころ、同じ職場のコックの彼と知り合ったんです。

 それで結婚して、私の実家があるこの街で、二人でペンションを始めたんです。でも東京から手伝いに来て欲しいと言われて、ここは冬は暇なんです。それで単身赴任で東京に行ってしまったら、帰ってこなくなって……、私は民宿の一人娘で、夫は養子でこの家に来ていたんです。居心地が悪かったんじゃないですかねー?」


「やっぱり、養子は難しいですかね……、私も一人娘なんです。まだ世話のやける父がいます。ちょっと結婚のとき考えてしまいますね」


      *

 でも、お母さんが、もし死ぬって分かっていれば、遺言でいったでしょうね。

 お父さんの面倒を見てよって……、頼んだわよってっ!

 でも、お父さんなら再婚するかも知れないわよね?

 お母さん怒るかなー?

      *


「わざと知らせないわけではないですよー、本当に連絡先を知らなかったんです。調べようとも思いませんでしたが……、やっぱり由加が死んだって思いたくなかったんでしょうねー」


 遥さんは、また思い出してしまったのか、さっきまでの笑顔が消えてしまっていた。


「ごめんなさい、変なことを訊いて……」

 私も朝から訊いてしまう話題ではなかったと反省する。


「由加は逢いたいと思っているのでしょうかねー?」


「昨日の女の子は、バス停でお父さんの来るのを待っているって言ってました」


「由加もやっぱり逢いたいのですかねー」


 私はそれ以上、何も言えなかった。




 朝食を終えると、画材道具一式を持って庭に下りた。


 いよいよ製作だっ! 思い描いていた理想の宿で、思い描いていた爽やかな高原の中で、思いっきり絵が描ける。こんな幸せなことはない。


「このペンションも入れようかなー、お母さんと来ているみたいな感じで……、この椅子に座っている写真を使おうー!」


 携帯の写真は去年の夏、蓼科に行ったときに撮ったもので、旅館の部屋の窓際においてあった椅子に座って、微笑んでいる写真だった。


 私は、簡単にクロッキーブックに風景と写真を合わせて描いて見た。


「うん、これはいい、やっと来れたね! どうせなら、一緒にここでお茶でもしたかったね……」


 それから、場所を変えて四枚五枚とスケッチをした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る